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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
水面のスープ
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 気がつけば、二人は湖畔の小さな草地で眠っていた。

 焚き火の跡も、老人の姿も、鍋も、すべて跡形もなく消えている。

 干上がった湖の底は、ひび割れた泥と枯れた草が広がり、かつて水面だった名残の湿り気はほとんど残っていなかった。

 夕陽の光が低く差し込み、ひび割れや枯草を淡く染める。

 地面の割れ目からは乾いた土の匂いが立ち上り、風に乗って干し草の香ばしさがかすかに漂う。


 モンドは小さく息をつき、目の前の景色を確かめる。


「……こりゃ、狸にでも化かされちまったかな」


 呟きは自然に出たもので、どこか皮肉げな響きを帯びていた。


 ゼフィはそっと隣で頷き、干上がった湖底をじっと見つめる。

 ひび割れた泥と枯草の色合いは、滑稽でありながらもどこか美しく、まるで吟遊詩人が紡ぐ物語の一節のようだった。

 現実と幻想の境界がゆるやかに溶け、二人は湖が見せた不思議な変化に引き込まれる。


 二人は、先ほど味わったスープのことを思い出す。

 あの時はまだ湖に水が少し残り、干上がりつつある湖面が光を反射していた。

 その柔らかい光と湯気の匂い、温もりを含んだ空気が、味に独特の深みを与えていたのだ。


 手元に残った材料で、あの味を再現してみようと、モンドが火を起こす。

 薪に火がつくと、乾いた草や泥の匂いに混じり、香ばしい煙がゆっくりと立ち上った。

 火をつけた直後、まだ夕陽は西の空に残り、湖底のひび割れや枯草は柔らかな茜色に染まっていた。


 モンドは火加減や材料の量、手順に意識を集中させ、指先と目で確かめながら丁寧に鍋を扱う。

 日が沈みかける頃、空は茜色から深い紫へ移ろい、湖底のひび割れや枯草の影は、夕陽の残光に柔らかく揺れる。

 湯気は湖底に漂い、風に揺れる草の影とともに、時間の流れをゆるやかに示していた。


 ゼフィは味見をして、微妙な違いを指摘する。


「少し違う。材料は同じ筈なのに……」


 湯気はゆらりと揺れ、湖底の亀裂が落とす影の微妙な動きまでも、味に影響することを二人は自然に理解する。

 完全な再現は不可能だ。

 しかし、わずかに近づけたことが、二人に静かな満足をもたらした。


 モンドは鍋の中を見つめ、目を細めて小さく笑う。


「少しだけ近づけた気もするがな。これはこれで悪くねぇ」


 ゼフィは静かに答える。


「しかし、近づいたからこそ、あの時の味までの道のりが遠く感じます」


 夜風が頬をなで、湯気の香りがかすかに漂う。

 干上がった湖底のひび割れと枯草に、夕陽の残光と茜色の影が柔らかく落ちる。

 風に揺れる草と湯気は、湖底の記憶をそっと呼び覚ますかのように漂い、湖畔全体が茜色から深い紫へ移ろう。

 時間の変化とともに、周囲を静かに包み込む。


 二人はしばらく黙ったまま、干上がった湖底の光景と、空に残る茜色が紫へと変わる残照を見つめる。

 湖底のひび割れや枯草の陰影は、静かに過ぎ去った時間を映し出していた。

 モンドは小さく息を吐き、鍋をかき混ぜる指先を止め、目の前の景色に視線を落とす。

 

「……それにしても、あの時の湖とはまるで違う。見事なもんだ」


 ゼフィもまた、そっと目を閉じ、記憶の中の味と光、湖の変化した光景を心に刻む。


 湖底のひび割れ、枯草の影、夕陽から夜へと移ろう空、立ち上る湯気――

 それらすべてが、二人の体験を静かに抱き込み、言葉にできないもどかしさと静寂を残す。

 干上がった今の湖と、わずかに水があったあの時との対比が、二人の胸に深い余韻を刻んだ。

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