死体埋め部たるもの、冗談を言わずしてならず
死体埋め部がTwitterでトレンド入りしていたので、それをテーマに書いてみました。
斜線堂有紀先生の死体埋め部シリーズにだいぶ影響されています。
「これが巷で話題の死体埋め部じゃないか?」
久田宗がそう言うものだから、藤は目の前の穴に落ちそうになった。まさか自分たちの行動を言葉にされるとは。しかも冗談の延長線上に言われるとは思わなかった。藤は思い出した。この男は天下の久田宗なのである。突飛な発想は久田を象徴するもので、久田の外見が整っていなければその脳を久田宗としてもよいほどに、久田の思考は特殊であった。でなければ、後輩を巻き込んで死体遺棄を実行しようとは思わないだろう。その最中にジョークを言うことだってしない。
事実として、藤たちは死体埋め部ではない。部活動中に死体を埋めているだけであり、死体を埋めることを目的とした部活動である死体埋め部とは異なる。死体遺棄が合法とされている空想の世界に自身をおくことすら、藤たちにはできないのである。だって、これは紛れもない犯罪なのだから。逃げることなんて許されない。今だって罪から逃げるために死体を埋めているのに! 逃げた事実から逃げられないのである。言うなら、死体遺棄の時点で許されていない。しかし、止める人間がいないのである。死体遺棄を推奨する人間だけがいる。それが久田宗であったから、藤は死体を埋めている。
「フジ、部活動の定義って知ってるか?」
藤は答えない。答える余裕がないのである。死体遺棄による心労と穴掘りによる疲労が理由だ。ぶっちゃけ藤は泣きそうだった。久田に選ばれた自分を呪いたかった。偶然というにはできすぎで、運命というにはその先はきっと破滅しかない。死体遺棄の実行を決めた久田を恨むことはしなかった。久田宗を否定するなんて恐ろしい。いま掘っている穴が藤の墓穴になる。藤にとって久田宗とはそういう人間だった。藤は久田について何も知らない。
「部活動ってのは生徒の自主的、自発的な参加により行われるもので、学習意欲の向上や責任感、連帯感を養成するものらしいぜ。なぁ、これってピッタリじゃないか?」
泥だらけのジャージは学校名も読めないほどに汚れていた。これではふたりの繋がりがなくなってしまう。部活の先輩後輩という事実がなくなってしまったら、二人の関係はどうなるのだろう。共犯者? 嫌だな、まるで罪を犯したみたいじゃないか!
「お前が積極的で助かるよ」
その通り、ふたりは罪を犯したのである。久田の発言は自身の行為を犯罪と理解してのものである。藤が現実から逃げようとしても、久田が口を開けば連れ戻されてしまう。久田は藤が逃げることを許さない。自分だけが犯罪者になることが恐ろしいのか? それとも、残された正義感が久田をヒーローたらしめるのか? 今となっては関係ない。どう足掻いてもふたりは犯罪者なのである。久田が藤を逃がしても、藤は犯罪者である。
「そんなに泣くなって」
久田は笑っていた。いつだって、達成感に笑う人の表情は美しい。しかし、死体を埋めた者の表情としては藤の方が正しいのではないか? 罪を犯した者が笑っているなんて間違っている。だから藤は泣いているのだ。きっと、それは無意識的に。
「大丈夫。見つかることなんてないさ」
無責任にも取れるそれは、久田宗が言うことによって半永久的な事実となる。天下の久田宗が失敗を犯すことなんてない。なら、久田にとって、始めからすべてが正解だったのだろうか。死体を埋めることも、共犯者に藤を選ぶことも。
いっそのこと見つかってくれと藤は思った。そうでないと、藤は犯罪者のままである。
それでも、藤が死体を掘り起こすことはない。藤と久田は共犯関係なのである。藤は久田を裏切らない。裏切れない。だから、久田はこれを死体埋め部と言ったのである。連帯感というには大成功じゃないか。