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錐嶺  作者: 瑞浪 諧
1 黒野(くろや)
7/205

1 -2. 落下点

 「体を横向きにするよ。力を入れようとせずに、楽にしていて」


 こうも痛むとなると、動けても一遍限(いっぺんき)りだ。ここぞ、って時まで温存しといた方が()い。今は一旦様子を見ろ。


 女は俺の体を覆ってた上掛けを剥いだ後、俺の左腕を取って、腹の上へ乗っけさせた。

「膝を曲げるね。痛かったらすぐ教えて」

右足の膝裏へ手を差し込まれ、ずいと曲げられる。…覚悟した程の痛みは無かった。左膝は、初めっから緩く曲げた格好に包帯で巻き固められてて、その下へ()(モン)がされてたが、更に座布団か何かを足された。

 …左の足の裏の感覚がおかしい。足の先まで包帯巻かれてンのか。立てられた両膝が見える。見覚えの()ェ、煤色(すすいろ)裾除(すそよ)けに包まれてる。


 …あァ、何か一寸途方に暮れる気分だ。いつ着替(きげ)ェた? 俺、どンだけの間こんな無防備な状態だったんだ?


 「一、二の三、で、こっちへ向けるよ。頭が一緒に回るように心掛けだけしておいて」

そう言って、女は俺に覆い被さるような体勢で肩と膝へ手を掛けると、一、二の三、と合図をしつつ、俺の体をごろんと横へ向かせる。


 あちこち鈍い痛み…と、う、あ、何だこれ、目ェ回る。


 血の気が退()いてく感覚。(こら)えろ、目ェ閉じンな。


 「腰を一寸(ちょっと)ずらすよ」

と女が声を掛けてきて、俺の腰を抱えて後ろへ(いざ)らせる。

「左足を乗せ直すね」

足を持ち上げて、その下の()(モノ)を調えてる。全てが丁寧だが馴れた手つき。それで確かに姿勢は落ち着いた…筈、なんだが、何か、駄目だ、まだ頭がくらくら。うぇぇ。酔う。

「気持ち悪い?」

うぉ。何で(わか)る。

「吐きそう?」

(いれ)ェに詰まってたら、更にそう訊ねられた。

「ヤ…そこまで(ひど)かァ()ェ」

「薬の影響はもう納まってる筈なんだけれど…」

黒目がちな団栗眼(どんぐりまなこ)で、じっと俺の目を覗き込んでくる。睨み(けェ)してェとこなんだが、…どうも目ン玉がふらふらして定まらねェ。

「貧血にしても、酷いね。自分の状態を把握出来ないから余計に気持ち悪いのかな。一寸目を閉じて、横になってる自分を頭に思い描いてみて」

「思い描く?」

「見えない分を想像して補って()るんだよ。気持ち悪さが少しは和らぐから、やってみて」

やってみて、って。得体の知れねェ人間の前で、目ェ閉じられるモンかい。

 従わず黙ってる俺に呆れたか、女は軽く苦笑いした。それから、ついと手を伸ばしてきて、俺の蟀谷(こめかみ)をトントントンと指先で柔く叩いて言った。

「この反対側の蟀谷と右の頬は、柔らかい枕に埋まってる。木綿でさらっとしてる。右肩と胴の右側に、同じ木綿の敷き布団の感触がしてる」


 言葉を聞くなり唐突に、目の前に見えてる白い敷布とその下の布団を実感する。


 「右腕、見える?

