第11話 出会い
俺がザンテの爺さんに引き取られて一夜が明けた。俺は書類や本が乱雑に積まれた机の上に放置されていたが、俺の持ち主は気持ちよさそうにベッドの上でぐうすかと寝息を立てて眠っていた。やれやれだ。
せっかくなので、俺は部屋の中を見渡した。柱時計があり、その針が午前七時を指していた。この屋敷にやって来た時には既に日もとっぷりと暮れていて、部屋の中は真っ暗であまり確認ができなかったが、今は窓から差し込む朝日に照らされている。ふむ、ガラス窓だ。所謂ロンデル窓という奴だな。
まずは机の上だ。折り目の付いた書類が積み重なっている。内容は……うん、借用書だな。何々、こっちは五百万ルメル、杖を担保に貸し出すと。そういえば、昨晩爺さんの弟子のクリスと言ったか。彼が話していたのを思い出した。しかし、五百万ルメルにもなるとは、どんな立派な杖を持っていたんだろう。
こっちの書類も借用書だ。これは個人から借りたものだろうか。バーシャという名の人物から百万ルメルを借りている。バーシャはザンテの息子だと言っていたが、本当に息子から借金してたのかよ。しかも、借用書まで作って……。こっちはナガリという人から五十万ルメル借りているな。うん、借用書だらけだ。
ざっと見た感じ、いろんなところから摘まんで軽く一千万ルメル近く借金しているようだ。よくそんなに借りれたな。ただ、ありがたいことに? どの借用書も利子の設定がなかった。まぁ、バーシャの場合、自分の親から利子まで取ろうという気はしないのかもしれないが。ふむ、どういうことなのか事情も気になるな。
そのほかには良く分からない難しそうな分厚い本が積み重ねられており、その近くにペン立てやらインク壺、そして使い古されて茶渋がこびりついた花柄のカップが置かれている。
部屋の中も天井までの高さの本棚が四方をぐるりと囲うようにその中に大小様々の本が隙間なく立てられているが、昨晩クリスが話をしていたように中には埃を被っているものもある。そういえば、魔法書だって言ってたっけ。ちょっと読んでみたいかも。
そして、机の傍に天蓋の付いたダブルサイズくらいのベッドがあり、そこに俺の持ち主であるザンテが眠っているという状況だ。うーん、天蓋の付いたベッドって通販サイトでちらっと見たことはあったけれど、実物を見るのは初めてだ。ただ、かなり年季が入っているように見える。
コンコンコン!
「お師匠様、朝ですよ」
ノックとともに少年の声がした。クリスだな。だが、ザンテの爺さんは起きない。熟睡している。うーん、俺も声を掛けてみるか。一応、持ち主として認めたんだから、意思疎通だったか? スキルの効果で話し掛けられるかもしれない。装備してなくても話し掛けられるかは分からないが。
『おい! 爺さん、朝だぞ!』
「ふがっ!?」
俺が声を掛けると、ザンテの爺さんが飛び跳ねるようにがばっと起きた。俺の声に驚いたのだろう。まぁ、いきなり朝から見知らぬアラフォーのおっさんの声で起こされたらこうなるのも分かる気がする。
そんなことを思っているとクリスが扉をガチャリと開けて入ってきた。
「お師匠様、起きられましたか?」
「う、うむ。そうか、クリスの声じゃったか……」
『いや、俺だ』
「だ、誰じゃ!?」
『俺だよ、俺』
まるで、オレオレ詐欺だが、そういえば名乗ってなかったな。
『昨日オークションで買ってもらった片眼鏡で、安田有馬という。これからよろしく頼むぜ、ザンテの爺さん』
「片眼鏡……!? おぉ、暗黒竜の瞳の! そうか、そうか! なるほどのう! 其方の声じゃったか!」
「あの、お師匠様……? 一体どなたとお話しされているのです?」
「もちろん、これじゃ!」
そう言って、ベッドからしゅばっと降りてきて、机の上に置かれていた俺を摘まみ上げて、クリスのもとに駆け寄った。そして、クリスの目の前に差し出した。
「これですか?」
「うむ。難度S級ダンジョン『暗黒竜の住処』の九十六階層の宝箱から冒険者が持ち帰ってきた代物でな、冒険者ギルドのSランク鑑定士でもその全容を調べることはできなかったのじゃが……」
「お師匠様は見抜かれたと?」
「そうじゃ! 儂は独自に編み出した究極の鑑定魔法『神眼』を使えるからの!」
「なるほど、それで二十五万ルメルも使ったと?」
「うむ。本来の価値はざっと十億ルメルを超えるじゃろうな。そう考えれば安いものよ」
「じゅ、十億ルメルですか!?」
『マジかよ!?』
「うむ! 久々に非常に良い買い物をしたわ!」
「それで、その片眼鏡が話し掛けてきたと。……ということは、もしや、これは伝説のインテリジェンス・アイテムですかっ!?」
