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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
影を聴く刻
31/70

31

 騎士の亡骸は村人に託された。

 静馬と生き残った騎士たちは武具を点検し、馬を繋ぎ、血と泥に汚れた鎧を拭いながら、次の戦いに備えていく。

 痕跡が消える前に敵を討たねばならない。

 悲しみに立ち止まる余裕など、誰一人として許されてはいなかった。


 その背へ、ためらいがちな声が投げかけられる。

 顔に煤を残した若い男、腕に包帯を巻いた老人、そして家族を失った女。

 粗末な槍や鍬を握りしめ、言葉はなくとも、血走った瞳だけが強い意志を告げていた。


 静馬は一瞬、彼らを拒もうとする。

 守るべきは村人であり、戦場に連れ出すなど騎士の本分に反する――そう考えた。

 だが、亡き者の無念に背を押されて踏み出そうとする心を、どうして押し返せようか。

 唇を噛み、やがて小さく頷く。


 こうして、騎士と志願の村人は山間の洞窟へ向かった。

 湿った空気がまとわりつき、岩壁の裂け目からは冷気が忍び寄る。

 村人たちは互いの肩を叩き合い、震える呼吸を押し殺しながら進んだ。

 静馬はその背を見守りつつ、胸の奥に針のような不安を覚えていた。


 ――罠が口を開いたのは、洞窟に踏み入って間もなくのこと。

 矢が闇を裂き、ひとりの村人が胸を押さえて崩れ落ちる。

 頭上から岩が落ち、老人の肩を砕いた。

 骨の割れる鈍い音が洞窟内に響き、息を呑む間もなく恐怖が四肢を締め上げる。


 悲鳴が洞窟を満たした。

 泥を蹴り、壁にぶつかり、出口めがけて這い出していく者たち。

 静馬は一瞬、手を伸ばしかけるが、戦いに戻らざるを得なかった。

 残された者たちは、生死の境目で互いを押し合い、倒れ伏す仲間の上を跨ぎ、死の匂いと熱を浴びながら前進するしかない。


 騎士は盾を掲げ、怒号とともに前へ出る。

 狭い岩窟では剣を振るう余地すらなく、刃は互いの喉や腕、肩や足首を狙って突き込まれた。

 鉄が肉を裂くたびに血が飛び散り、湿った床に溶け込んで滑る足元を奪う。

 肩や腕を押さえつけられ、拳や歯で噛みつきながら体同士がぶつかり合った。


 鍬を握った女が背後から賊の頭を打ち砕く。

 振り抜いた腕は痺れ、血に濡れた柄が手から滑り落ちそうになる。

 だが足を竦ませることなく、歯を噛み砕かんばかりに踏みとどまった。


 呻きが壁に反響し、濃厚な臭気が呼吸を圧迫する。

 刃が鉄を弾く音は雷鳴のように響き、床には血と泥が混じり合って小さな川となり、足首を濡らした。

 倒れた敵を押しのけ、仲間の亡骸を跨ぎ、殴り、噛みつきながら進んでいく。


 老人は折れた槍で敵の膝を突き崩し、自らも足首の激痛に顔を歪めながら、なお立ち上がる。

 互いに視線を合わせることでしか、生きている確かさを確かめられなかった。


 静馬は剣を押し込み、盾で頭部を弾き飛ばす。

 血で濡れた床に何度も足を取られながら、それでも押し返しては踏み込み、倒れ伏す敵を背に次の一撃を振るった。


 やがて洞窟に静寂が訪れる。

 残ったのは折り重なる骸だけ。

 騎士も賊も、どちらがどちらか分からぬほど混然と倒れ、鉄と血の匂いだけが立ちこめていた。

 刃の欠けた破片、折れた槍、割れた盾――それらはまるで死の墓標のように散乱していた。


 翌日、様子を見に来た村人が洞窟の奥へ踏み込み、全滅を確認する。

 倒れた者たちは損傷が激しく、顔や体の判別がつかないものも多かった。

 村人たちは互いに声を掛け合いながら、恐る恐る亡骸を掘り起こす。

 手で泥を払い、折れた武器や鎧を外し、可能な限り体を整えて村に持ち帰った。


 敵味方の区別はつかずとも、見つけた者はすべて墓地へ運ばれる。

 墓地では穴を掘り、亡骸を横たえ、石を積み、簡素な花を置いた。

 損傷の激しいものは布で包み、村人たちは静かに手を合わせる。

 死者の身元は分からぬまま――だが命を全うした者として、ひとつひとつ埋葬していった。


 幾月が過ぎたある夜。

 月の冴える晩ごとに、墓地のあたりから奇怪な響きが聞こえると囁かれるようになった。

 呻きとも嘆きともつかず、地の底から漏れ出すような低いざわめきが夜気を這っていく。


 ある者はそれを斬られた者の断末魔だと語り、ある者は岩を爪で掻くような軋みに聞こえたと震え上がる。

 またある者は獣の遠吠えのようでありながら、間に混じるのは確かに人の慟哭だったと顔を青ざめさせた。


 夜風が吹くたび、その声は耳を裂くように鮮やかに届き、聞いた者は皆、胸の奥を掴まれる思いがする。

 月明かりに照らされた墓石の影が揺れると、そこに誰かが立ち、泣き叫んでいるようにすら見えた。


 だが誰ひとり確かめに行こうとはせず、ただ戸を固く閉ざし、灯を消して震えるばかり。

 子は泣き止まず、老は祈りを繰り返し、若者は酒に溺れて夜をやり過ごすしかなかった。


 村人たちは声を潜めて言い合った。

 ――あれは死してなお報われぬ者たちの嘆きであり、血に縛られた魂の慟哭なのだ。

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