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錐嶺  作者: 瑞浪 諧
1 黒野(くろや)
9/205

1 -4. 芯

 水を飲んだのと(おんな)し要領で、それはそれは(にげ)ェ痛み止めの煎じ薬を三口飲まされた後、蕎麦の汁粉を出された。濃い蕎麦湯みてェなモンで、とろりとした塩味で口直しになって助かった。そいつを一口一口飲ませながら、錐嶺(きりみね)は俺をここで診てくれてる経緯を語った。


 曰く、朝、水を汲みに清水の湧く岩壁へ行ったら、俺が倒れていたと。だから、ここ、自分の養生所(ようじょうしょ)へ連れて来て手当てして、今は翌日の夕方だと。


 「運が良かったと言って良いのか…、黒野(くろや)の兄さんは、ここらで一番きれいな水に打たれてたんだよ。傷を洗ってくれてたし、冷やされたお陰もあって出血量も少しは()しになってて、…ん、全部飲めたね」

吸い口を引き抜きながら俺の口元を拭って、脇へ(かた)す。

「でもあのままで居たら体が冷え過ぎて危うくなってたし、血も止まらないし、その臭いで山の獣に見つかってたかも知れない」

「うェ…それァ御免被るな」

破落戸(ごろつき)に殺られるより、熊だとか山犬の群れ相手の方がよっぽど(こえ)ェ。熊なんか、(とど)めも刺さねェまま喰い始めるらしいからな…。

「…でもあんた、それだからって、俺を拾ってくれたってェのか?」

そう訊ねると、布団を汚さねェよう養生(ようじょう)に敷いてた布を片付けていた錐嶺が、手を止めてこっちへ向き直った。

「堅気のモンが負う傷じゃ()ェと見て取ったんだろ? 俺が腐った破落戸だったらどうすンだ? 見たとこ、ここにゃ女のあんた独りしか居ねェみてェじゃねェか」


 職癖が顔を出して、思わずそんなことを吐く。


 一応俺は不埒な男じゃねェ(つも)りだ…一応、最低限は! そらァ無防備に近寄られりゃァ、色めェた事が頭を(よぎ)ったりはするが。腹じゃ何を思っちまったとしても、真っ当に振る舞うよう心掛けてる。だが、そうじゃ()ェ男はこの世にゃごろごろ居る。そんな奴らに(むご)い目に()わされた女を、うんざりする程見て来た。


 錐嶺は腕組みして、う~んと唸った。

「医者にしてみれば、患者かそうで無いか以外のことは関係無いと言うか…、助けられるかも知れないなら、放っておくことは出来無いよ」

「ヤ、そうじゃなくって──」

俺の言葉を遮るように、すいと片手が挙がった。

「確かにここで暮らしているのは私独りだけれど、この母屋(おもや)で寝起きしてはいないし、私が独りで兄さんを運んで来た訳じゃ無いよ」

そう言って、ふと笑う。

「そもそも、私じゃとても、あすこから殿方一人を担いでは来られないよ。一番近場に居る猟師の兄さんを呼んで、手伝って貰ったんだよ。山中で、もしもの時に助けを呼ぶ為の連絡の仕方が取り決めて有って。(そま)(:木こり)や猟師の衆らとの間でね。それに、折々誰某彼某(たれがしかれがし)ここへ寄ってくれる。お蔭様で有り難いことに、山を降りなくても入り用なものは手に入るし、暮らして行けてる」


 うわぁ、貢がせてンのか、この女。──と思ってたのが顔に出ちまってたかも知れねェ。


 「その代わり、ここから見渡せる範囲で助けを呼ぶ合図が上がれば、私もいつでも駆けつける。それが私の仕事で、…仕事でなくてもそうするけれど。そうやって助け合うのがここでの仕来(しきた)り…というか、ただ当たり前の事なんだよ」

錐嶺は静かな目でそう言って、組んでいた腕を解いた。駆けつける、ってのは言葉通りなのか。長半天(ながばんてん)の下へ履いてンのァ、染めが褪せたような薄鼠色の裁付袴(たっつけばかま)。こンならすぐと山道へ出て行ける。

町中(まちなか)と違って、ここは獣の領分だからね。人が暮らすには皆で協力しないとやって行けない。怪我人だって、山に放ったままにしたら、後から縁者さんが探そうにも、獣達に骨まで攫われてしまうよ」


