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霧のように漂う朝の光が村の小路を淡く照らす。
空気には湿り気と、焼き菓子の甘い香りが混ざっていた。
モンドはふと立ち止まり、手にした地図と周囲の景色を見比べた。
この村に足を踏み入れるのは初めてだ。
何も知らぬ土地での不安が胸に浮かぶ。
ゼフィは彼の隣で静かに歩く。
視線は村人の動きに向けられ、言葉少なに観察を続けていた。
街角に並ぶ小さな店々の戸口には、手作りの菓子が無造作に置かれている。
しかし、その甘い香りの奥に、どこか焦げた匂いが混じっていた。
「なんだ、こりゃ……焦げ臭ぇ……」
ゼフィは柔らかく首を傾げ、村人たちの様子を探る。
子供たちは遊ぶことも忘れ、母親にくっつきながら怯えた目で通りを見つめている。
何かが村を覆っていることは明らかだった。
二人は自然と村の中心へ向かう。
道の両脇には果物の木が並び、葉の間に露が光る。
その露は通常よりも赤みを帯び、葉や果実に不自然な艶を与えていた。
モンドは手で一枚の葉を掬い上げ、匂いを嗅ぐ。
「うーん……なんだか妙な味がしそうだな」
彼は眉を寄せた。
ゼフィは静かに話す。
「この村では、果実や穀物に少し異変があるようです。人々もそのことに気づいている様子ですが、口には出さない……」
モンドは納得しかけていたが、同時に小さな疑念が芽生える。
どうして誰も公然と話さないのか。
その沈黙こそ、問題の核心を示している気がした。
村の奥にある小さな菓子店にたどり着く。
木の扉はわずかに軋み、店内には焼き菓子の甘い香りが漂う。
だがその香りの中には、やはり焦げたような匂いが微かに混じっていた。
モンドは慎重に足を踏み入れ、カウンターの上に置かれた焼き菓子を目にする。
一見すると、まるで黄金に輝く小さな宝石のようだ。
店主は目を伏せ、黙って菓子を見守る。
その手の動きには疲労が滲み、作業のたびに小さなため息が零れる。
ゼフィはそっと声をかける。
「お店の方、何か困ったことがおありですか?」
店主は顔を上げ、困惑の色を含んだ瞳で二人を見つめた。
「……最近、この村の小麦や果物の質が変わってしまってな。焼いても味が安定せず、客も減った」
その言葉にモンドは軽く頷いた。
「なるほど……この焦げた匂いも、素材のせいか」
二人は店の奥に並ぶ焼き菓子の棚を観察する。
焦げや変色の原因は、どうやら果実の内部から滲み出る微量の液体にあるらしい。
モンドは目を細め、唇を噛む。
「こりゃあ……単純に火加減の問題じゃねぇな。素材自体に何かある」
ゼフィは慎重に頷く。
「この果実は、村の土壌や水の影響を受けやすい性質です。私たちは、まずその変化を理解する必要があります」
村の外れにある果樹園へ向かう。
霧に包まれた小径を抜けると、葉の色が異常に濃く、果実は通常より小さくなっていた。
モンドは手で一つの実を掴み、指で軽く押す。
「柔らかい……だが妙に粘るな」
ゼフィは指先で葉や枝をなぞり、静かに観察する。
「雨水の流れが変わった影響かもしれません。この村の環境が微妙に変化している」
二人は果樹の間を慎重に歩きながら、変化の兆しを確認する。
枝葉の間に、微かに光る水滴があった。
その水滴は、村人が知らず知らずに集めていた栄養や糖分を含んでいるらしい。
モンドは小さく息を吐く。
「こりゃあ、手間がかかるぜ。単に焼けばいいってもんじゃねぇ」
村へ戻り、店主に集めた果実を見せる。
「どうやら、この素材の変化が焼き菓子に影響しているみたいだ」
店主は目を見開き、希望の光を感じたように微笑む。
「まずは少量で試作してみましょう。急ぐことはありません」
村の人々も遠巻きに見守る。
子供たちは恐る恐る近づき、母親の腕に抱かれる。
モンドは一歩下がり、観察を続ける。
「焦らずだ……まずは試すことだ」
二人は慎重に調理に着手する。
火加減や焼き時間、材料の配合を少しずつ調整し、変化の兆しを見極める。
初めての地で、未知の食材と向き合う二人。
夜が近づくころ、小さな成功が訪れる。
焦げず、香りも甘く、果実の本来の味が引き出された焼き菓子が完成する。
村人たちは驚き、そして安堵の表情を浮かべる。
モンドもゼフィも、初めての土地での慎重な観察と努力が報われたことを、静かに噛みしめる。
霧が少しずつ晴れ、月の光が村を柔らかく照らす。
二人は疲れを感じつつも、確かな手応えを抱きながら、店先で夜風に吹かれる。
未知の地での小さな試行錯誤が、村に希望の光をもたらした。




