魔力譲渡の訓練(前編)
昼食を終え、私たちは魔物飼育棟の横にある魔物使役訓練場へと向かった。
ここは魔物の魔力暴走が起きても問題がないように強固な障壁が整えられた施設だ。本来は横にある魔物飼育棟から魔物を連れてきて使役の実習を行う場なのだが、今から行うこと――魔力譲渡の練習で、万が一にも私の無尽蔵の魔力が暴走しても被害を最小限にするためには、この施設を使うことが最適だろうということでアルバが案内してくれたのであった。
「じゃあ今から、魔力譲渡の説明をしますね!」
ハンスが堂々とした態度で黒板の前に立つ。先ほどとは教える側と教わる側が反対だ。
「魔力譲渡っていうのは本来そこまで難しいことじゃないんです。でもセンパイの場合、『月の瞳』がある分、勝手が違ってきちゃうと思うんですよね」
ハンスが白いチョークで黒板に二つの簡素なコップの絵を描く。
「例えばですよ。普通の人の持つ魔力がコップ1杯分の水だとしますよね」
片方のコップが水色のチョークで水を表すように塗りつぶされていく。
「魔力を人に渡そうとするなら、基本的にはただ慎重にコップを傾ければいいだけの話なんです。そう思うと簡単ですよね?」
ハンスが指を動かすと、黒板に書かれている水の入ったコップが動き、もうひとつのコップに水が半分ほど移されていく。なるほど、魔法が使えるとこんな人力パワポみたいなことができるのか……
「たしかにそれくらいだったら簡単かも」
「でしょ? でも問題は……センパイの魔力量がコップ一杯なんてものじゃ済まされないこと。言うなれば……」
ハンスは顎に手を当て、少し考える素振りを見せながらチョークを黒板に滑らせる。
「ダムいっぱいに満たされた水、って感じですかね」
「ダム……」
「そう。だからセンパイが『ほんの少し』のつもりで魔力を放出しても、受け取る側にとってはその『ほんの少し』が限界を超えるほどの魔力になってしまう可能性があるんです。そうなると、魔力が暴走し、最悪の場合――命に関わることもあり得る。まるで、コップに水を注ぐつもりでダムの水門を一気に開いてしまうようなものですよ。そうすればコップは水を溢れさせるだけじゃなく、水圧で割れてしまうかもしれません」
「……っ」
いや、これ……無理では?
そりゃ原作の「ライザ」は失敗するわ。
「でもでも! オレは考えました! センパイが安全に魔力譲渡する方法!」
「ほう?」
今まで黙って説明を聞いていたアルバが興味津々に声を出す。
「要するに、『ダム』に蛇口を作ればいいんですよ。魔力譲渡って単純な作業ですけど、センパイはそれじゃ細かい制御が効かない。なので、ロマナ・ノーチラス理論を応用して第三界制御を構築して……」
(あ、やばい。専門的な話になってきた)
わけわからん専門用語が出てきた。もうだめだ。
この感覚も久しぶりだ……
ハンスはいろいろ話しながら黒板に文字列を書きなぐっていく。
現代という異世界から転生した私にとっては、これは魔法式というよりもプログラミングコードのように見える。なるほど、こういう感じなのね……
私が放心している間にも、アルバはふむふむと感心したようにハンスの話を聞いている。
「つまり意図的に魔力を極少量の漏洩状態に持ち込み、それに指向性を持たせるというわけだな」
「ですです!」
(ナイス平易化、アルバ!)
アルバは肉体強化という形で普段から魔力操作に慣れており、ハンスはカレッジの特待生。だからふたりはこのような分野にも明るいんだなぁと実感する。
「術式はオレのほうで今からちゃちゃっとスクロール作って、あとは魔力を流すだけで魔法が発動するようにしときますね。センパイには魔力の操作に集中してもらいたいんで!」
ハンスがポケットからUSBメモリ程度の小さなスティックを取り出す。これは小型スクロールという、魔法の術式を記録して簡単にそれを発動できるようにするための魔法アイテムらしい。
「では、その間に私がこの方法を用いた魔力譲渡のデモンストレーションを行わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「う、うん。お願い」
「それでは、お手を失礼します――」
アルバがそっと私の手を取る。
「今から私がライザ様に魔力を譲渡いたします。その際、魔力の流れ方のみならず、私の体の中を流れる魔力の変化や微細な反応にも意識を向けていただければ幸いです」
「頑張ってみる……!」
アルバは私を一瞥して一度頷いた後、目を閉じ、小さく早口で慣れない言語を詠唱し始めた。おそらくというか、黒板に書かれている魔法の術式の内容だろう。
私も彼に倣い目を閉じ、アルバの両手に包まれた右手に意識を集中させる。
(温かい……)
それは体温だけではない。内側からぽかぽかとしたものが流れてくる未知の感覚。
(これが、魔力……?)
