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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
影を縫う裁縫師
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 旅の途上、モンドとゼフィは山裾にひっそりと佇む小さな村へと辿り着いた。

 昼の光は村を満たしているはずであったが、空気はどこか薄暗く、木漏れ日すら沈黙を保っているかのようだった。

 道を歩く二人の足音が、乾いた土の上でかすかに響き、遠くの屋根瓦や茅葺の屋根の上で影が揺れる。

 それは自然の影ではなく、まるで独り歩きを覚えたかのように、村人たちの足元で不規則に震えていた。


「……どうにも妙だな。影がばらばらに踊ってるみてぇだ」


 モンドは顎を撫で、目の端で揺れる影を追った。

 その表情には疲れが滲むが、同時に観察者としての好奇心が宿っている。

 ゼフィは静かに一歩下がり、村の隅々を見渡す。

 人々の微かな動作、風に揺れる草の葉、そして影の微妙な揺らぎ――すべてを慎重に見極めるように。


「この村には、『影縫い』の仕事があるようです」


 ゼフィの声は柔らかく、しかし明晰で、旅の疲れを抱えるモンドの耳にしっかり届いた。


「ほつれた影を針で縫い直すのだとか……影が乱れると、人が壊れると信じられているようです」


 村の奥へ進むと、古びた屋根の下に掲げられた小さな札が目に入った。

 墨で丁寧に書かれた文字は微かにかすれているが、「影縫承ります」と読めた。

 軒先には古い木製の椅子が置かれ、黒糸を指に絡ませた年老いた裁縫師がひとり座していた。

 髪は白く、肩を落とした姿は長年の疲労を物語る。

 だがその瞳には、静かな決意が宿っていた。


「影がほつれると、心が落ち着かなくなる。 夜ごと、悪夢や声が人の胸を裂く。だから、私は縫うのです」


 裁縫師の声は細く、静かに、しかし確かに空気に溶けた。

 手元の針は軽やかに動き、ほつれかけた影を地面にそっと縫い付ける。

 縫い終わった影はぴたりと張り付き、もはや揺れることはない。

 だが縫われた人間の顔は凪いだ水面のようで、喜怒哀楽の波が消えていた。


 モンドはその様子を見つめ、皮肉を含んだ息を吐く。


「なるほどな。影を縫えば、心も静まる。だが、これじゃ死人のようだ」


 ゼフィは縫い目を覗き込み、冷たい空気を指先に漂わせた。

 村の空気がわずかに凍り、吐息が白く揺らめく。


「……この冷たさ、影の奥に溜まっています」


「おい、それはお前のせいじゃねぇだろうな」


「違います。縫い止められた影が、動きを求めて凍っているのです」


 ゼフィの声には確信がありながらも、どこか悲しげな響きがあった。

 モンドは彼女を見やり、短く息を吐いた。


「動かねぇ心は、死体と変わらねぇ。けど――動けばまた痛む。村の連中は、どっちを選んだんだろうな」


 裁縫師の手が止まり、針の先が微かに震えた。


「……選んでなどおりません。影を縫わねば、夜に飲まれてしまう。私は……縫うしかないのです」


 その声は懺悔のようでもあり、祈りのようでもあった。

 モンドは何も言わず、懐から手記を取り出す。

 その筆致は淡々としているが、記される言葉には微かな熱が宿る。


 《影を縫うことで、村は平穏を得た。

 だが平穏とは、心の死の別名である。

 影が止まる時、人もまた凍りつく。》


 ゼフィの吐息が、再び白く光を帯びた。

 冷気は針と土の間を静かに渡り、縫い付けられた影の端をかすかに揺らす。

 それは、凍てついた心の奥で、まだわずかに残る温もりが息をしているかのようだった。


 モンドはわずかに笑みをこぼした。


「……まぁ、影が動こうとするうちは、人間もまだ終わっちゃいねぇさ」


 その言葉に、ゼフィは小さく頷いた。

 風が村の通りを抜け、干草と土の香りを運ぶ。

 針と糸の音、静かな息遣い、そして氷の匂いが交じり合い、

 昼の村はまるで時間そのものが縫い止められたように、静かに息を潜めていた。

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