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湖畔の焚き火の傍で、モンドとゼフィは静かに立ち尽くしていた。
湯気がゆらりと風に揺れ、わずかに残る水たまりや湿った泥に反射する光が淡く揺らぐ。
干し草の香ばしい匂いと、湖の湿った香り、そして微かな焚き火の煙の匂いが混ざり合い、空間は不思議な静けさに包まれていた。
「どうぞ、味わってみなさい」
老人の声は柔らかく、湖畔の風に乗って届いた。
それは促すというよりも、そっと招き入れるような言い方だった。
二人は目を見合わせ、互いに小さくうなずくと、ゆっくりと鍋のそばに近づいた。
火にかけられた鍋は、まだ熱を帯びていて、湯気が淡い絵のように空に描かれる。
スプーンを手に取り、まずは香りを感じる。
湯気とともに立ち上る香草の香り、干し草のやさしい香ばしさ、湖の湿った匂いが、舌に乗る前から心に染み込むようだ。
モンドは小さく息をつき、ゼフィも唇を閉じたまま、その匂いと湯気の揺らぎを見つめる。
炎の光は揺れ、わずかに残る水たまりに映る夕焼けの茜色も微かに揺らぎ、まるで時間そのものが緩やかに波打っているかのようだった。
「ずいぶんと、時間の跡が残ってるな」
モンドがぽつりと呟く。
目の前の景色をじっと見つめ、湿った湖底や干上がった泥の表情を確かめるようにしている。
老人は微笑み、鍋をかき混ぜながら静かに頷いた。
「この味を覚えておいてもらえて、よかった」
老人が静かに呟く。
声は遠くの水面に反射して、微かに揺れる。
二人は顔を見合わせ、思わずその意味を尋ねる。
「なぜ、この湖は干上がりかけてんだ?」
モンドの問いに、老人は軽く笑みを浮かべ、鍋をかき混ぜながら答える。
「自然の時間がそうさせているのさ。答えを求めるものではない」
ゼフィもまた、問いかける。
「でも、この味は――」
「それは今、ここにある。それで十分だろうよ」
老人の返事は柔らかく、しかし確かな落ち着きを持って、二人の疑問をのらりと受け流した。
二人は静かにスプーンを口に運ぶ。
味は単純だ。
湖水のほのかな塩分、干し草の香草の風味、わずかに残る泥の香り。
しかしそれは、単純な味わいの奥に、深い時間の層を映し出していた。
口に入れると、舌の上で広がるのは、単なる塩味や草の香りではなく、湖が刻んできた季節の光、風に運ばれる草の匂い、夕焼けの空の色までもを含むような、不思議で言葉にできない感覚だった。
湯気は揺れ、湖底の湿った地面は微かに光を反射し、茜色の空は刻々と色を変える。
光と影、香りと味が重なり合い、二人は意識するよりも先に、その瞬間に吸い込まれていく。
口の中の味わいだけでなく、視界の光景、風の肌触り、湯気の淡い流れまでもが、ひとつの深い経験として心に残る。
老人は微笑みながら、鍋の中を静かにかき混ぜ続ける。
その所作は、湖の干上がった底に残る時間を守るかのようで、二人は言葉を交わすことなく、その姿を見つめていた。
やがて、モンドが小さな声で尋ねる。
「この味は、どうしてこんなに…」
「わかる必要はない。ただありのままに感じればよい」
老人の声は軽く、風と共に流れ、二人の問いはゆっくりと溶けていった。
風が頬をなで、湯気は空気中で淡く漂う。
わずかに残る水たまりや湿った地面に映る光が揺れ、茜色の空も刻々と変化する。
モンドもゼフィも、まだ完全には理解できないが、この瞬間に立ち会えたことの特別さを、言葉にならない確かさで感じていた。
湖畔の静けさ、湯気の揺らぎ、わずかに水を残した湖底に映る光、茜色の空、そして老人の穏やかな声と所作。
それらが一つに溶け合い、二人はゆっくりと、ただ目の前の光景に身を委ねていった。