アルバの内側から魔力が手を伝って私の中に注がれ、微細な波のように全身をめぐっていく。まるで静かな川の流れのように穏やかで、けれど確かに内側から満たされるような感覚だった。
自分の感覚に余裕が出てきたところで、アルバ自身の動きに意識を向ける。
そういえば、彼が詠唱を開始してから、彼の内側のエネルギー的なものを制御する枷のようなものが解放されたような感じがしたのを思い出す。そしてエネルギー……魔力が、明らかに指向性をもって私の手に流れるように彼の体を流れている。
(魔力譲渡を行う側の感覚も把握しなきゃってことよね……)
しばらくして、アルバは軽く息をついてから手を離した。
「……これが、魔力譲渡です」
「おお……」
「率直に申しますと、ライザ様に魔力が満たされた感覚というものはないと思います。所詮、ダムにコップの水を注ぎこんだようなものですので」
「そう、なのかしら」
たしかに魔力譲渡前後で何かが変わったような感覚はないけど……
「でも、魔力が全身に巡ってくる感じはしたわよ。アルバから私の中に入ってくるのが、なんだかとても心地よくって……」
ぽかぽかした感覚にいまだ浸りつつ、何も考えずに言葉を紡ぐ。
しかし、ちょっと言葉の選択がよくなかった。
「……っ、さ、さようでございますか」
アルバの耳が真っ赤になっている。
「あっ、べ、べつに変な意味じゃないからね! それにしてもアルバってすごいのね。難しそうな魔法をすぐに使って、こんなに上手に魔力譲渡できて……」
「……恐縮です」
「できました~! スクロールっ!」
私とアルバの間にハンスが割って入ってくる。
「あれ? アルバ先輩?」
「っ、な、なんだ」
ハンスがニヤニヤしながらアルバを見つめている。
「……いえ? なるほどですね~」
「な、なにがなるほどなのだっ!」
「なにはともあれ、次はセンパイの番ですね!」
アルバが私にスクロールを手渡す。
「難しいことは考えず、とにかく魔力を流してみれば発動するので!」
「先ほど私が行ったように、今度はライザ様が私に魔力を流してみてください」
アルバが静かに笑いながら、私の右手を取る。
「すごく、緊張するわね……」
私は無意識にスクロールを持った左手を胸元に持っていき、目を閉じる。そして恐る恐る、さきほどの感覚を思い出しながら魔力を送り出そうとする。しかし――
「――っ、あれ……!?」
自分がどれだけの力をどのように動かそうとしているのかまるで感覚がつかめない。
はじめてチェストプレスをやった時のことを思い出す。これはどこに効いているのか、本当に胸に効いているのかわからなかった。それと近い感覚だ。
アルバは「大丈夫です、落ち着いて」と声をかけてくれるが、頭が真っ白になってしまう。
「ライザ様、その調子です。そのままゆっくり……」
「……っ!」
自分ではほんの少し魔力を送り出した「つもり」だった。
だけど
一瞬、スクロールが真っ白に発光し、アルバに触れている手がバチバチバチッ!!と大きな火花を散らす。
「きゃっ!!」
――ドンッ!!
大きく何かが弾かれるような轟音がして、私は反射的に身を縮こまらせた。
とっさに顔を上げると、アルバが小さくうめきながら後退しているところが見える。
彼は片腕を突き出すようにして、防御魔法の障壁を展開していた。
「アルバ!!」
「アルバ先輩……!?」
「――――問題ありません」
アルバの身体からはうっすらと煙が立ち上っているように見えるが、どうやら怪我には至っていない様子だ。
「ごめんなさいっ、私……!!」
「いえ、最初からうまくはいかぬものです」
私に心配をかけまいと微笑むアルバ。
(……本当に、少しのつもりだったのに)
心臓が早鐘を打つ。
これが私の持つ「月の瞳」の力……?
この無尽蔵の魔力があればなんでもできるみたいに言われているけれど……とんでもない、こんなものダイナマイトと一緒だ。今の私にはこんなもの、見境なく傷つける兵器にしか思えない。
(下手したら、私、アルバを殺してたかもしれなかった……)
そんな恐怖が胸の奥からこみあげてくる。
「……私、やっぱり無理なんじゃないかしら……」
思わずつぶやいた私の肩に、励ますようにアルバが両手を置いた。
「ライザ様、どうか恐れないでください。私なら受け止められますから」
彼の瞳は強い意志で満ちていた。
先ほど危ない目にあったはずなのに、何でもないように私に振舞って見せる。
その忠誠心に少しだけ息を飲む。
「でも……」
「センパイなら大丈夫ですよ! 何度でもトライしましょう! ここなら障壁もありますし、重大な魔法事故にはならないはずです!」
ハンスまでこんなに前向きで……私一人が尻込みするのは、どうにも格好がつかない。
「……わかったわ。やってみる……!!」
私は再びスクロールをしっかりと握った。




