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ハンス――その男、危険につき

 「では、ライザ・カーヴス。我々の研究リソースを使いたいのならば、まずは条件を整理させてもらおう」


 マリウスは微笑を浮かべたまま、椅子に腰掛け、優雅に足を組んだ。私たちの交渉は成立したが、彼はすぐに本題に入るつもりのようだった。


 「君がこの部室を使う目的は、プロテインとやらの製造。そして、私の目的は『月の瞳』を持つ君の研究……と、これは君も認めてくれたね?」


 「ええ。その範囲であれば、私は協力するわ」


 もちろん、私がマリウスの研究に全面的に協力するわけではない。彼の関心をこちらに引き寄せつつ、適度に情報をコントロールすることで、私にとって有益な関係を築くことができるかもしれない。


 「ただし、人体実験や、私の体に傷をつけるような研究はお断りよ?」


 私が付け加えると、マリウスは愉快そうに笑った。


 「君は本当に面白いな。そういうことはしないさ。私はあくまで理論派の研究者だからね」


 (まあ、原作ではホルマリン漬けにされたり、目を抉られたりするルートもあったんだけどね)


 念のため、彼の言葉を完全には信用しないでおこう。


 「それで、プロテインというのは具体的にどのように作るつもりなのかな?」


 マリウスの言葉に、私は思案しながら答えた。


 「まず、蛋白質を効率的に抽出する必要があるわ。そのためには分離技術が不可欠よね」


 現代世界では遠心分離機を使えば簡単にできることだが、この世界にそんなものはない。


 「魔術で精製できればいいんだけど、そういう応用は可能なのかしら?」


 「ふむ……興味深い。魔術には物質の分離や精錬を行う手法がいくつか存在する。例えば、『沈殿』の概念を応用すれば、特定の成分だけを分離することが可能かもしれないね」


 「なるほど。それなら、牛乳からカゼインを分離してみるのが良いかもしれないわね」


 「ほう、牛乳から?」


 「そうすれば、私が思い描く理想のプロテインが作れるかも」


 「……これはますます面白いな」


 マリウスの目が輝く。彼の知的好奇心が刺激されているのが伝わってくる。


 「では、さっそく材料を手配しよう。明日にでも実験準備が整うはずだ」


 彼はサラサラとメモに必要な物品を書き、自分の使い魔に持たせた。


 この自立式の使い魔は、原作ではマリウスの高い魔法技術力を象徴するもののひとつになっている。魔法が当たり前のように存在するこの世界でも、術者から独立して動きおつかいを行える使い魔というのはなかなか実現できないものらしい。


 「そうだ、アルバ君。ライザ君に我々の力を使うよう助言したのは君だったね」


 「……ああ」


 (やっぱり監視してたのか)


 「光栄なことだ。すると、君も手伝ってくれるということでいいのかな?」


 アルバは一瞬表情を曇らせた。

 まさか、魔術研究部が主君にとってここまで危険な存在だとは想像していなかったのだろう。


 「私は……ライザ様の安全を第一に考えます」


 「もちろん。しかし、最終的にこの研究を進めることを決めたのは君の主だということについてはどう思う?」


 「……」


 アルバはしばらく沈黙した後、私を見つめた。


 「ライザ様、私から提案したにも関わらず、無責任なことを申しますが……本当に大丈夫なのですか?」


 「ええ。あなたのアイディアでここに来たのは間違いないけれど、もはやこれは私の意思よ。それに、あなたが危惧するような実験にはならないわ」


 私の言葉に、彼は深く息をつき、静かに頷いた。


 「承知いたしました」


 「あとマリウス、あなたも私たちを監視するような真似はやめて。これから先そういうことされたら協力を打ち切るから!」


 「やれやれ、了解したよ」


 (……ふう、これでひとまずプロテイン問題は解決しそうね)


 朝晩の習慣を、しかも筋トレには必要不可欠なものをなくして生きていくなんて私には耐えられない。

 

 (ああ、明日が待ち遠しいわ……!!)


 このまま今日のところはお開き、という流れになりかけたその時――


 「すみませーん! 部活見学に来たんですけど!」


 突如、部室の扉が開き、元気な声が響いた。


 その明るく弾んだ声に、私は思わず息を呑む。


 「俺、ハンス・エーデルローって言います! 高等部からの新入生です!」


 (ド厄介攻略対象きちゃったああああああ!?!?!?)


 ハンス・エーデルロー。

 高等部からの新入生にして、学費全額免除の特待生。

 貴族の子弟が多いこのカレッジにおいて、平民の身分でありながらこの場にいることが許されるほどの才覚を持つ者。


 (ど、どうして!? どうしてここに来るの!? 慎重に避けてたはずなのに!!)


