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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
星屑の塩
54/70

54

 夜が明け、東の空に淡い茜色が広がる頃、村は静かに目覚め始めた。

 夜霧は湖面を薄く覆い、朝露に濡れた草葉や石畳が光を受けて微かに輝く。


 小川のせせらぎがゆったりと耳に届き、森の奥からは鳥たちのさえずりが順番に響いた。

 風は柔らかく、木々の葉を揺らし、葉擦れの音が静かな目覚めを告げる。

 夜の余韻を抱えた村人たちは、まだ眠そうな瞳を細めながらも、昨日の儀式と料理の記憶を胸に抱いていた。


 広場では、昨夜の篝火の跡が炭となって残り、火の香りと木の匂いがほのかに漂う。

 朝の光は、土鍋や皿に残った星屑の塩を金色に反射させ、淡い光の粒がまるで再び空に舞い上がるかのように輝いていた。

 子供たちは目をこすりながらも、昨夜の喜びを思い出して口元に微笑を浮かべ、姉妹や兄弟と軽く手を触れ合わせる。

 老人は肩の力を抜き、穏やかな表情で夜の儀式を振り返る。

 深く刻まれた記憶が、朝の柔らかい光に溶けるように漂っていた。


 モンドは石畳に腰を下ろし、昨日の手記を静かに読み返す。


「皿の上に星を撒いたかのような夜だった」


 彼の筆は夜の空気と人々の息づかい、光と香り、湯気の揺れを一字ずつ丁寧に書き記していた。

 ゼフィは傍らに立ち、村人の様子を静かに見守りつつ、モンドの筆先をちらりと覗き込む。

 彼女の微かな笑みは、観察者としてのモンドの満足をやさしく補完していた。


 村の台所では、昨夜使われた鍋や器が整えられ、残った料理が少しずつ朝食として配られる。

 湯気の立つ土鍋からは、煮込まれた野菜の香りと肉の旨味が漂い、朝の空気をほんのり温める。

 村人たちは小さな皿に分けられた料理を手に取り、互いに静かに目を合わせる。

 昨夜の光景を思い出すと、自然と会話も穏やかになり、笑い声や微かな驚きの声が小川のせせらぎに溶け込む。


 モンドは観察眼を緩めることなく、村人の微細な所作を追う。

 手のひらに乗る塩の残滓をそっと撫でる仕草、湯気に目を細める様子、皿を運ぶ際の肩の動き。

 小さな変化に気づくたび、彼の胸に旅人としての驚きと感嘆が交錯する。


「人の心は、塩一粒にさえ反応する」


 微かなため息と共に、彼は手記にその印象を記す。


 ゼフィは、そっと村人のそばに立ち、補助することなく、目の前の微細な変化を共有する。

 皿を手にする手の動き、口元の微笑み、目の奥に宿る余韻。

 すべてを静かに受け止める彼女の存在は、モンドの観察をより精密にしていた。


 湖畔に目をやれば、水面は朝日を映して銀色に輝き、微かに波立つたびに小さな光の粒が踊る。

 森の緑も朝露で光を帯び、葉や枝に溜まった水滴が朝の光を反射する。

 鳥のさえずりや川の音は、儀式の静寂とは異なる、生きた時間の鼓動として村全体に広がった。

 村人たちはその中で、昨日の奇跡の余韻を抱きながら日常に戻り始める。


 モンドは手記に追記する。


「昨日の夜は、空と地の間に落ちた光が、ひとつひとつ人の心に触れる瞬間だった」


 皿に残る塩の微粒子、湯気に揺れる光、揺らめく火の残り香。

 それらすべてが、朝の柔らかな光に包まれ、新たな章として手記に刻まれる。


 ゼフィは静かに頷き、モンドの肩に手を添え、二人で旅の再開を静かに意識する。

 村人たちは、昨夜の心の揺れを抱えつつも、普段通りの家事や仕事に戻り、村の営みが静かに流れ始めた。

 誰もが昨日の奇跡を記憶に留めながら、日常という川の中を歩む。


 モンドは立ち上がり、最後に村を見渡す。

 朝の光が木造の家々や石畳に反射し、湯気や水滴が宝石のように煌めく。

 空には雲一つなく、昨夜の星々は消えたが、その光は村人たちの心に静かに残っていた。

 ゼフィと共に歩き出す二人の足音は、夜の静寂と朝の柔らかい光に包まれ、村にそっと溶け込む。


 モンドの心は満たされていた。

 観察者としての好奇心は十分に満たされ、旅人としての期待は新たに芽吹く。


「次の村では、どんな光景が待っているのだろう」


 目を細め、彼は朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、次の旅路に心を向けた。


 村の静けさは、星屑の塩の儀式が生んだ微細な奇跡をそっと記憶し続ける。

 誰もが日常に戻りながら、心の奥底に残る光を抱えて歩む。

 モンドとゼフィは、昨日の夜と今朝の光景を胸に、旅の道を再び進むのだった。

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