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錐嶺  作者: 瑞浪 諧
21 背
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21 -5. 披瀝

本日、21-4から2話分新規投稿しています。

 「もし答えられンなら、是(ぜ)か否(いな)かだけの返事でも好(い)い」

 漏れる心を一つも見逃さねェよう、じっと見上げる俺の前で、錐嶺(きりみね)は透き通るような面持ちで何遍か瞬きして、視線を少し遠くへ遣(や)った。目路(めじ)の端で狭峡(さきょう)が僅かに動く。黙した錐嶺を見遣(みや)ったか。



 そもそも、狭峡や山の衆は、どこまで錐嶺の素性を知ってンだ? それを知らねェ手前、これ以上深(ふけ)ェ事ァ今ここじゃ訊けねェ。良造(りょうぞう)さんは何も知らねェっ言(て)ってたな。


 錐嶺の背のあの傷痕は、少なくとも一遍は罪犯の疑(うたげ)ェを掛けられた証左。そんな話が広まりゃ、今の暮らしも行く末も、全部が引っ繰り返(けェ)っちまうかも知れねェ。

 嫌疑は晴れたのか、罪を犯したなら償った後なのか、それとも償(つぐね)ェを残したままここに居るのかにも依るが、良くねェ評判は尾鰭が付いて、悪(わり)ィ方にばっかし膨らんでくのが世の常だ。


 あ。そンなら、錐嶺の答えがどうであれ、そもそもあの糞野郎はここいらで野放しにしちゃァ駄目じゃ無(ね)ェか。うわぁ。じゃあ、焦ってこんな事訊いちまったのは、蛇足の極みだ。



 「もし答えらンねェなら、何も言わねェでも好(い)い」

一寸考(かんげ)ェただけで出た結論に己(おのれ)の至らなさ加減を叩かれつつ、錐嶺を追い詰めちまわねェよう、そっと付け足す。その俺の声に引き戻されて、錐嶺は俺と目を合わせると、柔(やわ)く微笑んだ。


 え。その笑みは何の。


 察することが出来ねェでいる俺をじっと見たまま、錐嶺は屈み込んで、

「黒野(くろや)の兄さん」

と俺を呼んだ。

「おう」

床へ跪(ひざまづ)く。寝っ転がってる俺の目線まで降りて来て、診察台の上へ投げ出したままの俺の左手を見て、その掌の下へ自分の右手を掬(すく)い入れた。ざらりと荒れた手指の感触。


 「兄さんは、私に嘘は吐(つ)かないと言ってくれたね」


 唐突に言って、もう一度真っすぐ俺を見る。揺るがねェ目で。思いもしなかった事を投げ掛けられて意表を突かれたが、

「あァ。確かに言った」

ここに居(い)る間は守ると決めた誓(ちけ)ェだ。それは今も変わらねェ。


 黙って頷いた錐嶺が、視線を移すのを追う。掬い取られた俺の左手。その上へ更に錐嶺の左の掌が重なり、両手でぎゅ、と握る。


 「私も決して嘘は言いません」


 温(あった)けェ手だ。震えてもいねェ。込められた力がふわりと弛む。でもまだ重ねたままの手から目線を上げると、同(おんな)しようにこっちへ向き直った錐嶺と目が合った。一瞬笑みが浮かんで消えた後、その目蓋が、す、と閉じる。


 「私は、自ら望んで、ここへ来ました。今も、望んで、ここに居ます。世を忍ぶような積(つも)りも、…身を隠さざるを得ないような、謂(いわ)れ因縁も、有りません」

力の抜けた澄んだ表情。目蓋の裏の目が何かを探して僅かに動く。聞き慣れた静かな声が、言葉を選び、告げる。

「私は今、天にも地にも、疾(やま)しい事は、有りません」



 自分は潔白だと人が訴(うって)ェンのを、随分たくさん見てきた。嘘の訴(うって)ェも真(まこと)の訴(うって)ェも。錐嶺の言葉は、そのどれとも違って聞こえた。訴(うって)ェってェより誓(ちけ)ェみてェな。

 真偽をちゃんと見分けられるかどうかは、取り締まる側にとっちゃ死活問題(もんでェ)だ。けど、聡くって肝の太(ふて)ェ奴が端(はな)から欺く積(つも)りで吐(つ)く嘘は特に、見破(みやぶ)ンなァ難しい。


