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第1話 転生

『んん……うぅん、もしかして、まだ夜中なのか?』


 眠気眼のまま、今何時なのか確認しようと、いつもベッドサイドに置いているスマホに手を伸ばそうとする。だがその瞬間、何とも言えない違和感が襲ってきた。


『あ、あれ? 腕が動かない……?』


 昨晩はいつものように、眠りにつく直前までスマホを弄り、お気に入りのネット小説を読み漁っている途中で意識を失った。まぁ、よくある寝落ちというやつだな。


 そのままぐっすりと眠り、いつも通りなら午前七時に設定したスマホのアラームに起こされるところなのだが、今日に限っては違った。自然と目覚めることができたのだ。


 まぁ、そういう日もあるか。と、普段ならば気にしなかっただろう。だが、今日は何か様子がおかしい気がする。そう、何かが……。


 状況がいまいち掴めないことに焦りを覚え、慌てて俺は意識を覚醒させた。ベッドから起き上がり、背伸びでもしたいところなのだが、何故かそれをすることができなかった。どうやら、動かせないのは腕だけではないらしい。身体全体が言うことを聞かない。


 それに、今の俺は目を開けているのかどうかすら判断が付かなかった。何故なら、目の前の視界は見たこともないような真っ暗闇に閉ざされていたからだ。今が例え夜中であっても、流石に窓の外から他所の家や街灯の明かりが入ってくるだろうし、部屋の中が暗いことはあっても手元ぐらいまでなら視界は確保できるはずだ。


 もしかして、停電でも起きたのか? いや、目の前に広がる暗闇はそんなレベルではない。まるで意図的に光が入らないように締め切られた密室に閉じ込められたような状況だ。何も見えない。


 それに、まるで全身が麻痺でもしたかのように重たく、昨日までのように思い通りに動いてくれない。まさか、寝てる間に大きな事故に遭って集中治療室の中にいるとか? ……そんなわけないか。


 では、何かしらの事件に巻き込まれたとか?


 オートロック完備で、ドアのU字ロックもした上に鍵もちゃんと掛けた賃貸マンションの我が家に、誰かが忍び込んでこんな状況を作り出したとは考え難い。そんな奴がいたとしたら相当な恨みを買っていたことになるが、正直に言って心当たりがない。


 俺の身に起きた事態というか、状況が分かるにつれて、意識もだいぶはっきりとしてきた。完全に目が覚めたようだ。まず、自分の身に起きていることを整理してみよう。大丈夫だ、まだ慌てる時間ではない。


 ひとつ目は、目の前の視界がまったくない、真っ暗闇の中にいるということだ。どれだけ目が暗闇に馴染んできても全く何も見えないのだから、そういう結論になった。


 ふたつ目は、身体がピクリとも動かないということだ。そもそも、皮膚の感触すらない。いつものベッドに擦れる感触も感じなければ、着てる服の感触もなかった。


 三つ目は、一応意識だけははっきりしているということだ。俺の名前は安田有馬やすだゆうま。競馬好きの親父に付けられた名前のせいで色々とからかわれることが多いけど、おかげで名前を覚えてもらえやすい。歳は三十九歳、独身。職業は会社員。特筆するところは何もないモブサラリーマンだ。昨日食べた夕食のメニューもカレーと茹で卵、それに缶ビールだったことをちゃんと覚えている。


 現状把握できている情報は以上だ。


 ……いや、流石に情報が少なすぎるだろう、常識的に考えて。せめて視覚的もしくは聴覚的な情報が欲しいところだ。そう言えば、今さらだけど音の類も何も聞こえないな。本当にどうしてこうなった?


 しかし、冷静になって状況を考えれば考えるほど、俺が何らかの事件に巻き込まれたとは考えづらい。それよりも、もっと現実的に起こり得る状況を想像してしまった。例えば病気の類だ。


 先ほどから、何とか指先だけでも動かそうと必死に藻掻いているのだが、一向に動かせる気配がない。そのような中で意識だけがはっきりとしている。それって所謂植物人間の状態ではないか……?


 そう考えると、今自分の身に起こっている状況について、すべての辻褄が合う。だが、そんなことは考えたくもなかった。


『おいおい、まさかな……』


 俺がそんなことになるわけがないだろう? そう思ったが、先日受けた健康診断の結果は確かに悪かった。尿酸値は基準を下回ったが、悪玉コレステロールや血中脂肪の値は悪く、肝臓のエコー検査の結果も良くなかった。まぁ、メタボ体型だからな。


 だが、その結果がこれなのか!?


