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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
夢幻の光跡
15/25

15

 シロは突然低く身を沈めると、前方の空気を裂くように突風を放った。

 ざわり、と森の枝葉が激しく鳴動し、押し流された闇の中で、仄白い光が一斉に弾ける。


 それは遠くに倒れた獣の周りだけに漂っているように見えた幻燐が、すでに目と鼻の先まで迫っていた証だった。


 モンドとゼフィは、思わず息を呑む。

 ――光を抑えて忍び寄っていたのか。

 背筋をひやりと撫でる感覚に、二人はようやく幻燐の意図を悟った。


「はは……派手に光ってりゃ気取られる。闇に紛れて近づくってわけか。したたかな生き様じゃねぇか」


 強張った空気を誤魔化すように、モンドが口角をヒクつかせながら言葉を洩らす。


 しかしシロは振り返り、牙を見せて低く吠えた。

 ――冗談を言っている場合ではない、と。


 幻燐の群れは次々と数を増やし、仄白い点が森の奥から湧き出るように広がっていった。

 やがてその光は視界の隅々まで散らばり、夜の森を埋め尽くしていく。


 シロが地を蹴り、再び風を巻き起こす。

 唸る突風に押し流され、迫る仄白い粒は四方へと吹き散った。

 だが――散ったところで終わりではない。


 幻燐たちはすぐさま軌道を取り戻し、森の影を縫うように姿を寄せ合い、じわじわと包囲の輪を狭めていく。


「先導します。遅れませんよう」


 冷えた夜気を切るように、ゼフィの声が鋭く響いた。


「おうさ」


 モンドは即答し、シロは低く吠えて応じる。


 ゼフィは手をかざし、森の闇に冷気の膜を編み上げると、ためらうことなく出口を目指して駆け出した。

 掲げたランタンは荒い息に引き揺れ、冷気の膜が周囲の闇を切り裂き、闇に沈む森の木々を不規則に照らした。


 光と影が交錯するたび、地面に落ちる影が小刻みに揺れ、進路を縫うように二人を誘う。

 ゼフィの表情は毅然としており、恐怖に抗う強い意志が背筋をまっすぐに貫く。

 モンドはその背を見失わぬよう荒い息を吐きながら追う。


 足元の落ち葉を踏むたび微かに舞う霧と光の粒が、夜気に溶け込み、幻想的でありながらも息をつく暇を与えない緊張感を作り出した。


 迫る幻燐の点々は、森の闇を押し裂くように迫り、木々の隙間を縫って容赦なく接近する。

 枝葉がザザッと音を立てるたび、仄白い群れが跳ねるように動き、森全体にひそやかなざわめきが広がった。


 シロは殿に回り、振り返るたびに迫る幻燐を激しい風で吹き飛ばす。

 風は枝を打ち、葉を震わせる。

 だが、風をすり抜ける仄白い光もあり、群れはなお執拗に二人を追う。


 押し寄せる仄白い点々は、森の奥から押し出されるように迫り、まるで夜の波が小石にぶつかって砕けるかのように、瞬間瞬間に弾ける。


 ランタンの炎は風に煽られて細かく揺れ、ゼフィの姿を切り取りながら、不規則に光を散らす。

 二人の呼吸は荒く、冷気の膜と揺れる光の隙間から差し込む森の闇に、身をすくめながらも毅然と前進するしかなかった。


 迫る幻燐の群れは、まるで生き物のように森の奥から蠢き、緊迫した空気をさらに押し広げていた。


 森の匂い、湿った落ち葉を踏みしめる感触、枝の擦れる音――すべてが加速の中で乱れ、後方へと遠ざかっていく。


 掲げられたランタンは風に呑まれ、炎がぱちりと弾けて掻き消えた。

 闇が一気に二人を覆い、その代わりに、仄白い群れが鮮明に浮かび上がる。


 後方だけでなく、森の影からも、左右からも、無数の仄白い点がじわじわと集まり、四方を埋め尽くす。

 そのひとつがゼフィの冷気の膜に触れた。

 音もなく――ただ、仄白い光がすっと掻き消える。

 明滅の痕跡すら残さず、そこにあった輝きが灰に溶けるように消え失せた。


「……効いてる!」


 モンドは胸の奥で安堵を噛みしめながらも、足を止めずにゼフィの背を追う。


 だが、消えた光の隙間を埋めるように、すぐさま新たな幻燐が押し寄せる。

 無数の仄白い点が冷気に触れては、ひとつ、またひとつと静かに消え去る。

 音もなく、淡々と、数を減らしながらも、それ以上の数がなお群れとなって迫り来る。

 森そのものが仄白い群れに変じ、彼らを出口へ追い詰めていくかのようだった。


 一瞬の安堵はすぐにかき消え、胸を締め付けるのは圧迫にも似た恐怖。

 モンドは荒い息を押し殺しながら、ただ足を運び続けるしかなかった。


 息も絶え絶えに走り抜け、ついに野営地の焚き火が視界に飛び込んだ。

 燃えさかる炎が勢いよく揺らめき、まるで彼らを守るかのように紅の光で迎え入れる。

 ゼフィの編んだ冷気の膜も、その炎に照らされ、青と紅の二重の輝きを帯びた。


 振り返れば、森の奥に幻燐の群れが浮かび、行き場を失ったように行きつ戻りつを繰り返している。

 やがて意を決したかのように二、三の仄白い光が飛び出してきた。

 だが、焚き火の炎に強く照らされる距離まで迫った途端、怯えたようにすっと光を消し、闇へと退いていった。


 モンドはその様子を見届け、大きく息を吐き出した。

 胸の奥に張り付いていた緊張がようやくほどけ、重石のように心臓を押さえつけていた圧迫感が静かに離れていく。


 ――だが。

 心の深みに残ったのは、幻燐の妖しき舞と、逃走の最中に味わったあの張り詰めた時間の余韻だった。

 焼き付いた光景は、瞼を閉じてもなお消えそうになかった。


「……したたかすぎだろ」


 モンドは小さく、けれど自然に口をついて出た言葉とおともに、胸に残る緊張の余韻をそっと吐き出した。

 冒頭の冗談が、今の恐怖と安堵を経た後で再び反芻され、笑みのない微かな皮肉となって響いた。

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