16
焚き火の炎が木々に影を落とし、森の闇を淡く揺らす。
モンドは干魚を炙り、香ばしい煙を胸に吸い込み、酒をチビリと口に運ぶ。
湿った落ち葉の匂い、苔の甘い香り、樹液の微かな濃厚さ――それらが森の空気に混じり、静けさの中に深みを与えていた。
森の奥深く、仄白い幻燐が枝や葉の隙間を縫うように漂う。
焚き火の紅に微かに蒼を帯び、夜気の中で静かに舞った。
光は夜気を切り裂くように漂い、風に呼応して形を変え、森の奥から届く微かなざわめきを受けて揺れる。
跳ねる光が葉の裏に潜む小さな虫の影を照らし、森の夜は微かな動きや匂いに満ちていた。
空を見上げれば、手の届かぬ星々が無数に散りばめられ、冷たい光を放つ。
モンドは視線を空に漂う星々にやり、次いで森の幻燐に移す。
星の静謐と幻燐の妖しさ――二つの光を交互に追い、胸の奥でその違いを噛みしめる。
手に届きそうな小さな幻燐は、近づけば禍を帯びる危うさを孕む。
しかし遠くから眺めれば、星々に劣らぬ趣きを放ち、胸を満たす。
その危うさと美しさの均衡が、夜の森の深みをさらに引き立てた。
モンドは短く息を吐き、肩をすくめて呟いた。
「何事も……程々ってやつかもしれねぇな。肴には、申し分ねぇ」
雲間に覗く星がひとつ、またひとつ瞬き、夜空は深く澄んでいる。
ゼフィはその光景に瞳を重ね、声を低く落とす。
「恐ろしさを知ったからこそ……より映えるように感じます」
モンドは返す言葉もなく、杯をあおる。
ゼフィの言葉に同意するように、酒が喉を滑り落ちた。
シロは周囲の風を慎重に集め、森の気配を嗅ぎ分けながら、炙る干魚の香ばしい匂いに思わず尾を揺らす。
微かに震える毛並み、鼻先に漂う匂い――その仕草は、緊張と欲望の間に揺れる一瞬を示していた。
ゼフィは微笑み、囁くように告げる。
「シロさんの分も、ありますから安心して下さい」
モンドは静かに頷き、次のひと仕事を告げる。
「今日はよく働いたな、シロ。お嬢さん、手早く作れそうなものを一品追加してやんな」
ゼフィは荷物をあらため、手早く料理の手順を思い浮かべ、指先に移す。
焚き火の暖かな光は二人と一匹を包み、森の闇に伸びる影を柔らかく揺らす。
仄白と蒼の揺らめく幻燐は、枝の間を縫い、葉裏をくぐり、微かな風に呼応して形を変える。
小さな虫や鳥の気配が木々の間を走り、葉先を揺らす音が夜のリズムを生む。
森の奥から届く風は、落ち葉の感触や干魚の匂いを運び、焚き火の炎は煙と温もりを静かに拡散した。
モンドは干魚の煙と夜気を胸いっぱいに吸い込み、目を細める。
星の静謐、幻燐の妖しさ、焚き火の温もり――それぞれの光景が、ひとつの夜の記憶として心に刻まれる。
胸の奥に残るのは、森の深みで味わった緊張と、今ここにある穏やかな安堵。
手元の杯を軽く傾け、目を閉じれば、焚き火の揺らめきに幻燐の光が映り、夜の空気と共鳴する。
仄白と蒼の光は、森の奥深くに潜む未知の息吹を映し出すかのように漂い、視界に収まらぬほど広がる。
夜の匂い、火の香ばしさ、風に乗る微かな湿り気――それらすべてが、夜の記憶となって胸に染み込む。
モンドは微かに笑みを浮かべ、思う。
――今日の森の光も、手に届かぬ星も、胸を奪う趣きは変わらぬ。
恐ろしさを知ったからこそ、より鮮やかに心に残るのだと。
焚き火の光はまだ揺れ、香ばしい匂いは夜気に溶け、風は森の枝を優しく撫でる。
二人と一匹は、その柔らかな光に抱かれ、静かに夜を過ごした。
著書:根なしの味わい
第二章、評言
> かくも賑わいし市の喧騒を経て、我らは糧を得、手にしたる品々に心和むことを覚えたり。
森の奥にて幻燐の淡き光に目を奪われし時、常ならぬ妙なる営みを目撃せしこと、心奥にて静かに震う。
焚き火の炎、湯気の香、森と市場の交わりし香味、すべては日常の外に在り、ただ我らを温め、眼前の風景に深き味わいを添えたり。
されど、この安寧も幻燐の如く儚く移ろいゆくもの。
然れど、その儚き中に潜む美しき秩序、静かなる生命の脈動を知ることこそ、我らの眼を澄まし、心を満たすものなり。
ゆえに今日の一日を振り返り、ただ一言、申す――真の味わいと美しきものは、眼前にて確かに在り、心を打つものなり。