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錐嶺  作者: 瑞浪 諧
1 黒野(くろや)
6/205

1 -1. 寝覚め

 コトン、て。


 …ん。何の音だ。


 …。目蓋が。頭が? もったりする。まだ起きたくねェ。


 蝉の声が遠くから(そそ)いでる。


 …起きねェと。


 う、わ、ぐわーんと、目眩(めまい)が…、目蓋ァ開けてらンねェ。

 …なんとかこじ開ける。ぼやっと(くれ)ェ景色。それを縦横に仕切る黒い十字。十字の奥は一面(まだら)な褐色。眩しい光を嫌って目が勝手にふらふら逃げる。あっちこっちに黒い丸が散らばってンのが、…目ン玉みてェだ。無数の目ン玉がこっち見てやがる。


 ──板の間に転がる、目ェ剥いた死体累々。


 んー、(ちげ)ェよ、そいつを見たのは一昨日の…あの(ひで)ェ現場の。 そうじゃなくって、今見てンのは、…ヤ、見られてンのは? …んんん? 待てよ、…目ン玉ってェのは、二つずつ並んでるモンだろ?




 見えちゃいるんだが頭が真面に回ってなかった。薄暗(うすぐれ)ェ部屋のやたらと(たけ)ェ天井と、その下に縦横に架かる梁、そこに散らばった目ン玉みてェな(ふし)模様だと(わか)ンのに、暫くかかった。それから(ようや)く、手前(てめェ)の体が(かし)いでるような嫌ァな心持ちがしてたのが、眺めた先の勾配天井の所為(せェ)と気付いて、なぁんだ傾いでンのはあっちか、と少し落ち着く。


挿絵(By みてみん)


 その、ほっとした刹那。

 目の前にいきなり(てのひら)が。額から両の蟀谷(こめかみ)をがっちり掴まれ──


 「動かないで。傷が開いてしまう」


 女の声、静かだがきっぱりと。頭と肩を押せェ付けられ、一気に目が覚めた。

 しまった逃げ──

「ぐっ」



 ──あんまし痛くて刹那根こそぎ断ち切れた。息すら。



 何だこれ!? そこら(じゅう)(いて)ェ、

 糞! 横へ!


 ──え。


 転がって振り(ほど)こうとしたのに、ちっとも──、何で何で何だ!? 再び駆け抜けた激痛に重ねて、手足に感じたのは圧迫感。ヤベェどうなってンだ、手も足も縛られてンのか、動けねェ…!


 「動かないで。力んでは駄目」


 又ぞろ、冷静だが断固とした語気で戒める声が降って来た。糞。詰まる息をどうにか吐いて痛みを(こら)える。横目で見た先、傍らに、俺を押さえつける女の姿。いや動きたくったって動けねェって。そもそもこれァどういう状況だ?


 「特に首を動かさないで。それさえ守ってくれたら手を離します」

「…どういう(こっ)てェ」

ぅ、喋り(づれ)ェ。(つら)ァ左半分腫れてンのか。

「傷が開くとお互い困るから、どうかじっとしていて下さい。医者としては申し訳無い事に、もう痛み止めやら何やら底を突く寸前で」

「医者?」

「動かないでいてもらえますか?」


 こっちの問いにゃ答えず、ただ強い懇願を乗っけた声で言い募る。腕の影ンなってて見えねェが、女の顔があるだろう辺りを思わず睨みつけた。

 医者だっ()った。けど、見える範囲の景色は病室にゃ見えねェ。町医の家か? 床が見えねェ。 あー、俺、(ゆか)じゃなくって寝台に載ってンのか。女の他に人の気配は、…()ェな。やけに静かだ。

 けど、今の今まで、縛られてンのにも気付かず寝入ってたってェのは…普段なら有り得ねェ。そんな(なまくら)な有様で、人の気配にちゃんと気付けるか?


 …(まじ)ィ拙ィ拙ィ、背筋が冷える。

 …どうする?