「その通りじゃっ!」
「へぇ! 凄いじゃないですか! これを売れば借金を全て返済できるだけでなく、大金持ちになれますよ!」
「売るわけがなかろう! それに、売れぬ理由がある」
「どういうことでしょう?」
「うむ、こいつには使用者制限が掛かっておるのじゃ」
「あぁ、それは……」
「うむ。これを使用できる者は一万人に一人いればいいかどうかじゃろうな……」
「でも、お師匠様は使えるのですよね?」
「そうじゃ。急にな、使えるようになったのじゃ。それが不思議でな。そこのところを確認したいと思っていたのじゃが、説明してくれるかの?」
『分かった。だけど、その前に。さっきも言った通り俺の名前は安田有馬。姓が安田で、名が有馬だ。俺のことは有馬と呼んでくれ』
「なんと、名前があるのか! それでは今後はユーマと呼ばせてもらおう。クリス、どうやらこのインテリジェンス・アイテムにはユーマ・ヤスダという名前があるそうじゃ。今後はユーマと呼ぶことに決めた」
「インテリジェンス・アイテムに名前があるなんて初めて知りました。私は彼の大賢者ダンサ・ノーザ様の御子息で高弟でもあられるザンテ・ノーザ様の弟子で、クリス・ブレイブと申します。よろしくお願い致します、ユーマ様」
『おう、よろしくな! と言っても聞こえないか……。爺さん、俺の声は使用者のみに聞こえるよう制限が掛かってるんだ。クリスによろしくと伝えてくれ』
「ほう、そのような制限が。クリス、ユーマもよろしくと言っている。どうやら、ユーマの声は使用者である儂にしか聞こえないよう制限が掛かっているらしい」
「そうなんですか。それは少し不便ですね」
「うむ。まぁ、それはさておき、次は儂の紹介じゃな。といっても、先ほどクリスがあらかた説明してしまったが。儂は彼の大賢者ダンサ・ノーザの息子で高弟のザンテ・ノーザと申す。宮廷魔法師を務めておったが、訳あって職を辞してな、今は引退した魔法師じゃな」
『ザンテの爺さん、よろしくな。ところで、俺はダンジョンから出た後ずっとマジックバッグに入れられていたから、この世界について詳しくないんだ。色々と教えて欲しいんだが』
「なるほど。そういうことなら、色々と説明することにしよう」
「お師匠様、その前に御着替えを。それから先に朝食を取ってからにしてください」
「そうじゃったな。そういうことで、またあとでな」
『分かった』
こうして寝起きのザンテ爺さんと弟子のクリスとの顔合わせが終わった。しかし、十億ルメルだって。俺の本当の価値。すごくない? だって、年末のジャンボな宝くじの一等前後賞を合わせた金額だぜ? 俺にそんな価値があるとは思わなかった。
というか、インテリジェンス・アイテムって何だ? そういえば、昨日もシステムメッセージみたいなのが頭の中で言ってたが。インテリジェンスって、知性とか知能という意味だから、もしかして俺みたいに意思を持ったアイテムのことを言うのだろうか。言っとくけど、俺は別に頭は良くないからな。凡人のそれだ。
しかし、ザンテは大賢者の息子だと言っていたな。由緒正しい家系なのかもしれない。それならば貴族街に屋敷を構えていることも理解できる。だが、弟子と二人暮らしみたいだな。実の息子とも別居しているようだし、奥さんの姿も見えない。何か訳ありなんだろうか。
そう言えば、訳があって宮廷魔法師を辞職したとも言っていた。何か関係があるのだろうか。あんまり人の事情を根掘り葉掘りと聞くのは良くないと思うが、俺の持ち主の事情くらいは把握しておきたい。
そんなことを考えていると、ザンテの爺さんの着替えが終わった。俺は部屋で待機かなと思っていたら、早速俺を使うようで眼窩に嵌めた。そして、俺は装備された状態となった。装備状態となると、使用者にぴったりとフィットするらしく、別に力を入れなくてもずれ落ちるということがないようだ。
「おぉ、これは便利じゃの!」
『装備してもらっているときは爺さんと一心同体だな』
「一心同体、なるほど。その通りじゃな」
ザンテの爺さんの視線に合わせて視野が広がる。だが、それは人間が見える範囲よりも広いように思える。背後までとはいかないが、馬の視野ぐらいは広いのではないだろうか。因みに、馬の視野は三百三十度から三百五十度まであると言われている。何というか、あれだな。慣れていないせいか気持ち悪い。酔いそうだ……。
ザンテの爺さんが部屋から出ると、廊下を歩いて食堂へと入った。結構広いな。置かれているテーブルも縦に長くて広い。一番奥には立派な席がある。それを取り囲むように席が幾つも並び、末席には子供用の小さく足の長い椅子が置かれていた。ふむ、大家族用の食堂だな。
