読書の秋、プロテイン研究の秋
新年度初日の今日は、自己紹介や書類の配布、教科書の受け取りなどの事務的な手続きが行われ、授業らしい授業はなかった。
(ちゃんとした自己紹介なんていつぶりにしたかしら。やっぱり緊張するものよね)
さすがセントマリア・カレッジ。王侯貴族の子息が通う学校というだけあって、ナントカ省の大臣の息子だとか、ナントカ家の令嬢だとか、はたまた外国の王族だとか、そういう華麗なる家柄や経歴をお持ちの同級生しかいない。まあ私も、名門伯爵家の令嬢という時点で家柄カードバトルでは引けを取らない自信があるのだが。
しかしそれでも最も記憶に残ったのはやはり彼――ヨハン・フォン・ユークトベルクのそれであった。
彼の自己紹介は極めて淡々としており、まるで義務を果たすかのように自分の名と所属寮を述べただけだったのが印象的だった。
(まあ、あの手のキャラはそうなるわよね)
そして、11時ごろ、帰りのホームルームが終わると、先生は最後に「午後からは新入生向けの部活見学会が行われる。諸君ら2年生も、部活に所属していない者は参加を検討するように」と言い残して教室を出て行った。
(午前中で終わるのはありがたいわね)
私は椅子に腰掛け、これからの行動を決めることにした。
「ライザ様、午後のご予定は?」
荷物を整えこちらに近づいてきたアルバが自然な流れで尋ねてくる。
「そうね……部活見学に行く気はないし、かといってほかに立ち寄るところも……」
原作ではこの後、ライザは図書館へ向かうことになっていた。しかし、図書館へ行くとアルバに引けを取らぬ厄介な攻略対象と出くわすことになる。
(あの高等部からの新入生……! できれば今は避けたい)
その人物は流石に2年生のフロアには来ないはずだから、ここに留まっていれば安全だ。
「アルバ、せっかくだし、図書館で借りた本をここで読むことにしましょう」
「かしこまりました。私もご一緒いたします」
アルバはすぐに頷き、私の隣の席に腰を下ろした。
本をめくる私たちの間を、やわらかな風がそっと通り抜けていく。
季節は秋。ヨーロッパ風の世界だからか、新年度は9月から始まる。その教室内で読書をするというのはなかなか気分がいいものだ。「読書の秋」という言葉は漢詩が由来の言葉だから、この世界にそんな概念はたぶんないだろうけれど、目の前の彼もこの時間を心地よいと思ってくれているならば嬉しいと思う。
私の向かいで真剣に本とにらめっこしているアルバはおそらく文系だ。この国の歴史や文化のことには詳しい(そういう描写がゲーム内でも散見される)が、食物加工などについてはあまり明るくないだろう。しかしそれでも、従者として、けなげに、一生懸命に本を読んで勉強してくれている。
こうして見ていると可愛さを感じるものだ。……ずっとこのままでいてくれればいいのに。
「それにしても、どうしたものかしらねぇ」
私のほうはというと、借りてきた本の内容は十数分で一通り確認することができた。そこは大学院で培った文献調査のスキルが活きたというわけだ。
そして机に頬杖をつきながら、目の前の本を指でなぞる。
「ライザ様、改めてお尋ねさせていただきますが……プロテインとは、いったいどのようなものをご想像なさっておられるのですか?」
「私が作りたいプロテインっていうのは、蛋白質を効率よく摂取するための粉末のことよ。食材から蛋白質を抽出して、加工したものなの」
「つまり、粉にしたお肉のようなもの、でしょうか?」
「そうねぇ……私が理想とするものは違うかな」
たしかに贅沢しなければ、プロテイン粉末と名付けられるものは簡単に作れるだろう。なんなら、砕いたアーモンドやおからだって、プロテインと言い張ろうと思えば言い張れるのではなかろうか。
しかし私が求めるのは、純粋で、必要な栄養素のみが必要なだけ摂取できるもの。
「お肉は脂肪とかほかの成分もたくさん含まれてるけど、私の言うプロテインは純粋に蛋白質の部分だけを取り出してるの。例えば、牛乳から乳蛋白だけを分離するとか、大豆から蛋白質だけを抽出するとか、そういう感じ」
アルバは少し考え込みながら本をめくる。
「なるほど……成分のみを精製する技術が必要なのですね。しかし、それはなかなか大変そうに思われますね。寮で生活する限り、私たちには十分な器具をそろえることが難しいですし」
「そこが問題なのよね……」
私は頭を抱えた。現代なら工場で当たり前のように生産されているプロテイン。私は消費者としてそれをスーパーなりネットなりで買うだけでよかった。しかし、この世界では自作する必要が、それも完全にゼロからのスタートになる。
「器具……器具ねぇ……」
私はため息をつきながら、もう一度本に目を落とした。
はっきり言って、この世界の技術水準でも私が求めるようなプロテインを作ることは十分に可能そうではあった。しかしそれは「この世界で可能か不可能か」という話であって、「私が」という主語に置き換えることはできない。
現代世界で人類がロケットを打ち上げることはできても、そこら辺の個人の力では自転車一つまともに自作できないのと同じことだ。
「そうだ」
アルバが妙案を思いついたという表情をして顔を上げる。
「では、カレッジにある器具を利用するのはいかがでしょうか?」
「カレッジに?」
「たとえば魔術研究部ならば、実験器具も充実しているかと」
「魔術研究部か……」
(そういえば、いたわね……このゲームの攻略対象の一人が)
魔術研究部にはマリウス・サーファリオンという人物がいる。彼は魔術研究部の部長で、知的で落ち着いた性格だが、原作では「月の瞳」の研究に異常なまでの執着を見せていた。
(彼、強いて言えばこのゲームでの私の最推しなのよね……同じ理系だし)
魔術と科学の境界線を追求し、冷静沈着で、論理的な思考を好む。プレイしていたときから「叶うものならこの人とじっくり話をしてみたい」と思っていたのも事実。
(でもなぁ……)
問題は、マリウスが全キャラの中でも圧倒的にガリガリなことだ。
(脱衣スチルはなかったけど、脱がなくてもわかるんだわ!!)
長身だが、肩幅は狭く、細い指と長い腕。普段から研究に没頭しているせいで、食事を適当に済ませているようなタイプだ。
(アルバや今避けてる新入生よりは断然マトモだけど……筋肉がなさすぎるのはやっぱり気に食わない!!)
とはいえ、今後の研究のためにも、彼とはいずれ接触する必要がある。どうせなら早めに関係を築いておいたほうがいいかもしれない。
「……まあ、確かに設備は整っていそうね。よし、行ってみましょう」
私は席を立ち、アルバと共に魔術研究部の部室へ向かうことにした。