 俄には受け入れ難いことだが、なるほど、こうやって突然身体に不調が現れるのか、などと思うと納得はできた。もう少し健康に気を使うべきだった。昨晩もカレーは当然のようにお代わりしたし、茹で卵は三個も食べた。缶ビールも二本飲んじまった。まさに、時既にお寿司! あぁ、最後にお寿司を食べておくべきだった!


 未だに事態を受け入れることができないせいで、つまらない冗談を思い浮かべてしまうが、次第にこれが現実かと思い始めると、今さらになって少しばかり後悔の念に駆られる。


 心の中で田舎に住む老いた両親に申し訳ないと謝った。好き勝手に生きた結果がこれだ。本当にごめんなさい。もっと親孝行したかったな……。だが、今の状況を受け入れるしかない。


 なんだか泣けてきた。でも、不思議と涙は出なかった。


 ともかく。原因がなんであれ、このような状況では一体何時まで生きていられるのか分からない。マンションはオートロックだけでなく、ドアのU字ロックも施錠しているし、当然鍵を掛けている。


 そして、俺は基本的に在宅勤務なので、そもそも日中に外に出ることがほとんどなく、周りの住民とはもちろん疎遠だ。そんな中で、俺が部屋の中で一人こんな状況になっていても誰も気付いてくれないだろう。もう少し近所付き合いをしておくべきだった。


 また、無断欠勤となった俺のことを心配して会社の同僚が自宅まで様子を見に来てくれることを期待したいが、はたして付き合いの浅い会社の同僚がそこまでしてくれるだろうか? ここに来て深い付き合いの同僚がいないことが仇になるとは思わなかった……。


 うーん、なんだか色々と不安になってきたぞ。


 現状俺が置かれた状況を踏まえて今後の予測をしてみるが、ほぼ厄介な死に方しかしないだろうと思われる。例えば、一か月もしない内に餓死し、そして次第に死体が腐り始めるだろう。隣人により異臭騒ぎが起こり、暫らくしてから皆に異常を知ってもらうことになる。そうして部屋の鍵を開けて、ドアのU字ロックを切断し、ようやく俺の死体とご対面となる。


 その後、俺の借りてたマンションの一室は事故物件となり、そういう情報サイトに掲載されて、ネット上で晒されることになるだろう。そして、両親に損害賠償などの請求が行くのだ。この歳になって両親に面倒なんて掛けたくないのだが……。一応、貯金はそこそこあるから、それで何とかしてもらうしかない。


『さて……。これからどうすっかな?』


 正直、戸惑いはあるものの、死ぬ覚悟はできた。不思議とパニックにはならなかった。俺ってこんなにも達観した性格だったっけ? いや、泣くことも喚くこともできないし、ただ諦めただけか。


 まぁ、それはいいとして、俺が死ぬまでに幾らかの猶予がある。だが、何かをして暇を潰そうにも周りに視界はないし身体が動かないわけで、できることと言えば妄想を膨らませることくらいだった。


 そうだ。お気に入りのネット小説の物語のように、生まれ変わったらどんなことをしたいか考えてみるのはどうだろうか。今度はサラリーマン以外の職業を目指すのも面白いかもしれない。もちろん、健康に気を使うことも忘れてはいけない。あぁ、異世界に転生するというのも面白そうだ。例えば、剣と魔法の世界とか。想像しただけでワクワクする。そこでどうやって生きていくか。剣か魔法か、それとも知識チートか。そんなことを考えながら死を迎えることにした。



『おっかしいなぁ……?』


 何故俺は生きているんだろうか? 哲学の話ではない。現実的に起こっている事象に対する疑問だ。


 暫くは妄想に耽りながら時間を過ごしていたが、やはり飽きが来てしまった。妄想を膨らませるにも、何かしらの材料が欲しい。ネットを見たいところだが、残念ながらそれは叶わない。仕方がないので寝ることにしたのだが、一向に眠気が来ることはなかった。


 そうして、何もやることがなくなった結果、俺は死ぬまでにどれだけの時間が掛かるのか、試しに数えてみようと考えた。もちろん、時計など見れないので、心の中で、およそ一秒間隔で『一、二、三、四、五……』と数えていくしかない。下らないことではあったが、暇潰しになるなら何でも良かった。


 結果、延々と数え続けた時間は二百六十万秒を超えた。六十で二回割ってさらに二十四で割ると約三十日、つまり一か月が経ったことになる。流石に餓死していてもおかしくないと思うのだが、不思議と元気いっぱいだった。これが人体の不思議というやつか?


