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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
羽ばたく影と食の焔
19/25

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 頭上でざわめく音がした。

 翅の打ち合う硬質な響きが森の空気を震わせ、まだ薄暗い木立の間に、いくつもの影が複雑に走る。


「来るぞ……油断するな」


 狩人が低く告げ、弓を引き絞った。


 枝葉の間を縫って姿を現したのは、異形の飛翔者の群れだった。

 緑褐色の外殻は朝の湿りを帯び、光を受けるたび鈍く輝く。

 大きく発達した後脚は岩のように張り出し、鋭い棘を備えた脛節が木肌をかすめていく。

 跳ね上がった瞬間、鞘のように硬い前翅がぱきりと開き、薄く透き通る後翅が展開する。

 その一振りで生まれる風が、木の葉をざわりと揺らす。

 翅脈の透けた薄膜は、朝露に濡れた葉脈のように光を受けて揺れ、森の静けさを彩る。


 三角に尖った頭部。

 両側に突き出す複眼は玉虫色を湛え、数えきれぬ光点を映し返す。

 胸節から腹節へ連なる外殻の隙間では、繊維質の筋肉がたわみ、命の鼓動を刻むように蠢いていた。

 獰猛な美しさを孕んだその姿に、モンドは思わず息を呑む。


「……あれが、クリスピオン」


 狩人は獲物の動きを読み、矢を放った。

 羽音を切り裂く鋭い音が森に響き、数体が翼を破られて墜落する。


「大人しくなさい」


 ゼフィが静かに囁き、手をかざす。

 白い靄のような冷気が一気に広がり、枝や地面を覆いながら走った。

 たちまちクリスピオンの後脚が氷蔦に縫いとめられる。

 驚愕の羽ばたきも虚しく、その体は滑るように地へ叩きつけられた。


「おお……見事だ! 大した使い手だな!」


 狩人が叫び、棒を振り下ろす。

 ぐしゃりと頭部が潰れ、透明な体液が草に飛び散る。

 モンドも見様見真似で木の棒を構え、残った一体の頭を叩き砕いた。

 森は再び静寂を取り戻し、空気には翅の残響が僅かに残った。


 やがて合流した狩人たちは、素早く解体に移る。

 まず腹部の外殻に刃を入れると、乾いた殻が裂け、湿りを帯びた白濁液がにじみ出す。

 さらに深く切り進めると、管のような腸がずるりと押し出され、地面に崩れ落ちた。

 薄皮に覆われた腸管の中には、細かく噛み砕かれた葉の切片や、まだ形をとどめた樹皮の繊維がぎっしりと詰まっている。

 切り口からは、森の草葉を千切ったばかりのような青い香りが強く立ち上り、湿土の匂いと混じり合って鼻を刺した。


「羽と脚は食えん。腹だけだ」


 狩人が手早く、翅を根元から折り外す。

 翅脈の透けた薄膜は風に揺れ、やがて泥に貼りついた。

 棘の並んだ脚は関節ごとに切り離され、乾いた音を立てて積み重なっていく。


 腹部を割ると、内側は意外なほど繊細な橙色を帯びていた。

 半透明の筋繊維が光を受けてきらめき、刃を入れるとふるりと震えながら裂ける。

 そこから漂うのは、どこか海老に似た甘やかな香気だった。


「川魚より旨味があるんだ」


 狩人が笑い、肉をいくつかに切り分けて袋へ収める。


 モンドは興味深げにその手元を見つめ、ゼフィは黙って頷きながら動きを真似た。

 二人の手にも血と体液がこびりつき、革袋に押し込むたび、指先に温もりが残る。


 やがて残った腸や脚の断片は一か所にまとめられた。

 狩人たちは森の片隅を選び、土を掘り返す。

 地面に口を開けた穴へ、内臓の塊が投げ込まれると、湿った音を立てて沈んだ。

 葉や樹皮を含んだ未消化物が最後に投げ込まれ、青く甘苦い香りがふわりと広がった。


 モンドとゼフィも膝をつき、土を押し戻す。

 服と手が泥に汚れ、指の隙間や爪の奥にまで入り込む。

 しかしそれを気にする暇もなく、二人はまるで土と一体になるかのように黙々と作業を続けた。

 やがて残渣の匂いは大地に封じられ、森の空気に静けさが戻る。


「……よし、今日は助かった。お前たちのおかげで大漁だ。これだけ腸を埋めれば土も腹も満たせるだろうよ」


 狩人は額の汗を拭いながら笑った。


 こうして、シルフィダとクリスピオン。

 二つの獲物は、調理へと運ばれる準備を整えられたのだった。

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