 腕の下に座布団みたいなものが敷いてあるでしょう。

 手先へ行くほど高くなるようにしているんだよ。

 肘から先は包帯を巻かれてる。

 手首から指先まで添え木がしてあって、少し窮屈かな。

 お腹にも包帯。

 腰から下は木綿の裾除(すそよ)けを巻いているよ。

 左膝は包帯がしっかり巻かれてて余り動かせない。

 左の足首が添え木して固めてあって、窮屈で重い。

 その下に、腕と一緒で布団を()い物に挟んで、少し高くしてある」


 言われる順に、体がその在る場所へ着地してくみてェだった。吃驚だ。


 「どう? まだ目が回る感じ、してる?」

「ヤ…もう()ェ」

「唾はちゃんと飲み込める?」

「あァ」

短く答える。唾を飲む度に首が一々疼くのが忌々しくなって来てたとこだ。

「飲み込む時、首は痛く無かった?」

御見通しと来た。溜め息が出る。

「まァ、(いて)ェっちゃ(いて)ェが、我慢出来ねェ程じゃ()ェ」

「それなら、…口の中も切れていたけど、水を飲む位は出来るだろうから、一寸飲んでみてくれる?」

言いながら、俺の顔の下へ、折り重ねた布と受皿を突っ込んでくる。

「左頬の内側を三針縫ってあるから、糸が気になるだろうけど舌で(つつ)かないようにしてね」

あァ、確かに何かぴろぴろしてンな。ヤ、構っちゃいけねェのか。痛てて。口ン中より首が痛む。舌ァ一寸動かした位で(いて)ェって…。


 先を思い()ってげんなりしてる俺の前で、ごとりと床を鳴らして、女は何かを寝台の傍らへ据え直してる。…腰掛けだった。俺の真ん前へ据えたそいつへ腰を下ろし、ガラスの吸い呑みを取り出す。中身は、透明な液。


 本当にただの水か? 毒だったらどうする?

 …せめて一矢。口へ溜めといてその顔向けて吹き飛ばしてやらァ。


 重てェ覚悟を決めた俺に向かって、吸い口をついと近づけて寄越(よこ)した女は、

「初めの一口は、そのまま吐き出して。一旦口を(ゆす)いだ方が良いから」

と軽く言う。…毒飲ませンなら、濯げ、とァ言わねェよな、普通。


 黙って口を開ける。差し込まれた吸い口の先が舌へ触れるのが分かって、口を閉じる。ほんの少し吸い呑み口が傾いて、頬ぺたの内側へ水が溜まる。じっとり汗ばむ程気ィ張ってその水へ注意してる間に、吸い口は引き抜かれた。

 感じる限り、味も臭いも()ェ。口ン中を行き渡らせてみる。暫く待ったが、特段何も感じねェ。


 …含んだだけで違和感が出るような毒じゃ、誰にも()れねェわな。


 口の端から零して出す。吐き出し切ったのを見届けて、女は受け皿を取り去るついでに口元も拭き、また(おんな)し吸い呑みを差し向けた。(おんな)し水だ、見張ってたが何も細工ァしてなかった。


 今度は、さっきより少ねェ量しか注がれなかった。少し口へ残してごくりと飲み込む。軽く首の傷が疼くが、喉が焼けるとかそういう感じは()ェ。…腹もどうも()ェようだ。

 さして喉が潤った気がしねェのは、量が少な過ぎるからか、(ぬる)いからか、そういう水なのか、それとも俺の感覚が馬鹿ンなってる所為(せェ)なのか。


 「どこか沁みて痛い所は有る?」

訊ねられて残りも飲み込む。糞、首、(いて)ェ。

「ヤ、()ェ」

「じゃあこの吸い呑み一杯分は飲んでしまって欲しい」


 …ここまで来るともう、毒とか何とか疑っても仕方無(しかたね)ェな。どうやっても(まな)板の上の鯉だ。(まま)よ。




 少しずつ水を含ませる女。飲み込む俺。ただ黙って淡々とそれを繰り(けェ)して、吸い呑み一杯分を干した。

 身形(ナリ)は妙だが、女の物言いや俺の(あつけ)ェ方を見るに、本当に医者らしい。しかも西洋医。それも女医と来た。いやいや待てよ、そもそもここ、どこだ? 俺が転げ落ちたのは、相当な山奥だった筈。そんな所に、医者?




 飲ませ終わると、女は俺の頬の下へ敷いてた布をすっと引き抜いて片付けた。それからちょいと腰掛け直し、ぴんと背筋を伸ばして、

「話を始める前にまず一つ」

()って、真っすぐ俺の目を見た。


 「名を名乗らないで。私も名乗らない」


 は。なんだそりゃ。

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