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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
影を聴く刻
35/70

35

 部屋の戸を静かに閉めると、外の風が一瞬だけ室内に流れ込み、乾いた木の匂いを残してすぐに消えていった。

 窓から差し込む昼下がりの光が床を斜めに照らし、微細な埃がその中で金粉のように揺れている。

 旅籠の一室は質素だが、よく掃き清められており、静けさの中に人の営みの気配が微かに残っていた。


 卓の上の油灯は既に消され、代わりに陽光が穏やかに部屋を満たしている。

 小さな茶器が二つ、まだ湯気を立てていた。

 モンドは腰掛け、湯を一口含んでから杯を手に取り、しばしその表面を眺める。

 杯の底に映る自分の顔を見つめ、苦笑まじりに蓋を閉じた。


 ゼフィは窓辺に立ち、外の方角を確かめるように視線を巡らせる。


「なあ、あの騎士の霊ってのは、村を救った騎士様ってことかね?」


 モンドがぽつりとつぶやいた。

 その声には皮肉の縁取りがあるが、眼差しの奥には思索の色が濃い。


 ゼフィはしばし沈黙し、手元の茶器を両手で包みながら答える。


「直接お話を伺える相手でもなければ、断定はできません。ですが――あの立ち居振る舞い、剣の握り方や足運びは、我流というより、鍛え上げられた剣士のそれでした」


「なるほどな」


 モンドは低く唸るように言い、杯を指先で転がす。


「だが、奴がやたらめったら斬りつけていた化け物は新顔なんだろう。昔からいるもんなら、村長が話をしてそうだ」


 ゼフィはゆるやかに頷き、窓の外へ視線をやった。


「影が握っていた、あの鍬や剣のような形……あれが何かを示しているのかもしれません」


 モンドはその指摘に口角を上げ、軽く鼻を鳴らす。


「言いたいことはわからんでもねぇが……気にしすぎだ。ただの影なら形を変えるのも変幻自在。そう見えただけよ。ただまあ、話をつなげちまうのも無理はねぇ」


 ゼフィはその軽口にわずかに笑みを浮かべつつも、表情を戻した。


「私たちにできることは何でしょうか。村を助けるには、どう動けばいいか」


 モンドは息を吐き、顎を掌で押しながら考え込む。

 窓の外を見れば、昼光に溶けかけた山影がのどかに揺れていた。


「簡単な話だ。力押しだよ。俺たちに出来ることってのは結局、敵を叩くことだろ? 化け物が村を困らせているんなら、先にそいつを潰す。騎士の霊は……向こうの出方を見て考えりゃいい。もし騎士が襲ってくるなら、討たねぇといけねえしな」


 ゼフィはその言葉に静かに頷き、低く確認するように言う。


「襲いかかってきた場合は討伐する、ということですね」


 モンドは杯の縁を指で弾き、乾いた音を鳴らした。


「当然。自分の命を守ってこその人生よ。ま、あっちが話の分かる相手なら、それに越したことはねぇけどな」


 ゼフィは穏やかに微笑み、柔らかい声に戻る。


「では、実際の立ち回りですけれど、これはいつも通りでお願いします」


 モンドは苦笑しながら腕を組む。


「了解だ。お互い怪我ないよう気を引き締めていくとしようか」


 ゼフィは少し困ったように眉を寄せるが、やがて柔らかく笑った。


「一番怪我をしそうなのはモンド様なのですけれどね」


「そいつは心外だな。俺だってもう若くねぇ、慎重にやるさ」


 モンドが冗談めかして返すと、ゼフィは控えめに笑った。


 短い沈黙が流れ、風が窓をわずかに鳴らす。

 外では小鳥の声が途切れ途切れに響き、昼下がりの光がゆっくりと部屋に満ちていく。

 二人は互いの顔を見合い、言葉少なに頷いた。

 その静けさの中で、次の戦いへの決意だけが、確かに息づいていた。

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