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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
夢幻の光跡
10/70

10

 買い揃えた荷を肩にかけ、二人は市場をゆるりと歩いていた。


 広場を抜ける小道には朝靄の余韻が漂い、人々の呼び声や荷車の軋む音が絶え間なく耳を打つ。

 屋台の布を揺らす風には香草や果実の匂いが混じり、喧騒の中にも旅人の足を緩める賑やかさがあった。


 ゼフィは足を止め、陶器の器に指先を触れる。

 釉薬の光沢が朝日にきらりと返り、小さな笑みが彼女の唇に浮かんだ。

 モンドは隣で鼻を鳴らし、肩をほんのりすくめる。

 興味は薄そうだが、どこか穏やかな表情だった。


 通りの端、重厚な木製の扉を備えた店が目に入った。

 看板の葡萄の意匠と、店先の大小の樽が酒屋であることを告げる。

 樽の深い香りがふわりと漂い、モンドの目が自然と細まった。


「……ほぉ、こりゃあ喉が鳴る匂いだな」


 低くつぶやく声には、長旅の疲れを忘れさせる期待が滲んでいた。


 モンドは木の扉を押し開ける。

 中はひんやりと澄み、棚や樽に並ぶ瓶が淡く琥珀色に光っていた。


 奥から店主が現れ、にこやかに手を広げる。


「旅のお方、よいところに。まずはお試しを」


 店主は樽の栓を抜き、木の杯に液体を注ぐ。

 香ばしい麦の香りが立ちのぼる。

 モンドは受け取るとひと口含み、喉を鳴らした。


「……うむ、こいつはすっと腹に馴染むな」


 店主は頷き、棚の瓶を指し示す。


「こちらは軽やかで飲み口がよく、あちらは香り高く力強い一本。旅路に持ち運びやすく保存の利くものもございます」


 モンドは杯を傾け、ゼフィにちらりと目をやる。

 彼女は肩を小さくすくめた。

 その仕草を合図に、モンドは樽の前へ歩み寄った。


「なぁ、この土地ならではの酒ってのはあるか?」


 店主の口元がにやりと歪む。

 奥の大樽を軽く叩き、誇らしげに言った。


「ええとも。村の井戸水と麦で仕込んだ地酒です。少々癖はありますが、好きな方にはたまらないでしょう」


 モンドは樽に手を置き、口の端を上げた。


「へぇ、そいつは面白ぇ。で、値は?」


「銀貨三枚です。滅多に出せぬ品でしてね」


 モンドが唸り、視線を落とす。

 その時、ゼフィが一歩前へ出た。


「……失礼いたします。この方は長い旅の途上でして、荷も多く、路銀も潤沢とは申せません。銀貨二枚半ほどでお譲りいただけませんでしょうか」


 モンドは目を伏せ、口元を引きつらせる。

 小さな心の中で、自分の甲斐性のなさをくすりと笑った。


 店主は腕を組み、しばし考え込む。

 やがて肩をすくめて笑った。


「二枚半では赤字ですが、お嬢さんのお心遣いに免じましょう。二枚七枚銅貨でどうです?」


 ゼフィはにこやかに会釈する。


「ありがとうございます。それでお願い致します」


 支払いを終えると、瓶を受け取ったモンドがにやりと横目でゼフィを見た。


「へっ、やるじゃねぇか。俺が口を開く前に値が下がっちまった」


「お酒は嗜む程度でよろしいのです。その分、道中で美味しいものを召し上がれますから」


「そいつぁ耳が痛ぇな」


 軽口を交わしながら、二人は店を後にした。小道に出ると、朝のざわめきが耳を打つ。


「よしよし、必要なもんは揃ったか。これで当面の旅路も安心だな」


「ええ。日が高くなる前に、道すがら良さそうな野営地を見て回った方が無難です」


 モンドは肩に荷をかけ直し、鼻で軽く笑う。


「ふん、久しぶりに焚き火の前で一杯やるかい。こいつぁ酒が旨ぇってもんだ」


 ゼフィは微笑み、からかうように囁く。


「旅の焚き火で酔っ払って、荷物をひっくり返したりしませんように」


 モンドは片目を細め、にやり。


「おぉ、口うるさいお嬢さんめ。心得ておこう」


 二人は肩を寄せるように市場の雑踏を抜け、広場の先へ歩みを進めた。

 石畳に残る水滴が光を受けてきらりと反射し、長い旅路を仄かに照らしていた。


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