その男、アルバ
カレッジの寮の廊下を歩きながら、私はさりげなくアルバのことを思い出す。
アルバ・ウィルハーマン。「ルナティック・アイズ」の攻略対象の一人。
カーヴス伯爵家に代々仕えてきた騎士の家系の一員であり、ライザの幼馴染にして従者。幼少期から共に育ち、ライザ――私にとって最も身近な存在だ。
彼は見目麗しく、気品があり、忠誠心も篤い。剣の腕も立ち、優秀な騎士としての資質を持っている。だが
原作のほとんどのルートでヤンデレ化する。
いや、ヤンデレというキャラ付け自体は理解できるし、シナリオとして面白いこともある。でも私はどちらかというと「追われるより追うほうが好き」なタイプだし、何より
(監禁はシンプルに犯罪では?)
バッドエンドのひとつとして、彼が主人公を彼の実家の地下牢に監禁して一生愛玩するというものがある。
なんでも「月の瞳」を持つ主人公が様々な人間に利用されたり狙われたりするのに心を痛めたからだと本人は言うが、実際のところは「月の瞳」が持つ魔力の狂気に取り憑かれているのだろうということが地の文でほのめかされるのだ。
私はたまたま過去に探し当ててしまっていたバッドエンドを思い返す……
「ああ、ライザ様、私は貴女をずっとお慕い申しておりました」
「ここにいれば、もう下劣な人間の汚らしい目に晒されることもないのですよ」
「これで貴女は永遠に私のものだ……!」
「逃げたい? なぜ嫌がるのですか? ……そうだ、ではこうしましょう。貴女はこれから私の子を孕むのです。そうしたら、もうどこにも行けないでしょう?」
……………………
(やっぱりシンプルに犯罪だーーーーーー!!!!!!)
嫌だ!! こんな犯罪者の何がいいの!? 誘拐監禁レイプ魔じゃん!!!
それがいいというオタクもいるの!? ドMなんじゃないの!?
これさ、竿役モブおじさんが同じ言動したら完全にアウトじゃん!! そこらへんちゃんと考えてる!? ちょっとイケメンだからって惑わされちゃだめだよ!! いやまあだいたいの乙女ゲームの攻略対象の言動って大なり小なりアレだけどさ!!
しかもコイツもレイプ直前シーンのスチルでヒョロガリが判明したし!! 何が騎士だよ!! 筋肉をつけろ、筋肉を!!
で、今のところアルバのトゥルーエンドにはたどり着けていないし……ムズすぎるのよこいつの攻略は。
私がそんなことを考えているとは露知らず、アルバは静かに私のあとをついてきている。
クソ、そんな顔しといてからに。「ライザ」のこと昔から好きすぎてこじらせまくってるのなんかわかってんだからな。
(凶行に走る前になんか……あるだろ! 心の中でネチネチ考えて思いつめるんじゃなくて気持ちを伝えるとかしろよ!! ずっと近くにいるんだから!!)
私は鳥肌が立っているのを後ろの従者に悟られないようにしつつ、優雅に食堂へと歩をすすめた。
そして、そんなことを考えているうちに寮の食堂に着いた。
天井が高く、無数につけられたランプの灯りが柔らかく食堂全体を照らしている。長いテーブルが並び、すでに何人かの生徒が朝食をとっていた。
明らかにオックスフォード大学クライスト・チャーチ校の大ホールがモデルの場所だ。少し前に国際学会でイギリスに行ったとき記念撮影をしたが、まさかそこがモデルになった場所で日常的にご飯を食べることになろうとは。
「ライザ様、どうぞこちらに」
アルバが席を引き、私は優雅に(を装って)腰を下ろす。間もなくして給仕が料理を運んできた。
焼き立てのパン、香り高いスープ、スクランブルエッグにソーセージ、彩り豊かな果物。
(おお……普通に美味しそう……)
私はナイフとフォークを手に取り、食事を始める。
基本的なテーブルマナーは国際学会の時に覚えていたので助かった。渡英初日の親睦会でイギリス人に馬鹿にされたのが悔しすぎて、滞在中に必死で練習したのだ。
(あの血と涙の日々が今役立っているのね……)
じーんと感動していると、ずっと横に控えていたアルバが話しかけてきた。
「今朝の献立はいかがでしょうか?」
「ええ、美味しいわ。ところであなたは食べないの?」
「私ですか?」
アルバは少しだけ目を瞬かせた後、丁寧に答えた。
「私はライザ様の従者ですので、お食事の間はお側でお仕えするのが務めです」
「は?」
思わずフォークを止めてアルバを見つめる。
「あなた、まさか食べないつもり?」
「はい。従者は主が食事を終えた後で――」
「だめ!!! カタボっちゃうでしょ!?」
食堂内に響きそうな声をぐっと抑えながら、私は必至で説得を開始した。
「カタボ……?」
「どうせあなた、そんなこんな言いながら朝食までの間に仕事とかするつもりなんでしょう」
「え、ええ」
「そんなのだめ! なら、今ここで食べなさい! 体を動かす前に栄養補給しないと、足りないエネルギーを補うために筋肉が分解されちゃうのよ!」
アルバはまるで異国の言葉を聞いたかのような表情を浮かべた。
「……筋肉が、分解、される……?」
「そうよ! せっかく鍛えた筋肉がエネルギー源として使われてしまうの! そんなことになったらいざというとき戦えなくなるわ!」
私は説得の言葉を重ねながら、隣の席の空いている椅子をトントンと叩いた。
「さ、座って」
「しかし……」
「いいから!」
少し強引に促すと、アルバは戸惑いながらも静かに席に座った。
「……ライザ様にそこまでおっしゃられるとは」
「そうよ! 騎士ならしっかり食べて鍛えなさい!」
(そして筋肉をつけるのよ!!)
