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夜の帳が村を覆う頃、モンドとゼフィは小さな宿の軒先から、村道に立つ老女をそっと見守った。
闇は深く、月光が屋根瓦の隙間を縫いながら地面に斑影を落とす。
その下で、黒糸を指に絡ませた老女の手が、微かな音を立てて動いていた。
針が土に触れるたび、かすかな「トン」という音が夜の静けさに響く。
影は、地面に張り付くように揺れ、まるで自らの意思を持ったかのように微かに震えていた。
モンドは宿の入口で顎に手を当て、じっと老女の姿を見つめる。
「……あの婆さん、どうしてこんな夜更けにまで縫い続けるんだろうな」
ゼフィは静かに隣に立ち、微かな風の気配でモンドの髪を揺らす。
「影がほつれると、人の心が止まらず、夜の間に狂ってしまうと言われています。縫うことで、ひとまずの平穏を保つのです」
二人は宿の外に出て、足元に広がる影を避けながら、老女に近づいた。
夜の空気は冷たく、干草の匂いと土の湿り気が混じり、息をするたびに胸がひんやりとする。
老女は声を上げることなく、ただ針先を揺らし、縫われた影の端をそっと押さえる。
その動作は、無言の祈りのようでもあり、必死の鎮魂のようでもあった。
モンドは小さく咳払いをして、老女の作業に声をかける。
「婆さん、そんなに縫いつづけて、疲れねぇのか?」
老女はゆっくりと顔を上げ、月明かりに浮かぶ皺深い表情で微かに笑った。
「疲れ……それは私のためではありません。縫えば生きるのです、けれど、生きてはいない。影を縫い止めねば、夜の闇に魂は飲まれてしまうのです」
モンドは手にした手記を開き、淡々と記す。
《命の仄火は縫い止められず。影を止めれば人もまた凍りつく。
老女は己を顧みず、他者の微かな光を守り続ける》
ゼフィはその横で、微かに手をかざし、冷気を漂わせる。
ほんのわずかに、縫われた影の端が揺れ、白い息のように立ち昇る。
その氷の気配は、老女の覚悟と静かな悲しみを、目には見えぬ形で慰めるように流れた。
ゼフィは小声で、しかし確かな響きをもって呟く。
「凍った覚悟も、こうしてそっと慰められることで、少しは楽になるでしょう」
老女は答えるでもなく、針を動かし続けた。
夜風が村道を吹き抜け、干草の匂いと冷気が混ざり合う。
地面の影が、糸に縛られつつも微かに震える様子を、モンドは目に焼き付ける。
「動かぬ心は、死人と同じだ。けれど、止めなければ破れ果てる。この村の者たちは、どちらを選ぶんだろうな」
ゼフィは静かに老女の手元を見つめ、言葉を添える。
「縫われた影の奥にも、まだ微かな温もりが残っております。生きた証は完全には消えていないのです」
針の先が土を突く音、遠くで風に揺れる葉のざわめき、夜空に瞬く星の微かな光。
すべてが村の静けさを包み込み、時間はゆっくりと、しかし確実に流れていた。
モンドは手記に続けて書き留める。
《影を縫うことで、村には平穏が訪れる。
だが平穏とは、心の凍結のこと。影が止まる時、人もまた一時の眠りに落ちる。
老女はその眠りを守るため、己の疲れも顧みず縫い続ける》
二人はしばし影の揺れを見つめ、老女の手の動きに心を寄せた。
夜の村は御伽噺のように静謐で、針と糸の音が遠い鐘の音のように響き渡る。
微かな冷気が揺らめき、影の端をほんの少し震わせるたび、眠れる心はかすかに息を吹き返す。
モンドは小さく笑みを浮かべた。
「影が動こうとするうちは、人間もまだ終わっちゃいねぇさ」
ゼフィは穏やかに頷き、二人の影が月光に柔らかく溶け込むのを見届けた。
夜の静けさは、老女の決意と、微かに息づく命の仄火に包まれて、ゆっくりと時を刻んでいた。




