筋トレに興味がない?興味持てヒョロガリ!!
空き教室の中には、荒い息遣いと疲労の色濃い沈黙が広がっていた。
「……はぁ、はぁ……」
膝に手をつき、額に浮かんだ汗を手の甲でぬぐう。普段ならこの程度のトレーニングで息を切らすことなんて絶対にない。だけど、問題は今の「ライザ」の体――ひ弱な貴族の令嬢の体では、自重トレーニングですら十分な負荷になってしまうらしい。
(クッ……これが『貴族体質』か……!!)
スクワットを終えたハンスは、教室の壁にもたれかかりながら、床に座り込んでいた。やはり筋肉がないのだろう、顔色がやや青白くなっている。
「フン、貴様はこの程度のことで音を上げるのか」
「騎士の人に運動で敵うわけないでしょ……!?」
アルバのほうは意外にもまだ余裕がありそうだ。
……そういえば、私が彼を「ヒョロガリ」だと評したとき、真紀は「これはヒョロガリなんじゃなくて細マッチョっていうんだよ」と言っていた。
その時は納得できなかったが、やはり彼は騎士。筋トレはしていないにしても、日々の鍛錬で自然に筋力が鍛えられているということか。
多少は筋肉があると認めざるを得ないのか……?
余裕そうに自身を見下げるアルバを恨めしそうに見るハンス。
「く、くそぉ……たかが足を曲げ伸ばしするだけなのに……!」
「ほう、認識を改めたようね?」
私は得意げに腕を組み、彼を見下ろす。
「スクワットは下半身を鍛える基本中の基本。だからこそ、それなりに体を動かしている人間でも意外とキツいのよ」
「センパイ……なんでそんなに元気なんですか……?」
ハンスがこちらを見上げながら、情けない声を漏らした。
「これでも結構キツいわよ」
「いやいやいや、明らかに俺よりは余裕そうじゃないですか……!」
「まあ……慣れかしら?」
「慣れ……?」
ハンスが顔面を蒼白させる。
しかし慣れとしか言いようがないのだ。日頃トレーニングをする筋肉馬鹿たち――「トレーニー」と呼ばれる人種は、日常的に身体を追い込む、限界を追及するということに慣れているから。
しかしこれは流石に予想外だった。まさか自重スクワット20回×3セットで限界を迎えてしまうとは。
(いやでも……今は私の『肉体の限界』を知るいい機会かもしれない……)
今の私の体はひ弱な貴族。華麗なる伯爵令嬢。トレーニングをするどころか、カレッジの体育の授業以外でまともな運動もしたことはないはずだ。
そんな貧弱な体で、しかもトレーニング初心者が安定した姿勢でトレーニングをする補助とするためのマシンがないこの世界で、どこまでの負荷なら安全に鍛えられるのか。今後のためにも、この体に適したメニューを組んでいく必要がある。
――そんなことを考えながら床に座り込みかけたとき、不意に廊下の方から足音が聞こえた。
「失礼する」
低く、落ち着いた声が教室に響く。
「……!」
その声の主を確認した瞬間、私は思わず息を飲んだ。
ヨハン・フォン・ユークトベルク。
この国の第三王子であり、カレッジの生徒会書記。「ルナティック・アイズ」のメイン攻略対象のひとりであり、このゲームの「顔」ともいえる存在。
(……最初は結構期待していたキャラなんだけどねぇ)
寡黙でクール、しかし内に秘めた情熱がある男。ストイックで剣の腕も立ち、誰よりも努力を積み重ねる……そんな魅力的なキャラではあるのだが。
(でも、ヒョロガリなのよね……)
この男の問題点、それは筋肉が足りないことに尽きる。
――いや、騎士キャラならもっとこう……体格がしっかりしているべきでしょう!? なんでこんなに線が細いの!? これで剣士名乗っていいわけ!?
そんな憤りを抑えつつ、私は努めて平静を装った。
「生徒会書記の者だ」
ヨハンはいつもの淡々とした口調で名乗り、私たちを見回す。
……彼は、基本的に自分の名前を名乗りたがらない。それは自分が名乗ることで、「ユークトベルク王家」として認識されることで、王族たる身分を意識されたくないという思いから来ているものだ。
「空き教室から男子生徒の悲鳴が聞こえるという通報を受けた。何をしていたのか聞かせてもらえるか?」
(……あー、まあ、そりゃ通報されるか)
確かに、さっきまでこの教室ではハンスの壮絶な叫び声が響いていた。外から聞けば、何か尋常ではないことが行われていると勘違いされても無理はない。
「筋トレしてただけよ」
「……筋トレ?」
ヨハンがわずかに眉を寄せる。
「ええ、スクワットをね」
「……」
ヨハンは無言でこちらを見つめた。筋トレという概念が存在しない世界の人間のことだ。スクワットという言葉の意味を理解していないのだろう。
「筋力を増強させるトレーニングをしていたの。あなたもやってみる?」
私は悪戯っぽく微笑みながら、ヨハンに問いかけた。
――もしかしたら、ここで彼を巻き込めば、あのヒョロガリ体型をどうにかすることができるかもしれない……!
だが、ヨハンの答えは冷たかった。
「俺はそんなものに興味はない」
即答だった。
(興味持てヒョロガリ!!!!!)
心の中で全力で叫ぶ。だが、表面上は何とか冷静さを保つ。
「そう……それは残念ね」
ヨハンは私の反応に特に興味を示さず、淡々とした口調で続けた。
「そういえば……ライザ・カーヴス」
「?」
「生徒会長がお前に興味をお持ちのようだ。明日にでも知らせようと思ったが、今時間があれば是非会ってやってくれ」
「生徒会長が?」
「今の時間なら生徒会室にいるはずだ。……俺は伝えた。じゃあな」
そのまま教室を去るヨハン。
(このタイミングで、か)
原作でこのイベントが入るのは次の日だったはずだから、今私がヨハンと出会ったことでイベントの発生時期が前倒しされたのだろう。
「ライザ様、どうされますか?」
「いいわ、生徒会室に行きましょう」
「お、オレも行きま……!」
「あなたはしばらく休んでなさい。避けているわけじゃなくて、本当に無理は禁物よ? あとでまたここに戻ってくるから。アルバは彼にお水を用意してあげてから合流して」
「! 承知しました」
私は意を決して生徒会の方向へと歩みを進めはじめた。