給仕に追加の料理を頼み、アルバの前に私と同じメニューを並べさせる。
「では、いただきます……」
アルバはややぎこちなくスプーンを手に取り、一口スープを飲んだ。
「……おいしゅうございます」
スープで温まった頬がほんのり上気して見える。
その様子を眺めながら、私は一瞬ひやりとした。
(あれ……もしかしてこれ、ヤンデレルートへの布石にならない?)
アルバに優しくすると、さらに彼の「こじらせ」がひどくなってしまうのではなかろうか。
……バッドエンドフラグ、踏んでない?
でも、すぐに首を振って思い直す。
(いや、違う。これはそういうのじゃない!)
こんな時に私の都合とか、攻略とか、そんなの関係ない。
彼の健康と筋肉のほうが大事だ!!
ちゃんと食べないと強くなれないし、万が一何かあった時に戦えないのは困る。体力が削られて、動くべき時に動けなかったら大変だ。
「いい食べっぷりね」
「っ、恐縮です」
「いいのよ、うれしいわ」
私も満足げに頷きながら自分の食事を再開する。
(健全な精神は健全な肉体に宿れかしというけれど、本当にそうよね)
もしかしたら、アルバがヤンデレ――つまり精神を病むことになるのは、不健康な食生活が原因かもしれない。であれば、食育と、これからついでに筋トレなどをして彼を健全な方向に導いていけば、ヤンデレルートを撲滅することだってできるかもしれないのだ。
(まあユウェナリスのあの一節は反語みたいなものだから、現実ではそううまくいかないのかもしれないけれど……)
とにかく、試せるものは試さないといけないだろう。それが研究者として大切な姿勢だ。
そして、食事も進んできたころ、私はある重要な習慣が己から抜けていることを思い出した。
(プロテインは……ないわよね、さすがに)
私はいつも、朝食後とトレーニング後にプロテインを飲んでいる。
研究室で缶詰になっているときなんか、朝食=プロテインになっているほどだ。
しかしここは近世ヨーロッパ風異世界。そんなものがあるはずもなく……
(……待てよ? 現実の近世ヨーロッパと違って、メタ的に考えれば服飾技術も高度なわけだし、なにより魔法があるし、もしかしたらプロテインだって開発されてるんじゃない?)
私は一縷の望みをかけてアルバに聞いてみる。
「ところでアルバ、プロテインっていうのはここで用意できるのかしら?」
「蛋白質、でございますか?」
「……確認だけど、どんなものを想像してる?」
アルバは困惑したように私を見つめる。
「蛋白質は、肉や卵、豆類などに含まれておりますが……」
(やっぱりそっちが出てきちゃうか……)
「違うの、そうじゃなくて。粉になってて、水とかミルクで溶かして飲むやつ。運動後の栄養補給に最適なものよ」
「……そのようなものは存じません。かようなものがあるのですか?」
アルバは驚いたように眉を寄せる。
「え、ええと」
(まさか現代がどうのとか言えないし……そうだ)
「最近ね、思いついたの。そんな風に蛋白質を摂取出来たら便利だろうなあって! でも私が思いつくくらいだから誰かが作っているのかもしれないと思ったのだけれど、そうじゃなかったのね。ほほほ」
私が出まかせをいうのを彼は不思議そうな顔で聞いていたが、特に突っ込んでは来なかった。
「なるほど、鍛錬の後に効率よく栄養を摂取するための食品、ですか。素晴らしい発想でございますね」
「でしょう!? それがあれば筋肉の回復と成長を効率的に促せるのよ! 筋肉痛も軽減できるしね!」
私は思わず熱弁してしまったが、アルバは冷静に聞いていた。
「ライザ様は……鍛えようとされているのですか?」
「えっ? まあ、そうね」
改めて言われると、可憐・優美・淑やか・華奢などを形にしたような見た目をしているこの「ライザ」という伯爵令嬢が鍛えるなんて奇妙に聞こえるかもしれない。しかしバッドエンドを避けるためには筋肉は必要不可欠。
「そしてね、アルバ。私はあなたにも一緒に鍛えてほしいと思っているのよ」
「私も、ですか?」
「ええ。あなたが騎士として鍛えていることは十分承知していますけれど、その割には、言っちゃ悪いけど体が出来上がっていない感じがするもの」
「それは……私は、魔法で筋力を増強しておりますので」
「それじゃ魔法が使えなくなった時に困るでしょう? 自分の身一つで戦えるようになったほうが安心じゃない?」
「……たしかに、そうでございますね」
「じゃあ決まりね!」
こうしてこのヒョロガリヤンデレ未遂幼馴染騎士は無事にゴリマッチョへの道に誘われることとなった。
(それに、いまとても聞き捨てならないことを聞いたわ。騎士が魔法なんかで足りない筋力を補ってるですって? だめよ!! ヒョロガリに甘んじてちゃあ!!)
いずれは騎士の世界に筋トレ文化を持ち込まないといけないわね……
そしてみんなゴリマッチョになればいい。
(いや、その前にまずはプロテインを開発しないといけないわね)
私は食事を終え、静かにナプキンを置いた。
「アルバ、始業前に調べ物をしに行くわ」
「かしこまりました。図書館でしょうか?」
「ええ。プロテイン作りのための知識を仕入れに行かなければ!」
私は決意を固め、食堂を後にした。