 どうしようにも、このままじゃ埒が明かねェ。


 「分かったよ。動かねェから手ェ離してくれィ」


 口をどうにか動かしてそう(けェ)すと、あっさり手は退()いた。顔を拝む間も無く、すっと女は俺に向かって深く頭を下げた。


 「いきなりこのような応対になってしまった事、お詫び申し上げます」


 へ。出し抜けに謝られて呆気に取られ、返事も忘れて女を見上げる。牡丹餅位(ぼたもちぐれェ)の小せェ髷がちょんと乗った頭。白い着物。折り(けェ)した筒袖から伸びた腕の先、体の前で重ね揃えた手。


 「動かずに居て頂くには他に仕様がございませんでした。どうか御堪忍を」


 誠意のある声音だった。顔を上げ、ひたりと俺の目を覗き込んだ女は、化粧っ気の()ェその(たお)やかな風貌に、苦笑いとも安堵とも取れる表情を浮かべて、一瞬目を伏せた。

 女にしちゃァ背が(たけ)ェ、か?  寝台の上からじゃ、今一つ目見当(めけんとう)が付かねェ。よく見ると妙なモノを着てる。白い木綿の長半天(ながばんてん)。それを、晩夏の暑さン中、(えり)を軽く重ねて紐で閉じてる。首元に、内に着てる錆浅葱色の襦袢か何かの襟が見えてるが、後ろ衿は当然抜いてなくって男みてェな(こしれ)ェだ。髪も、ただ引っ詰めにしただけ。年の頃は三十路手前位か。俺よりゃ若そうだが…


 「首を動かさないで。かなり危ないところを切ってるから」


 首? さっきも言われたな。唾を飲む度に顎下から首の辺りがぴきんと疼くのは、傷が有る所為(せェ)なのか。切ってる…って、何で?

 …あ、そっか、俺、夜に山で足ィ滑らせて転げ落ちたんだった。落ちる前から色々怪我しちゃいたが、首は覚えが()ェ。落ちてる間に切ったのか?


 「手足も今から戒めを解くけれど、動かさないで居てね」


 うえぇ、やっぱし縛られてたァ…。

 告げながら女はもう動き出してた。目だけ動かして追っても何をしてンのか見えねェが、しゅるしゅる聞こえる衣擦れの音と共に、手足が緩んでく。それで、どうもかなり()()()戒められてたと知れる。キツくならねェよう当て布をして、その上から布帯で縛ってたらしい。

 けど、『医者』がこんな事、するか?



 女が動いてる間、見回して周りを確かめる。

 右手、先刻女が立ってたその先に、引き分け戸。

 俺の足側の壁は、上の方に細格子の嵌まった小さな高窓。そっから薄茜付いた陽の光が差し込んでる。向こうが西か。隅に箪笥が一棹。

 左手は、全面障子張りの小壁が黄金色に光ってる。そのお蔭で目が効く明るさがある。その下に、閉じた障子窓。(くれ)ェ。雨戸が閉めてあンのか。

 俺の頭上、東の壁にも高窓があるらしい。蝉の声が抜けて来る。

 …民家にしちゃァ妙な造りだ。壁は白い綺麗な漆喰塗りで、(かね)が掛かってる。なのに天井が造ってなくって、勾配天井かと思ったあれは、屋根の葺板(ふきいた)の裏っ側が見えてるだけだ。二階なのか平屋造りなのかは判別付かねェ。逃げンなら、右手の引き分け戸からだな。



 「鎮痛薬が、その内切れてしまうんだけれど、どこが痛むか、確認だけさせてね。すぐにまた、痛み止めを飲んで貰うから、一寸だけ、我慢して頂戴」


 女は、警戒して返事せずにいる俺の態度に頓着しねェで、話し続けながら寝台の回りを動き回っている。

 初めの慇懃な口振りはもう()したらしい。地方の訛りは感じねェ言葉回しだが、ほんのたまに西の調子が挟まってンのが耳へ残る。

 その女の落ち着いた声の外は静かな部屋の中、何やら重てェ物がごとりと床へ下ろされる音。衣擦れもはっきり聞こえる。


 巻かれてたモンから解放されたにしても、やけに手足がスースーするなと思ったんだが、これ、湿布薬か。体のあっちこっちに貼ってあるみてェだが…、え、これ、全部打ち身とかか? 試しに左手を拳に握ってみ──

 いててててて!

 上っ面(うわっつら)だけじゃ無く手首の骨ン中まで、ツキンと鋭く刺す。こりゃ打ち身で済んでる痛さじゃねェぞ。

 痛みに軽く力んだだけで、湿布されてるそこかしこが疼く。…こンでも痛み止めが効いてるってか? それもこんなそこら中?

 確かに、目覚めた時ゃ力一杯動こうとした所為で全身激痛だった。身動き厳禁ってェのは脅しでも大袈裟でも無く、本当にしこたま怪我しちまってンのか…。


 背筋の寒気が止まらねェ。


 もしこの女が奴らの連累だとすりゃ、生かして口ィ割らせようって算段か? けど、そンなら縛ってたのを敢えて解いた理由が分からねェ。もう抵抗出来る余力すら()ェと看做(みな)されたか。それとも…?

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