 説得力はあった。『貢がせる』なんてェ俗っぽい事を考えた手前(てめェ)を、恥ずかしく思う(くれェ)には。山ン中じゃ、腕の立つ医者は相当貴重な筈だ。それもこんな親身になってくれる医者は。山の衆が錐嶺を大事にすンのも当たり(めェ)だろう。


 「でもあれだね、黒野の兄さんは優しいね。私を心配してくれたんでしょ」

「ヤ、心配ってェか、…その…」

職癖なんだが。身元は明かすなと言われちまってるから、それは言えねェ。暫く俺の続く言葉を待ってた錐嶺が、

「有り難う」

出し抜けに礼なんぞ言って、満面の笑みを浮かべるもんだから。


 惚けた。


 いやいやいや、何で俺が礼言われてンだ。


 「ヤ、俺の方こそ、面倒掛けちまって済まねェ。恩に着るぜ」

「着なくていい」

笑顔のまま、首を横に振って言う。

「え」

「恩に着なくて良いんだよ、そういう仕来(しきた)りなんだって言ったでしょう? 持ちつ持たれつ」

「…」

持ちつ持たれつ、は分かる。俺の信条にも沿う。けど、俺が持てるモン、返せるモンが、少な過ぎる。今一つ呑み込み切れず言葉を返さなかった俺を置いて、錐嶺は「さて」と立ち上がった。

「そろそろ仰臥(あおむけ)に戻ろうか。夜は冷えるから、これを着て貰うよ」

(すす)色の着物を掲げて見せる。木綿の紐付き半襦袢(はんじゅばん)

「右腕は肘を曲げない方が良いから、仰向けで先に右袖を通して、左身頃を背へ回すのにまた一寸横向きにするよ」



 その説明通りに、錐嶺は丁寧且つ手早く俺を動かし、半襦袢を着せ掛けた。曰く、左腕も肘と手首を傷めてて曲げ伸ばししねェ方が良いってンだが、この半襦袢、袖付けが広く仕立ててあって、腕を無理に曲げねェでも楽に袖へ(とお)せた。洗い立てのお陽さんの匂いがする。

 その着てる最中に「あ」と錐嶺は何か思いついて、

「と、その前に、喉は乾いてる? 御水、飲む?」

と訊いてくる。ああ、横向きでねェと飲めねェから今の内に、ってか。

「や、水はもう()いンだが…」

うっく。さっきから何と無く感じちゃ居たんだが…言い出し(にく)い…。

「もう傷の痛みが戻って来てる?」

「んー、まァ、この程度の痛さは(こら)えられる、何て(こた)()ェ。ただ…」

何と言ったモンか。錐嶺はじっと俺の言葉の続きを待ってる。あぁもう、俺! 腹(くく)れ!

「…その…催して…」

はあぁぁぁ、こんな事、面倒見て貰いたかァ()ェが、体が動かねェ以上もう仕様無(しょンね)ェ。


 …って、頭を抱える気分で言ったのに。至極何でもねェような声音で返って来た返事に、頭ァカチ割られたみてェになった。


 「ああ。そのままして貰って大丈夫だよ。御湿(おしめ)使って貰ってるから」


 使って貰ってるって。使って貰ってるって。俺今襁褓(むつき)してンの!?


 「尿瓶(しびん)でも良いけど。どっちが()い?」

「どっちって」

どっちもヤだ、たァ言えねェぞ。後の手間を考えりゃ尿瓶か。けど俺、両手共使えねェし。あああぁ、急に切羽詰まってきた。

「尿瓶にするなら、最初の一回だけは持ち番に付くよ。手を放しても零れず使えそうか見せて貰わないと。お布団を濡らさないように養生布を腰の下に敷いてはあるけれど、それで防げるのも限度があるからね」

ぉ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。

 何か、声にならねェ何かが、喉の奥から出た。


 「今回は、襁褓(むつき)の片付け(たの)ンます…」

「うん、分かったよ。じゃ、出たら言ってね。大便は特に。すぐに拭かないとかぶれるから」




 ああぁぁぁぁ。屈強な山の衆も、この姐さんにゃ頭が上がらねェに(ちげ)()ェ。そンで俺も、本日この時からその仲間入りか…。


 そう思ってたのに、仰向けの方が良いから一寸待ってね、と言って俺を慎重に仰向けに戻した錐嶺の手が。


 体のあっちこっちで起きる鈍痛に気ィ取られてたにも関わらず、それをはっきり感じ取れた。



 錐嶺の手は、小刻みに震えてた。

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