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スクワット:それは未知の概念だった

 空き教室。

 机と椅子を部屋の端にどかし、私はハンスとアルバ、ふたりの前に仁王立ちになる。


 「では、始めるわよ――――今回行うのは自重スクワット!」


 私は高らかに宣言した。


 これはトレーニングウェアを準備する時間もなかったほど急遽行うトレーニング。

 スクワットなら制服でも無理のない動作だし、なにより筋トレ初心者にはうってつけのものだろう。BIG3のひとつでもあるしね。


 しかしそんな私の様子を見て、目の前の二人は完全にきょとんとしている。


 「……えっと、センパイ? 『スクワット』って、なんですか?」

 

 ハンスが珍しく本気で困惑した顔で尋ねる。アルバも同じく眉をひそめている。


 (えっ……待って……? スクワット知らないの? っていうか――)


 「ちょっと待って、あなたたち、薄々察してたけどもしかして筋トレっていう概念自体知らなかったりする!?」


 思わず大きな声を上げると、ふたりは揃って首を傾げる。


 「『筋肉』の『トレーニング』で『筋トレ』ってことですよね?」

 ハンスが声をあげる。

 「ってことは、筋肉を鍛えるためにわざわざ特別な動きをするんですか?」 


 「そうよ、人間は筋肉を鍛えなきゃ強くなれないの! それをサボったら、若いうちは平気でもいつか寝たきりにだってなっちゃうかもしれないんだから!」

 

 「しかし……」アルバが少し困惑したように言う。


 「筋力などなくとも、魔力で肉体の性能は底上げできますよ?」


 「はぁ!?」


 私は目を見開いた。


 「つまり、魔力でごまかせばいいってこと!? そんな理屈、通用すると思ってるの!? 魔力が尽きたらどうするのよ!!」


 「その時は回復すればよいのでは?」


 「ぐぬぬ……」


 言ってることは理解できる。たしかに、魔法が発達しているこの世界では、魔力で身体能力を強化できるのは知っている。


 (でもそれはあくまで補助的なものにとどめるべきなんじゃないの!?)

 

 「だいたいねアルバ、あなた騎士とか言ってるくせに筋トレしなくてどうするのよ! 訓練でいったい何やってんの!?」


 「それは……剣技など戦闘技術の習得が中心で、筋力を増強するためだけの訓練というのは完全に無駄――――」


 「無駄じゃない!!!」つい口をはさむ。


 「――――とみなされ、存在しませんでした」


 「じゃあその『戦闘技術』ってやつを基礎から支えているのは何だと思ってるの!?」


 「え?」


 「筋肉よ!!」


 私が強く言い放つと、アルバは驚いたように口をつぐんだ。


 「たしかに! センパイのおっしゃることには一理ありますね!」


 ハンスが両手で「なるほど」というしぐさをする。


 「一理どころじゃないわい! いい? 百聞は一見に如かずよ。今から私がスクワットを見せてあげる」


 私は制服の裾を軽くまくり、足を肩幅に開こうとする――そのとき


 「っ!? そ、そんな姿勢、はしたないですよ!?」


 突然アルバが顔を赤くして制止してきた。


 「なにがはしたないのよ」


 「そ、それは……その……」


 アルバは目を泳がせながら、ちらちらと視線を落とす。

 

 (……あぁ、そっか)


 この世界では、女性が足を大きく開くような動作はあまり行儀のよいものではないのだろう。


 でも


 「そんなこと言ってて正しいトレーニングができるか!!」


 私は一蹴し、何も気にせず堂々とスクワットの姿勢をとった。

 しとやかさを気にして誤った姿勢をとれば怪我をする危険だってあるのだから!


 「いい? まず手は胸の前でクロスさせて固定。足は肩幅に開いて、つま先は少し外側に向ける。そして背筋を伸ばして、背中とおなかが平行になるようにするの」


 自分の背中とおなかを手でなぞりながら解説をする。


 「ここまで出来たら、膝を曲げながら腰を落とす!」


 私は模範的なスクワットを実践してみせた。


 「こんな感じよ!」

 

 アルバは何か言いたげだったが、目をそらすのも失礼だということで真っ赤にしながら私の実演を見ていた。

 一方、ハンスは純粋に感心したような顔をしている。


 「へぇー! なるほど、これがスクワットなんですね! なんか簡単そうです!」


 「あら、だったらやってみなさい?」

 

 私は腕を組んで二人を見つめた。アルバは渋々といった様子で、ハンスはノリノリでスクワットの姿勢をとる。


 「まず、足を肩幅に開いて――はい、もっと広げて。そうそう、バランスよくね。で、つま先はほんの少し外側に向ける」


 ふたりは言われたとおりに姿勢を整えた。


 「背筋を伸ばして、膝を曲げる。ここで注意! 膝がつま先より前に出ないようにしてね」


 私は再びスクワットをして見せながら説明する。


 「はい、ゆっくり膝を曲げて――下げる。腰を落として……この時、猫背にならないように!」


 アルバはすぐに私のフォームをまねし、完璧な姿勢でスクワットを決めた。さすが騎士、動きの習得が早い。


 一方ハンスは……


 「な、なんか見た目よりキツい……!?」


 (ほう、これは……)


 明らかに体幹が弱い。つまり、筋力がない。予想はしていたがここまでとは……


 「ハンス、膝が内側に入ってる! あと背を反りすぎ!」


 「反りすぎ!?」


 「初心者がやりがちなのよ、猫背にならないように意識しすぎてね……だから背筋を伸ばすというよりも『背中とおなかが平行になるように』を意識したほうがいいの」


 「な、なるほど……!」


 「ほら、わかったらやる! ……そう。じゃあ次は腰を落として! 太ももと地面が平行になるくらいまで!」


 「うぅ……こ、こうですか?」


 「そう! その姿勢をキープして!」


 ハンスはプルプルと震えている。なるほど、やはりこの男は鍛えられていない。


 (というより、貧民の出なら身体を――筋肉を育てる栄養がそもそも足りなかったのね)


 「健全な精神(略)」プランを行うならば、まずはアルバよりもこの男の食育を行うのが急務かもしれない。


 私はふたたびふたりを交互に見やり、宣言する。


 「さあ、ここから20回! カウントするわよ!」


 私は音頭を取りながらスクワットを始めた。


 「いーち!」


 「にーい!」


 「さーん!」


 アルバは案外スムーズに動作をこなしているが、ハンスは10回目を超えたあたりで呼吸が荒くなってきた。


 「く、くそぉ……これ、意外とキツいですね……!」


 「当然よ。スクワットは初歩にして究極のトレーニングなんだから!」


 「な、なるほど……センパイ、すごいですね……!」


 私はドヤ顔で腕を組んだ。


 「まだまだ! 今日は足腰立たなくなるまでシゴきまくるんだからね!」


 その日、空き教室から男子学生の悲痛な叫び声が聞こえたという噂がカレッジ中に出回ったのはまた別の話……

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