四話 ぼっちに女の子と密室で二人きりは荷が重い
「…………」
エレベーターの中と思しき空間、意識が戻った僕を最初に歓迎したのは、花の甘い香りだった。
若干の浮遊感と少しばかり揺れるエレベーター。その隅っこに、僕は体育座りで縮こまっているらしい。
そして、そんな僕の隣りには——同じ様に体育座りで身を縮め、小型の投影水晶を眺める金髪ボブの少女の姿。
エレベーターの中に、他の乗客は見当たらない。正真正銘、二人切りの空間。
僕の目の前には、長い睫毛、画面を眺めるきらきらと煌めく蒼い瞳、何が楽しいのか朗らかに緩んだ唇があって、その距離感は、両者の肩が触れるゼロ距離の……バグ、きょり、かん……。
「……え、あ……え?」
今、ようやく僕は少女の存在に気づいて。
「ぎょぇぇえええええええ!!」
自分でもびっくりする程の奇天烈な悲鳴を上げた。
そのまま、エレベーターの中を二度三度転げ回り、僕は元いた場所、少女がいる場所とは正反対の壁にぶつかった。
僕は、唖然と目を瞬かせる。少女もまた、僕の奇行に驚いたのかきょとんと目を瞬かせていて、しかし、少女は僕とは違って直ぐに笑みを咲かせた。
「ふっ。アハハハハ! ご、ごめんね? びっくりさせちゃったかな?」
スカートのお尻の部分を叩いて立ち上がり、盛大に笑った少女は僕の正面まで来ると手を差し出す。
「初めまして……いや、ここは二度目まして、かな? 私は、ニア・ロッテ。よろしくね」
きらきらと眩しい太陽の様な笑顔。僕には眩し過ぎる陽の属性を携えて、少女は——ニアさんは僕に名乗った。
「…………」
だけど、生憎と僕に女の子の手を握るなんて度胸はない。
幼い子供だったミリーの時とは違う。相手は歳の近い女の子だ。精々、会釈を返すのが僕の精一杯……。
「……? どうしたの? 何処か具合悪い?」
「…………だ、だいじょうぶ、です……」
首を横に振り、精一杯の声量で答える。
「そっか……」
すると、ニアさんは差し出した手を下ろし、そのまま黙ってしまった。
きっと、傷つけてしまったのだ。そりゃ、善意で差し出した手を振り払われれば誰だって傷付くに決まっている。
いつもそうだ。僕の言動は、誰かを傷つけてしまう……。
なんて、僕がナイーブに浸り掛けていると、突然、ニアさんの顔がバッと上がった。
自身の頭を両手で押えたニアさん。その顔は、血が通っているのが嘘かの様に真っ青に染まっていた。
「もしかして、さっき君をお姫様抱っこで運ぶ時にうっかり躓いて落としちゃったから……? も、もしかして、あ、頭とか痛い……?」
「……だ、だいじょうぶ……て、え? 今何て?」
反応遅れて、思わず僕は顔を上げる。
今、聞き捨てならない単語が聞こえた様な気がした。
「ほ、本当にごめんね! ついでに言えば、このエレベーターに運んだのも君が許可証を持ってたからで……何処か他に行く所があったなら、ごめん!」
掌を合わせ、ニアさんは頭を下げながら謝罪を口にしてくれる。
だけど、そこじゃない。僕が気にしているのは、勝手にエレベーターに運ばれた事なんかじゃない。
「いや、そこじゃ! なくて……。ダンジョンには行くつもりだったから、運んでくれたのは別に……」
「そうなの? じゃあ、一体……」
頭を上げて、顎先に指を当てたニアさんは「んー」と唸りながら記憶を辿る。
辿って、直ぐに「あ!」と何かを思い出した様に手を打った。
「…………っ」
だから、僕はごくりと唾を呑んで。
「———」
同時、真実を告げる為にニアさんの口が開いて。
「お姫様抱っこだ!」
「ぎゃぁぁああああああああ!!」
僕は、今日三度目となる悲鳴を上げる事になった。
みっともなく、両手で急激に頭痛を訴えて来た頭を押さえながら。恥ずかしげもなく、胸の内から込み上げて来る羞恥を逃がそうと地面の上を転がりながら。
そして、ニアさんの冷たい視線を浴びながら……。
「あ……」
最終、僕の奇行はエレベーターの隅で頭をぶつけて、『痛みに悶える』という形で停止した。
ずるずる、ずるずる。体を引き摺りながら、僕はここ唯一の安息の地、エレベーターの隅へと舞い戻る。
体を限界まで縮め、僕は膝の間に顔を埋めた。
「もう、嫌だ……。死にたい……。もう、外歩けない……」
地面の上、見つけた染みを見つめながら自虐を投げ付ける。
「皆、僕を嘲笑うんだ。僕を見て、僕を指差して、こんな風に笑うんだ。街の中、男の人。『見ろよ。あいつだぜ? 女の子にお姫様抱っこされてたみっともない男ってのは。ギャハハハハ!』って……。そして、女の人。『名前は、ノール・ボッチネル。対して面白くもない、 底辺配信者らしいわよ』って……」
ぽろぽろと、口からネガティブが溢れ出る。一度溢れ出すと、もうネガティブは止まらない。
だって、女の子にお姫様だっこされたのだ。しかも、公衆の面前で。挙げ句の果てに、悲鳴を上げて、転げ回って、この有様である。
今はもう、目の前の染みになりたい……。
「ねぇ。そんな——」
ついに、だんまりだったニアさんの口が開く。
僕に、何かを言おうとしている。聞きたくない。
なんて、そんな僕の願いは何の気まぐれか神様に届く。
——ガタンと、エレベーターの中が大きく揺れた。
僕の体から、ずっと感じていた浮遊感が消える。
自然と、僕はエレベーターのある一点を、現在位置を示す扉の上部、階数表示器へと目を向ける。ニアさんもまた、僕と同じ場所に目を向ける。
B1。階数表示器は、『地下一階』を指していた。
つまり、終点。エレベーターが、ダンジョンポータルが位置する地下一階へと到着したのだ。
「…………」
「…………」
ニアさんが、前を向く。釣られて、僕も前を向く。
——エレベーターの扉が開く。
「これが……」
そこは、僕が知る世界とは違う全くの別世界だった。
扉の向こう側、そこには蒼い世界が広がっていた。
まるで、揺れる水面が如く、壁に反射した蒼い光がゆらゆらと揺蕩う空間。
起点は、多くの人の波が連なる最先端、だだっ広い部屋の中心にある蒼光の円盤——ポータル。
今では、『起源ノ迷宮』へと通ずる唯一の通路。
「…………」
胸の中のネガティブが、胸の内から込み上げて来る熱い何かに塗り替えられて行く。
そんな、僕の横顔を見て何を思ったのか。
一歩、エレベーターの外へと足を踏み入れたニアさんは満面の笑顔と共にその靴先を翻し、こんな一節を述べた。
「ようこそ、太古の時代から存在せし未だ終わり無き起源、最初にして最後のダンジョン、起源ノ迷宮へ」
その瞳は、蒼い世界にいても尚、一層の蒼できらきらと煌めいていた。