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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
夢幻の光跡
12/24

12

 モンドは火打石を手に取り、森で集めた枯葉と細かく裂いた樹皮を小さく山にした。

 かちり、ぱちりと石を打ち合わせ、火花を散らす。

 だが枯葉は黒く焦げるばかりで、すぐに消えてしまう。

 モンドは眉をひそめ、角度を変えては火花を落とし続けた。

 その間も、森の静けさの中に微かな木の香と落ち葉の香ばしさが漂う。


 モンドの背越しに、ゼフィは鍋を用意し、平らな石の上にそっと置いた。

 左手をかざすと、掌から氷柱が伸び出し、澄んだ音を立てて鍋の中に砕け落ちる。

 冷気が一瞬白く揺れ、氷は澄んだ塊となって鍋を満たした。


 三度目の火花が樹皮に吸い込まれ、モンドの手元に煙が立ちのぼる。

 小さな火が赤子の息のように揺れるのを確かめると、彼は慎重に息を吹きかけた。

 炎は橙色の舌となって枯葉を舐め、小枝をくべればぱちぱちと音を立てて燃え広がっていく。

 太い枝が炎を受け止めた頃、鍋の氷も火にかけられる。

 氷が水となり、ゆらめく湯気が森の空気に溶け込み、甘く柔らかな水の匂いが立ち上った。


 湯が小さく泡を立て始めるのを見計らい、ゼフィは乾燥した穀物を鍋に入れる。

 硬い携帯食を砕き入れ、干し豆も加えた。

 さらに銀苔草ぎんたいそうの葉と風蔓かざつるの実をそっと沈める。

 一頻り落とした食材が鍋の中で踊るのを見つめた後、白露茸はくろだけも加える。


 次に干し肉の塊を手に取ったゼフィは、ナイフで薄く削ぎ落とす。

 手首を柔らかく返しながら、細片を一枚ずつ鍋に落とすたび、熱い湯気が立ち上り、香ばしさと干し肉特有の旨味がほのかに漂った。

 材料は湯と馴染みながら、色や香りを少しずつ鍋に溶け合せ、静かに深い旨味が立ち上り始める。

 湯の中で干し豆や穀物、野菜が互いに絡み合い、香りがまろやかにまとまる様子が見て取れた。


 仕上げに、少量の香辛料をそっと振りかける。

 スパイスの香りは控えめに漂い、森で採れた素材の野生的な香りを和らげつつ、湯気に混ざって食欲をじんわり刺激する。

 鍋の中で材料が軽く踊るのを確認しながら、ゼフィは次に入れるものの順番を独りごちるように確かめた。


 鍋の中からは、森と市場で得た食材が溶け合う香りが立ち上った。

 それぞれの器に盛り付けると、ゼフィは手をかざし、シロの器だけ静かに温度を落ち着かせた。

 揺らめく汁は徐々に穏やかさを増し、指先に触れると人肌のぬくもりに近いほどに落ち着いた。


「これで大丈夫ですか?」


 ゼフィがそっと尋ねると、シロは鼻先で器を軽く突き、しっぽをゆっくり振って応えた。


 満足の意志を示すその仕草に、ゼフィは微笑み、二人とシロも加えて声を揃え「いただきます」と言った。

 器を手に取り、湯気をそっと吹いてから口に含む。

 しばし黙して味わったのち、モンドは焚き火の炎を見つめたまま、低くつぶやいた。


「……悪くねぇ」


 その短い感想に、ゼフィは何も言わず、ただ口元に静かな笑みを浮かべた。


 二人の間に流れる沈黙は、どこか温かさを帯びていた。

 その時、不意に森の奥がほの白く揺らめいた。

 淡い光がいくつも浮かび、枝葉の間を漂いながら近づいてくる。

 モンドは匙を止め、目を細める。


「……この森には幻燐が出るんだな」


 ゼフィは視線を追いながら、器をそっと置いた。


「野宿も久しぶりですから……余計に貴重に思えますね」


 時折、数匹の幻燐が野営地に近づいてくる。

 だが火の明かりに触れる距離になると、なぜか掻き消えるように姿を失った。

 その不思議な挙動に、二人は思わず目を奪われる。

 淡い光は木々の隙間を抜け、浮かんでは消え、また現れては漂っていく。


 焚き火の明かりから少し離れ、モンドは森の方へ歩み寄った。

 それを察したシロが低く喉を鳴らすが、彼は気にも留めず足を進める。

 ふわりと漂い寄った幻燐が目の前に浮かぶと、モンドは両の掌をそっと差し伸べ、包み込むように閉じた。

 ゼフィのそばまで戻ると、彼は静かに手を開く。

 だがそこには、光の粒ひとつ残ってはいなかった。


「まったく、世の中には不思議な事ばかりだ」


 肩をすくめるように呟き、焚き火の傍に腰を下ろす。


 やがて、旅の記録を手記に記す。


 ――本日の市、賑わいの中にて得し糧を煮炊きし、味わいは素直にして深し。

 その香ばしさ、かすかに懐旧の情を誘う。

 また幻燐というもの、夜の森に淡き光を放ち、近づけば忽ちに掻き消えぬ。

 世の理の外にありながら、ただ静かに在るさま、幽かにして、心を奪うに足る。


 焚き火の残心と幻燐の余光――その淡い揺らめきに包まれ、二人はしばし沈黙のまま夜を過ごした。

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