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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
月光に揺れる魚影
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 朝の光が宿の土間に柔らかく差し込み、湿った藁の匂いと前夜の炭火の香りが混ざり合う。

 深く吸い込むと、長旅の疲れがわずかに緩み、肩や腰の鈍い痛みも少し和らぐ。

 外では川霧が漂い、葦の間を抜ける光が銀色の糸のように揺れる。

 小鳥の囀りが屋根の上から聞こえ、村はまだ眠りから覚めたばかりの静けさをたたえていた。


 ゼフィは窓辺に立ち、白い指先で簾をそっと持ち上げて告げる。


「おはようございます。昨夜はお疲れのご様子でしたが、まずは朝のお食事と参りましょう」


 モンドは布団から体を起こし、肩を伸ばす。

 三十代後半の体には長旅の疲れが残る。

 しかし、朝の澄んだ空気と村の静けさに、気分がわずかに軽くなる。


 台所では女将が釜に火をくべ、湯気が土間いっぱいに立ち昇っていた。

 赤ナマズの干物が炭火で香ばしく焼ける匂いが漂い、旅人や村人たちが土間に集まり始める。

 子供たちの笑い声、鍋の沸く音、炭火のパチパチと弾ける音── ひとつひとつが今日の手記に書き留める価値のある朝の営みだ。


 モンドは木の椅子に腰を下ろし、箸を取り、ひと口ずつ味わう。

 赤ナマズの皮はぱりりと弾け、身は箸でほぐれるほど柔らかい。

 炭火の香りと淡い甘みが口中に広がり、朝の光に照らされた水面の煌めきと相まって、感覚は研ぎ澄まされる。


 朝食を終えると、モンドは箸を置き、手帳は宿に置いたまま、身軽に外へ出る。

 ゼフィも外套を整え、軽く頷いた。


「では、朝の村を少し散策してみましょう」


 二人が外に出ると、川沿いには小舟を押す漁師、網を肩にかける者、洗濯物を揺らす子供たち、井戸端で水を汲む女性の声── 生活の音が川風に乗って耳に届く。

 モンドは歩きながら、川面の反射、葦の揺れ、漁師の動作や子供の笑顔など、心の中で手記のページに刻むつもりで観察する。


 通りかかった老人の漁師が肩を寄せ、声を掛けた。


「おや、旅のお方か。白ひげナマズを探しに来たのかね」


 ゼフィが柔らかく微笑み、少し前に進み出て答える。


「はい、旅の目的は白ひげナマズにございます。昨夜、赤ナマズをいただいた折の味を思い返しますと、さぞかし格別の味わいに違いございましょう」


 老人は肩を落とし、静かにため息をつく。


「そうだねぇ……赤はまだ手に入るが、白は最近めっきり姿を見せんのだ。だが、腕のある料理屋が作る限り、味は守られておる。お前さんたち、しっかり味わってきなさい」


 横にいた漁師が口元に笑みを浮かべ、口を挟む。


「まったく、赤だって腕次第で立派な味になる。あれだって村の誇りの一品さ」


 二人は村をさらに進み、川沿いで小舟に手をかける漁師の手元を観察する。

 網を仕分けし、魚の鮮度を確かめ、互いに声を掛け合う。

 日常の光景だが、モンドには手記に刻むべき豊かな情報に映る。


 やがて漁師が、焼きたての赤ナマズを差し出す。


「もし良ければ、朝の味を少し試してみるかい?」


 モンドは軽く笑みを返し、箸を取り、赤ナマズを頬張る。

 皮の香ばしさ、身の柔らかさ、炭火の甘い香り──朝の川風と村の光景と相まって、感覚が研ぎ澄まされる。


 口の中に味わいが広がると、モンドは自然と心中で呟いた。


(赤がこれほど旨い…… なら、ここで食べる白ひげナマズはどれほどだろうな。想像するだけでも唾が出ちまう)


 ゼフィは横で微笑み、そっと囁く。


「今日一日も、旅の手記には十分な素材が揃いそうですね」


 モンドは頷いた。

 朝食、散策、赤ナマズの観察── すべてが、この村での手記に刻むべき出来事であると胸に刻まれる。


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