「細マッチョ」なんて認めない!!
研究室の蛍光灯が鈍く瞬いている。壁際のホワイトボードには未解決の方程式と議論の跡がびっしりと書き込まれ、その手前の机には冷め切ったコンビニコーヒーが三つ。デスクの片隅には仮眠用のブランケットが無造作に積み上げられていた。
私は明星誉。某国立大学の大学院生で、研究室に泊まり込むのはもはや日常。専門はレーザー光の伝播だが、研究以外では筋トレが趣味だ。ストレス解消のために始めたが、いつの間にか筋肉に魅せられ、トレーニングを欠かせない生活になっていた。目指すは理想の筋肉美──そう、マッチョ至上主義。
しかし今、この瞬間、私の筋肉愛が試されている。
私は解析を回しているパソコンの隣の机に座り、勝手に搬入したゲーム機とディスプレイを前に唸る。
ディスプレイに映るは煽情的な半裸の男。
私の目の前には、「ルナティック・アイズ」というゲームのプレイ画面が映し出されていた。
「ルナティック・アイズ」は、王侯貴族が集う学園を舞台に、陰謀と愛憎が渦巻く乙女ゲームだ。プレイヤーは「月の瞳」と呼ばれる特別な力を持つ主人公となり、貴族社会の権力争いや恋愛模様を体験する。ゲーム内では攻略対象ごと、選択肢ごとに細かく異なるストーリーが展開され、ミステリー要素やダークファンタジーの雰囲気も漂う。シナリオはいい。キャラ造形もみんな魅力的だ。そして、R15だが展開がだいぶエロい。
このゲームを勧めてくれたのは学部時代からの友人の真紀だ。連日研究室で缶詰めになっている私を哀れみ、解析中の息抜きとして貸し出してくれたのである。
女性向け作品における彼女の審美眼は恐ろしい。特に成人向け作品でないものに関しては。彼女は自他ともに認める「エロ大魔神」――成人向けでないにもかかわらずドチャクソシコい波動を出す作品を探し出すのが異常にうまいのだ。だから私も彼女が勧めてくれるものには基本的に安心して手を出しているのだが……
「……な、なに、これ…………」
画面には、銀色の月光の中、このゲームの顔ともいっていい攻略キャラクター、ヨハン・フォン・ユークトベルクが華麗にシャツをはだけさせたスチルが映し出されている。
確かに絵は綺麗だ。端正な顔立ち、気怠げな微笑み、そして――――細マッチョ。
「ちっっっっっがあああああああう!!!!」
私は乱雑に置かれていた論文の束をデスクから薙ぎ落とした。
「これは!!! 細マッチョでは!!! ない!!!!!」
イケメンなのは認める。声もいいし、キャラも悪くない。
CLAMP先生の時代から連綿と続く「承太郎(BL二次創作の攻め様)系」のクールオラオラ系イケメン。本来であれば私の性癖ドストライクのキャラだ。
でも何だ、この腹筋の線は?
(影のつけ方でそれっぽく見せてるだけで、実際には皮膚の下にダイレクトに筋肉が透けてるタイプ……!! 腹直筋が見えてるだけのガリガリをシックスパックと言い張ってるアレじゃないの……!!?)
断言する。これは「筋肉がある」とは言わない。言えない。認めない。
細い!! ガリガリだ!!
私は震える手でスマホをとり、即座にラインの通話ボタンを押した。時間は深夜2時。こんな時間でも相手はきっと出るはずだ。
――――案の定、通話は2コールで繋がった。
「もしもし?」
「聞いてよ真紀!! アンタが勧めてくれた『ルナティック・アイズ』、シナリオは悪くなかった! 悪くなかったんだけどさ!!」
「は?」
「ヨハンの脱衣スチル!! なにあれ!?」
「もしかしてそれ、筋肉の話スか」
「これは重要な問題なの!! 見てよこれ!!」
私はビデオ通話に切り替え、ディスプレイを映し出す。
「おー、もうそこまで進めたんだ」
「進めた! だって承太郎フォロワーのキャラっぽかったから!」
「お前ほんと承太郎好きな」
「正確にはCLAMP先生フィルターを通した承太郎だけどな。ていうのは置いておいて、問題はこれよ!!」
私は勢いよく画面のヨハンを指さす。
「……どれよ」
「おかしいでしょ!? 剣士キャラだよ!? 王族の剣術指南役から直々に手ほどきを受けた第三王子だぞ!? なんでこんなに細いのよ!?」
「いや、だって美麗スチルだし? 細マッチョって普通はこういうもんじゃない?」
「違う!! 細マッチョっていうのはね、適度な脂肪と筋肉がバランスよくついている状態をいうの!! これはただの痩せ型!! 腹筋割れてるんじゃなくて、皮膚の下の構造が浮いてるだけ!!」
「お前一般的な乙女ゲーに何求めてんの?」
「筋肉!!!」
私は力強く宣言する。
「考えてもみてよ。こんなエッチな雰囲気のスチルがあるなら、男の色気の象徴として筋肉が活かされるべきでしょう!? 何故この世界の男たちは筋トレをしないのか!? 剣士なら猶更でしょ!? こんなんエッチじゃないよ!! 鶏ガラ男が折り重なってきてるだけだよ!!」
「それは言いすぎだろ……」
「ま、まじか……理解、していただけない……?」
「そりゃ筋肉フェチ向け作品ならわかるけどさ、一般的な乙女ゲーだったらこれが限度じゃない? 下手にムキムキにしてもそれはギャグになっちゃうし」
「なーーーにがギャグですか!? 顔だけ綺麗なガリガリ男に迫られるほうがあまりに貧弱すぎて笑っちゃうでしょうが!!」
私は熱弁を続ける。
「例えばここからマジの濡れ場シーンに突入するとする! でもな、相手がこれくらいガリだと絶対に体幹弱いから体位だって安定しないし、そもそも耐久力が足りなくなる!!」
「お前処女のくせに何言ってんだ」
「うるさい!! ああ、本当に嘆かわしいわ。こうなったらすべての乙女ゲームに筋肉チェック機能をつけるべきじゃない? 『筋肉量:多・中・少』で選ばせるべきじゃない!!?」
真紀のため息が通話越しに響く。
「……お前さ、研究室に何日いる?」
「え? ……2、3日?」
「嘘つけ。昨日も一昨日も、朝までこっちに進捗報告のチャット送ってたろ」
「あっ」
「もういいから帰れ。今すぐ布団で寝ろ」
「そ、それは無理! だってもうすぐ解析終わるし――――」
私はちら、とゲームのディスプレイを見る。今日はもうここから進める気力も時間もない。今夜はここでセーブしておこうか…………
「……ん、あれ……?」
そんなことをぼんやり考えたとき、急に視界がぐにゃりと歪んだ。
「ほ、誉? どうした?」
全身が一気に重くなり、身体が沈むような感覚に襲われる。
疲労の蓄積、徹夜の影響……いや、これは――――
ガン、と頭ににぶく響く衝撃。ここでようやく自分が床に倒れこんだことに気づく。
「誉!? 大丈夫!? ねえ!!」
真紀の声が遠ざかっていくのを感じながら、私は目を閉じた。
そして――――
次に目を開けたとき、そこには見覚えのある装飾が施された天蓋付きのベッドがあった。
そして、目の前の鏡に映ったのは――――
金色の髪、白い肌、そして、月光に映えそうな、美しい青紫の瞳。
彼女は――いや私は、間違いなく、先ほどまでプレイしていた「ルナティック・アイズ」の主人公になっていた。
(……いや、ちょっと待って、筋肉は!?)
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