その食堂の脇にある扉を開けて入るとそこはキッチンだった。そこに調理台のような机があり、脇に簡素な椅子が二つ向かい合わせに置かれていた。調理台の上には色の濃い固そうなパンが一切れ乗った皿とスープの入った小さな器が乗せられた。
『えっ、これだけ?』
「うむ。毎日これじゃな」
『少なくない?』
「清貧ここに極まれり、じゃな」
「ただお金がないだけですよ、さぁ座ってください」
「うむ」
ガタガタと椅子をずらしてそこにザンテとクリスが座る。どうやら朝食はクリスが作ったらしい。これも弟子の仕事なのだろうか。しかし、それにしても固そうなパンだ。スープも具が入ってないし、色もなんだか薄い。すまし汁のようにお出汁が利いているのならば良いが、そうでないとただの塩を溶いたお湯という可能性もありうる。こんなのを続けていたら身体を壊すぞ。
「では、頂こう」
「はい、召し上がってください」
二人はパンを引きちぎってスープに浸しながら食べる。なるほど、ふやかして食べるのか。しかし、もう少しまともな食事をさせたほうがいいな。でも、そのためには金がいる。これ以上借金を増やすわけにもいかないだろうし、何か金策を考えるべきだろう。つまり、この世界に革新を齎し唸るほどの利益を上げられるような、そんなものを考え出して大儲けする。所謂知識チートの出番だ。
とはいえ、この世界のことを何ひとつ知らない状況では知識を使うわけにはいかない。今からちょっと頭の中で異世界あるあるの知識チートを思い出してみよう。
例えば、新たな調味料を作るというのはどうだろうか。王道のテンプレパターンだな。でも、そもそもマヨネーズがある可能性を考えておかねばならない。それに、材料が必要だ。この世界では卵が貴重品という可能性もある。というか、そもそも材料費が掛かる時点で色々と懸念があるし、一体マヨネーズを誰が作るんだ? クリスと爺さんか? 魔法使いにさせることじゃないだろう。一旦保留だ。
次に、バネを発明し馬車の振動を軽減するというのはどうか。俺も馬車には何度か乗ったが、特に揺れというのは感じなかったな。マジックバッグの中に入っていたせいかもしれない。というか、バネを発明したとしてそれをどうやって金にするんだ。作るにしても鍛冶師を雇う金が必要だぞ。それに試作もたくさんしなければならないだろうから、やはり先立つものが必要だろう。これも保留だ。
最も簡単そうなのはボードゲームを作るというものだ。異世界といえばボードゲーム、特にリバーシは鉄板だろう。木の板があれば、それを切り出して加工すれば作れると思う。それで、作ったとしてどうするんだ? 売るためには商人との繋がりが必要だろう。それにこの国では権利周りの扱いがどうなっているか分からない。著作権料なんて期待できないと考えたほうがいいな。この案は却下だ。
今朝の二人の食事から思いついた、柔らかいパンを作るというのはどうだろうか。天然の酵母を作るのに時間が掛かるかもしれないが、そこまでお金も掛からずに作ることはできるかもしれない。ちょうどキッチンにはパンが焼けそうな窯もあるし。それで、一体誰が作るんだ? クリスは子供だし、ザンテは爺さんだ。肉体労働をさせるにはちょっと厳しいものがある。かと言って、パン屋に権利を売るというのもな。というか、そもそも柔らかいパンも既に存在する可能性があるな。これも一旦保留だ。
最後に、異世界に日本の食事を広めるというのはどうだろうか。といっても、高度な技術が求められる和食などを広めようというわけではない。家庭料理だ。カレー、ハンバーグ、ラーメン、鶏のから揚げなどなど。っていうか、これもさっきと同じ問題が発生する。誰が作るんだという問題。それから作ったとして、それをどう広めてどうお金にするのかという問題。別に料理屋を始めたいわけではないし、二人もそれは望まないだろう。うん、これも保留というか却下かな。
やっぱり大前提としてこの世界の常識を知らないと何もできないな。あと、初期費用が掛かるものも正直うまくいかない気がする。下手をすれば余計に借金が膨らむ可能性が高い。となると、元手が掛からなくて、お金が手に入る商売を考えるべきか。前世だと、Webライターとかプログラマーなんていう職業が考えられるが、この世界にはWebはないだろうし、プログラムが動くパソコンもスマホもないだろう。
さて、どうしたもんか。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




