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部屋の戸を静かに閉めると、外の風が一瞬だけ室内に流れ込み、乾いた木の匂いを残してすぐに消えていった。
窓から差し込む昼下がりの光が床を斜めに照らし、微細な埃がその中で金粉のように揺れている。
旅籠の一室は質素だが、よく掃き清められており、静けさの中に人の営みの気配が微かに残っていた。
卓の上の油灯は既に消され、代わりに陽光が穏やかに部屋を満たしている。
小さな茶器が二つ、まだ湯気を立てていた。
モンドは腰掛け、湯を一口含んでから杯を手に取り、しばしその表面を眺める。
杯の底に映る自分の顔を見つめ、苦笑まじりに蓋を閉じた。
ゼフィは窓辺に立ち、外の方角を確かめるように視線を巡らせる。
「なあ、あの騎士の霊ってのは、村を救った騎士様ってことかね?」
モンドがぽつりとつぶやいた。
その声には皮肉の縁取りがあるが、眼差しの奥には思索の色が濃い。
ゼフィはしばし沈黙し、手元の茶器を両手で包みながら答える。
「直接お話を伺える相手でもなければ、断定はできません。ですが――あの立ち居振る舞い、剣の握り方や足運びは、我流というより、鍛え上げられた剣士のそれでした」
「なるほどな」
モンドは低く唸るように言い、杯を指先で転がす。
「だが、奴がやたらめったら斬りつけていた化け物は新顔なんだろう。昔からいるもんなら、村長が話をしてそうだ」
ゼフィはゆるやかに頷き、窓の外へ視線をやった。
「影が握っていた、あの鍬や剣のような形……あれが何かを示しているのかもしれません」
モンドはその指摘に口角を上げ、軽く鼻を鳴らす。
「言いたいことはわからんでもねぇが……気にしすぎだ。ただの影なら形を変えるのも変幻自在。そう見えただけよ。ただまあ、話をつなげちまうのも無理はねぇ」
ゼフィはその軽口にわずかに笑みを浮かべつつも、表情を戻した。
「私たちにできることは何でしょうか。村を助けるには、どう動けばいいか」
モンドは息を吐き、顎を掌で押しながら考え込む。
窓の外を見れば、昼光に溶けかけた山影がのどかに揺れていた。
「簡単な話だ。力押しだよ。俺たちに出来ることってのは結局、敵を叩くことだろ? 化け物が村を困らせているんなら、先にそいつを潰す。騎士の霊は……向こうの出方を見て考えりゃいい。もし騎士が襲ってくるなら、討たねぇといけねえしな」
ゼフィはその言葉に静かに頷き、低く確認するように言う。
「襲いかかってきた場合は討伐する、ということですね」
モンドは杯の縁を指で弾き、乾いた音を鳴らした。
「当然。自分の命を守ってこその人生よ。ま、あっちが話の分かる相手なら、それに越したことはねぇけどな」
ゼフィは穏やかに微笑み、柔らかい声に戻る。
「では、実際の立ち回りですけれど、これはいつも通りでお願いします」
モンドは苦笑しながら腕を組む。
「了解だ。お互い怪我ないよう気を引き締めていくとしようか」
ゼフィは少し困ったように眉を寄せるが、やがて柔らかく笑った。
「一番怪我をしそうなのはモンド様なのですけれどね」
「そいつは心外だな。俺だってもう若くねぇ、慎重にやるさ」
モンドが冗談めかして返すと、ゼフィは控えめに笑った。
短い沈黙が流れ、風が窓をわずかに鳴らす。
外では小鳥の声が途切れ途切れに響き、昼下がりの光がゆっくりと部屋に満ちていく。
二人は互いの顔を見合い、言葉少なに頷いた。
その静けさの中で、次の戦いへの決意だけが、確かに息づいていた。