 「ほう、君が今年の特待生か。話には聞いているよ」


 マリウスは微笑を浮かべながらハンスを見やる。ハンスはその視線を受け流すように軽く笑い、屈託のない笑顔を向ける。


 「ありがとうございます! 魔術研究部ってすっごく面白そうで、ぜひ見学させてもらえればと思いまして!」


 明るく人懐っこい口調。誰にでも好かれそうな柔らかい物腰。

 だが、私は知っている。


 こいつが「ルナティック・アイズ」全登場人物の中で一番ヤバい。


 原作では当初可愛げのある弟分として主人公になつくが、それは全部演技。全部嘘。全部計算ずく! 

 ハンスは自分たち平民の屍の上に成り立つ貴族社会に対する強い怒り・恨みを抱き、異常なほどの上昇志向を秘める苛烈な本性を持つ人物。

 ストリートチルドレンたる彼は、同胞を救うためにこの国の頂点に上り詰めることを決意し、そのための一歩としてセントマリア・アカデミーに入学。そして彼が主人公に接近したのは、彼女が「月の瞳」というこの世界におけるパワーバランスをひっくり返すほどの「武器」であるからだった。


 彼は、目的のためなら手段を選ばない。

 そして、目的は誰にでも理解できる単純なもののはずなのに、その思考回路が常人離れしすぎててまるで理解できない……!!!


 (こいつの即死選択肢を回避するのムズすぎるんだよ……!!)


 私の考えなどいざ知らず、ただの前途有望な新入生を嬉しく思うというだけでマリウスはハンスを歓迎する。


 「君のような才覚ある者が我々の部に興味を持つのは喜ばしいことだ。ぜひゆっくりしていくがいい」


 「ありがとうございます!」


 しかしハンスがこの部活に興味を持っているだけならまだ大丈夫だ。


 マリウスが先ほどのように部の案内をしているうちに、私たちもそっと部屋を抜け出して……


 「! あなたも部活見学の方ですか?」


 (うわああああああああ!!!!)


 ヤバイ!! ばれた!!

 私が「月の瞳」であることも絶対にバレた!! だって目をガン見された上にちょっと吟味するみたいに目細めてたもん!!


 (集中しろよ!! 部活見学に!!)

 「え、ええ」


 「そーなんですね! おふたりとも2年生ですよね、制服見れば学年がわかるって入学式の時に教えてもらいました!」


 「そうだけど……」


 「センパイ、せっかくですし、これからほかの部活も一緒に回りませんか?」


 (ロックオンされたあああああ!!!!)


 「そ、そんなの悪いわよ! ほら部活見学って、やっぱり興味あるところを回りたいと思うし、私たちと回ってもあんまり楽しくないんじゃないかな!?」

 

 私はできるだけ穏便に断ろうとした。しかしハンスは快活な微笑みを絶やさない。


 「そんなこと言わないでくださいよ。これも何かの縁ですし!」


 (私はあんたとはご縁を結びたくないんだよ!!!)


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!!


 脳内警報が全力で鳴り響く。なんとか言い訳を考えようとするが、焦りすぎて言葉が出てこない。


 「ライザ様?」


 アルバが困惑した様子で私を見ている。だが、私は今、それどころではない。


 (やばい、完全に逃げ場がない! このままじゃ……!)


 次の瞬間、私は考えるよりも先に——


 ダッシュした。


 「——!?」


 ハンスの驚いた声が背後に聞こえるが、私は振り返らない。とにかく全力で走る。


 「ライザ様!? お待ちください!」


 アルバの声も聞こえたが、私は全速力でカレッジの廊下を駆け抜けた。


 足音が反響する。魔術研究部の部室を飛び出し、ひたすら一直線に走る。


 (どこでもいい! とにかくこの状況から逃げなきゃ!!)


 どれだけ走っただろう。気がつくと、私は寮の居住棟の入口までたどり着いていた。


 このカレッジの寮は男女で居住棟が分かれており、男子寮と女子寮の間には厳重な管理が敷かれている。異性が立ち入るには、アルバのように主君に用がある従者が申請をし、さらに守衛の監視用の使い魔を伴う必要がある。


 (よし、ここなら流石に安全よね……!)


 私は大きく息をつき、落ち着くために庭園へと足を向けた。


 静かな空間でようやく一息つけると思ったのも束の間——


 「あっれ~? どこだろう、ここ?」


 その声を聞いた瞬間、私の全身が硬直した。


 「あ、センパイ!」


 ゆっくりと振り返ると、そこには息一つ乱さず、にこやかに微笑むハンス・エーデルローの姿があった。


 (……は!? なんでここに!?)


 「えへへ。部活見学してたら、いつの間にかこんなところに来ちゃいました!」


 そう言いながら、彼は悪びれる様子もなく歩み寄ってくる。


 (嘘つけえええええ!!)


 私の頭の中で、警報が最高潮に鳴り響いた。

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