 錐嶺は、聡い。そンで狭峡の評を借りりゃァ、豪胆だ。



 閉じられてた目が開(ひら)く。閉じる前と変わらず、瞳は俺を見てた。左の白目は相変わらず赤(あけ)ェ。

「これで、兄さんが問うた事の答えに足りますか?」




 錐嶺は、俺の問いに真っ向は答えなかった。是とも否とも言ってねェ。けど、俺が心底では一番知りたかった事に答えてくれた。


 その矢羽根の元は雪(すす)ぎ終えたのか。


 疾(やま)しい事は無(ね)ェっ言(て)った。それを信じるなら、少なくとも罪人の身のまま逃げて来たんじゃ無(ね)ェって事だ。信じるなら。

 錐嶺は、信じてくれとは言わなかったし、信じてくれるかと尋ねもしなかった。縋りはせず、寧ろ少し突き放す程(ほど)だが、逸(はぐ)らかすってェのとも違う。



 頭で真偽を検分しながら、心じゃもうとっくに信じちまってンのは、惚れた者(モン)の贔屓目か。無辜で無かったとしても、放免された身で在ってくれってェ願望に押されちまってンのか。


 確かに俺が今まで見てきた錐嶺は、心のきれいな人間だ。けど、世間じゃ「根の善い正直者」って評判の人間だって、窮した時に魔が刺しゃァ、身を守る為に嘘を吐(つ)く事ァ有る。「私が知ってるあの人は、そんな事をするような人じゃ」って、数限りなく聞いた。


 それをただの決まり文句みてェに聞いてた俺は、そう言わざるを得なかった衆の気持ちを分かって無かった。


 裏切られた事を認めたくねェ気持ち。裏切られる事への恐れ。在ると信じてたものが本当は無かったと知る怖さ。騙された事への怒り、騙された己(おのれ)の情けなさ、虚しさ、悲しさ。


 そういう私情を挟まねェで公正に判ずるなんて、俺に出来ンのか? 俺は何を根拠に錐嶺の言葉を信じてる?



 俺の左手を挟む錐嶺の手。乾いて荒れた指先に、たくさんささくれが出来てる。追い詰められてた時のあの冷てェ手を思い出す。止める術も無く震えてた手を思い出す。

 今、その手は温(あった)けェ。震えてもいねェ。




 「あァ。充分だ」

錐嶺の言葉を信じよう。どうして認否じゃ無くこういう風に答えたのかは、また考(かんげ)ェなくっちゃァいけねェが。先の事は分からねェから、現状を言っただけなのかも知れねぇ。けど、今ここで言える限りの事は言ってくれたように思える。


 俺の答えに一つ微笑んだ錐嶺は、俺の手を診察台の上へ下ろして、

「有り難う」

っ言(て)って、覆ってた手を退けた。


 礼? 何の?


 当たりが付かず泳いだ視線の先に、黙って見てた狭峡が居て、目が合うとニィと笑って頷いた。

「善し、先生」

声を掛けられて、錐嶺が狭峡を振り返(けェ)る。

「ここでも、離れでも良(え)ぇ、待っとっとくりょ」

「ここで待ちます」

「錐嶺、患者と一緒に居たんじゃ休めねェだろ。離れへ下がってくれりゃ好(い)いんだぜ」

錐嶺は笑顔のまま、首を横に振った。

「ううん。ここに居(い)るよ」

「そうかぇ。そんじゃ、出来たら声掛けぇ来るわい。外の戯(たぁ)けにゃ水ぁ遣(や)っとくで。一時間も掛からんと思うけんど、それまでゆっくりしなれ」

「うん。有り難う」

「助かる。有り難うよ」

狭峡は一つ頷いて、診察室を出てった。



 雪駄を引っ掛けた足音が遠ざかるのを聞きながら、左手に気を取られてる。覆ってた錐嶺の手の温もりが離れた時、すうと涼しい風を感じて、酷く寂しくなった。けど、掬い取った手はまだそのまま俺の掌の下に有る。それが得難(えがた)く貴(とうと)いモンに思えて、無性に愛おしい。

 まだ離さず居てくれてンのは、ここで待つと言ってくれたのは、錐嶺も、俺と同(おんな)し風に離れ難(がた)く思ってくれてるからだったりは、しねェのかな。


 「さて、兄さん。少しお水を飲もうか。その前に、もし催しそうなら尿瓶を持って来るけど、どう?」


 ──しねェよなァ。

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