 いや。そもそも、空腹を感じない時点で色々とおかしい。やはり、俺の身体に何か異常事態が起きていると考えるべきだろう。だが、それが何なのかなんて今の俺には調べようがない。だから、気にすることをやめた。だが、時間を数えることはやめなかった。



 時間を数えること一千五百九十八万七千八百三十四秒。つまり、約半年が経過したあたりで、久々の感覚に襲われた。そう、俺の聴覚が機能していたのだ。


 突然「ギギギィ」と古いタンスを開けたような音が響くと、ザスザスとかドスドスという足音のようなものも聞こえてきた。これには驚きと喜びの感情で心が満たされた。


『音がある世界って素晴らしいな……』 


 なんだか泣けてきた。寂しさからだろうか。それとも年を取ったからだろうか? 少し涙もろくなっているかもしれない。


 久しぶりの音に耳を傾けていると、何やら声が聞こえてきた。


「おい、ちょっと待て!」


「まぁ、良いじゃねぇか!」


「先走るんじゃねぇよ!」


「早い者勝ちだぜっと! お、おぉっ!?」


 何とも野太い男たちの声だ。できれば優しくて可愛い若い女性の声のほうが嬉しいのだが、そんな贅沢は言えない。そんなことよりも彼らの話す内容から今俺が置かれた状況を把握するほうが重要だ。


「……やっぱりあったじゃねぇか、宝箱!」


「それにしては見すぼらしいな。ただの木箱じゃないか?」


「とはいえ、九十六階層だぜ? レアなアイテムも期待できる」


「うむ。だが、罠が仕掛けてあるかもしれん」


「よし、俺が中を確認しよう。皆は離れていろ」


「おう、頼んだぜ!」


 ……耳を澄ませて野太い声の男たちの話の内容を聞いてみたが、どうにも状況が掴めなかった。なんだよ、宝箱って。


 もしかすると、おっさんが数人集まって仲良くゲームでもしているのかもしれない。しかし、寝たきりである俺のそばでそんなことをする奴はいるのだろうか?


 いや、そもそも俺の部屋は鍵が掛かっていて、U字ロックも掛けたオートロックのマンションで、他人が勝手に入ってくることはできないはずなんだが……。もしかして、前提条件が間違っている?


 例えば、俺はどこか知らない場所に監禁されているとか。そんな可能性が頭を過ぎった。一体何がどうなってるんだ!?


 それに、九十六階層はどういう意味だろう?


 もしも、俺の監禁されている場所が高層ビルの九十六階にあるとして、それは果たして国内のビルなのだろうか? そのような高層ビルなんて国内にはないはずだ。そんなに高いビルなんて、海外の有名な超高層ビルしか思い浮かばないのだが……。


 だが、そんなところに俺が監禁されているとは思えない。何故なら、俺のパスポートはとっくの昔に有効期限が切れているのだから。普通は出国なんてできないはずなんだが……。


 うん、もっと情報が必要だ。再び彼らのやり取りに耳を傾ける。


「危険な罠が仕掛けられている場合は放置するからな!」


「あぁ、俺たちの目的はあくまで最下層だからな」


「暗黒竜と一戦交える前に、宝箱の罠なんかで怪我したくねぇし」


「うむ。しけた木箱の一つや二つに未練などない!」


 どうやら、周りにいる男たちは全員で四人のようだった。そして、皆が目の前にあると思われる宝箱(木箱?)に対して口々に感想を言い合うが、そのどれもがポジティブな感想ではなかった。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりも、今俺が置かれている状況に関して、何か手掛かりが掴めればと思ったのだが、彼らは今目の前にある宝箱に関心があるらしく、それらしい情報は得られなかった。ここは我慢して引き続き耳を傾けることにする。


「うむ。どうやら、罠はなさそうだ」


「ということは、大したものは入ってなさそうだな……」


「まぁ、そう言うな。とりあえず開けてみようぜ?」


「それなら、俺にやらせてくれ!」


 そんなやり取りが聞こえてきたかと思うと、重いものを持ち上げるように「よっと!」という声が聞こえた。恐らくは件の宝箱の蓋を持ち上げたのだろう。


 その瞬間。俺の視界に久しぶりの明かりが差し込んできた!


『うぉ、眩しっ!?』


 思わず、声を上げる。まるで、長く暗いトンネルの中から日の光が降り注ぐ外へと飛び出た時のような、そんな感覚に襲われた。だが、それと同時に嬉しかった。俺の視覚は失われていなかったのだと。


 だが、その喜びに浸っている暇はなかった。何故ならば、突然目の前に現れた、謎の巨人に身体を掴まれたかと思うと、空高く持ち上げられたからだ! そして、俺を訝しげに見つめてきたのだった。




この度はお読みいただき、ありがとうございます。

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