36
シロの案内に従い、二人は再び墓地へと足を踏み入れた。
風の音さえ吸い込まれるような静寂の中、夜気が地を這っている。
湿り気を帯びた冷気が頬を撫で、草の先には露がひと粒ずつ光を宿していた。
その光は命の名残のように脆く、息を吹きかければ消えてしまいそうだった。
モンドは肩の外套をわずかに締め直し、視線を低く落とす。
隣ではゼフィが膝をつき、墓標の影に身を沈めていた。
二人の吐息は白く、夜に溶けていく。
――昨日より、冷えやがるな。
モンドは胸の奥で呟いた。
地面からは白い靄が立ち上り、墓地を覆いはじめていた。
その時だった。
風の合間に、甲冑がぶつかり合う金属音がかすかに響いた。
錆びた鐘のような、鈍くくぐもった音。
闇の中央では、ひとりの騎士が異形と剣を交えていた。
騎士の鎧は銀の光を帯び、兜の奥からは驚愕にも似た表情が覗く。
対する異形は人の形を保ちながらも腕が異様に長く、皮膚は煤のように黒い。
歪んだ顔の奥で、双眸が赤く爛々と燃えていた。
剣が火花を散らすたび、周囲の闇が一瞬だけ明滅する。
音が夜を裂き、墓標の影が波のように揺れた。
地面には、踏みしだかれた霜混じりの土。
足を運ぶたびに鈍い音が響く。
金属が悲鳴を上げ、空気が焼けた。
異形の動きは、昨日とはまるで違っていた。
かつて一方的に叩き潰されていた黒い影が、今は剣を受け止め、爪で切り返している。
闇が唸り、異形の腕が鞭のように伸びる。
鎧の隙間を狙って鋭く薙いだ。
火花が散り、霊騎士は体を捻って半歩退くと、返す刃で横薙ぎに斬り返す。
鈍い衝撃音。
異形の肩口から黒い靄が噴き上がる。
だが、それは血のように飛び散るだけで、すぐに形を取り戻した。
異形の両腕が膨張し、筋のような影がうごめく。
爪が地面を削り、石片が弾け飛ぶ。
激突のたびに空気が震え、地の底からうなりが響く。
「なんだありゃ……昨日と同じ化け物か?」
モンドが低く呟く。
ゼフィは息を整え、闇の中の動きを見極めようと目を細めた。
「どうしますか? 引きますか?」
「……いや。互角のうちに仕留めちまおう。これ以上強くなられたら厄介だ」
モンドの声は刃のように冷ややかだった。
ゼフィは頷き、指先で土をすくう。
湿った感触が掌に広がり、大地の冷たい鼓動が伝わる。
霊騎士の剣が閃き、異形の胸を裂く。
だが異形は怯まず、獣じみた咆哮と共に突進した。
鎧にぶつかった瞬間、重い音が墓地全体に響く。
鉄と鉄が噛み合い、きしむ音が耳を打つ。
互いの力が拮抗し、押し合う影の間に火花が雨のように散った。
霊騎士が地を蹴り、銀光が奔る。
次の瞬間、異形の右腕が弾け飛んだ。
だが黒い靄が断面を覆い、腕はじわじわと再生していく。
「仕掛け時は任せる」
モンドの声に、ゼフィの瞳が冷たく光る。
彼女は膝をつき、掌を地面に押し当てた。
霜が広がるように冷気が走り、墓地の地面に白い筋が浮かぶ。
それが蜘蛛の巣のように広がり、異形の足元を包み込んだ。
闇の獣が苦鳴を上げる。
足元から立ち上る霜が動きを封じ、絡みつく。
異形は暴れ、爪を振るい、地を割らんばかりに抗う。
氷の鎖が軋み、ひび割れた。
「仕留めます」
その声が合図だった。
地を割って鋭い氷の槍が幾筋も突き上がる。
黒い影を正確に貫き、赤い双眸を貫通した。
異形の悲鳴が墓地全体に響き、墓標が震え、露が散る。
血の代わりに黒い靄が噴き上がり、冷気と混ざって白い霧となった。
それでも異形は再生を試みる。
溶けた腕が形を取り、裂かれた胴が閉じようとする。
だがゼフィの術はそれを許さなかった。
氷の刃が連鎖的に突き上がり、異形を串刺しにする。
冷気が渦を巻き、夜そのものが凍りつくようだった。
最後の悲鳴が途切れる。
異形の体はどろりと崩れ、泥のように地へと溶けて消えた。
墓地に静寂が戻る。
風が吹き抜け、墓標がわずかに軋む。
霊騎士はその場に立ち尽くし、剣を下ろしたまま動かない。
鎧の輪郭が揺らぎ、銀の光が滲む。
その姿は、消えかけた炎のように脆く、それでも確かにそこに在った。
モンドは息を吐き、ゼフィを見る。
「……仕留めたな」
ゼフィは頷き、氷の残滓を見つめた。
「これで村も、ひとまず安全です」
二人は沈黙のまま霊騎士を見つめた。
彼はなお剣を握り、ただ夜の奥を見つめ続けていた。




