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錐嶺  作者: 瑞浪 諧
15 無何有(むかう)
59/251

15 -1. 景

本日、14-5から2話分新規投稿しています。

 「お昼御飯の前に試したい事が有るんだけれど!」

洗濯を終えて、珍しく足音を立てて慌てて戻って来た錐嶺(きりみね)は、開口一番そう言った。

「おう、何だ」

一寸勢いに押されて尋ねたら、錐嶺はにっこり笑って答えた。

「首と、左の股関節を、どれだけ動かしても大丈夫か」



 左の股は、脇腹を痛ませながらも今まで多少動かして来てた。悩ましいのは、未(いま)だ包帯で巻き固めてる膝。折った踝(くるぶし)との兼ね合いで、まだ深く曲げねェ方が良いらしい。膝を曲げずに股だけを深く折り込むってェと、やり難(にく)い上に腹の傷にも余分に障る。


 そンでも、足を持ち上げて曲げて貰ったら、矩(かね)(:直角)まで折り込んでも脇腹の痛さはまぁ堪えられる範疇だった。

「傷が動くから痛むけれど、引っ張られる訳では無いからね。お腹側の、曲げると弛む辺りの筋肉だから、暫く待っていたら痛みも納まる筈」

「そう言やァ、最初の夜にそうやって腹の痛むのを鎮めて貰ったな」

「あぁ。よく覚えてるね」

「あー、うん、もう痛くねェや。一瞬だ」

「じゃあ、今度は少しだけ腰を捻(ひね)ってってみるよ。ゆっくりやるからね。痛かったらすぐ言ってね」


 一昨日初めて膝を曲げてみた時と同じく、立てた膝を横へ倒して腰を捻ってみるとどうかを試された。腹の銃創に関して言えば、右に捩じっても左に捩じっても、あの時感じたような鋭(するで)ェ痛みはもう無かった。


 「んっ、痛(いて)っ」

ただ、肋(あばら)は別だ。膝をある程度以上右へ倒されると、ぐっと痛む。すぐ膝を戻された。

「大丈夫?」

「あー、腹の傷は良いんだ、ぼわっと痛(いて)ェにゃ痛(いて)ェが、こン位(ぐれェ)なら大丈夫(でェじょうぶ)だ。腹より肋の方が痛む」

「分かった、じゃあこっち向きには、これ以上捩じらないようにしよう。足を戻すよ。今度は首ね」




 さァ、問題は首の傷だ。


 これはもう、錐嶺が最初っから、動かすなと散々俺に刷り込んで来たし、力んだ拍子だとかに何遍も痛(いて)ェ思いをしたし、傷を鏡で見てどンだけ際どい怪我だったかも分かってるしで、本当に動かして良いモンか、素直に不安だ。

 さっきの清拭付き診察でも解(ほぐ)したが、錐嶺は改めて首周りの筋を按摩してくれてる。そンで、首を動かしてみた時に何か起きてもすぐ分かるようにと、傷へ貼ってた養生布も今は半分剥がしてある。

 錐嶺にゃそれが安心なんだろうが、こっちは寧ろびくびくしちまう。何か起きるかも知れねェのかと。それも、見て分かるような事が。…物凄(もっすげ)ェ恐(こえ)ェ状況しか想像出来ねェ。


 「初めの頃は物を飲み込むのも痛そうにしていたけれど、最近はそうでも無いでしょう?」

錐嶺が首の傷に直に手を当てて言う。

「そう言やァそうだな。大口開けて飯食うのも最初は痛かったけど、痛まねェ開け方が分かってからは平気ンなった」

「その痛む方の開け方で口を開けてみて」

「ぇええ…」

思わず渋る。

「きっと大丈夫だから。ゆっくりで良いから、試してみて」


 期待に満ちた目で見詰められて、仕方無く口を開ける。縦に開けるだけならさして痛まねェんだが、横に開(ひら)くと痛(いて)ェんだ。「イー」っ言(て)ェ時の感じで横に開けてみる。

 …あれ。


 「痛くない?」

「縦に開いた時とさして違わねェ」

錐嶺は、うん、と頷いて、

「じゃあもう、上の筋肉はもう少し使って行かなきゃ」

と言う。

「さっき言ってた、伸びたり縮んだりすンのを覚えて貰う、ってヤツか」

「うん、そうそう。えっと。そうしたら今度は、もう一つ深い所の筋肉の方も動かしてみるからね」


 言いながら、錐嶺は寝台の頭側へ回り込んだ。


 「ゆっくり、そうっと動かすからね。自分では決して力を入れないで。まずは弛める方へ動かすけれど、痛んだらすぐに教えて」

俺の顔を覗き込んで言ってから、頭を両手で挟み込んだ。

「分かった」

返事を聞いた錐嶺はにっこり笑って、

「いくよ」

と声を掛ける。すう、と息を吸い込む。そっと、錐嶺の手が俺の頭を左へ向くように動かし始める。

「ん」

変な固まりを感じて思わず声を上げる。錐嶺はすぐ手を止める。

「痛い?」

「ヤ、何か、強(こわ)ばってる」

「このままで少し待てる?」

「おう」

錐嶺が片手を頭から離して、傷に当てる。温(あった)けェ。ふうと息を吐いて、力を抜くよう注意する。もう一度、ゆっくり息をする。うん。

「もう大丈夫(でェじょうぶ)だ」

「もう少し捩じっても大丈夫?」

「やってみてくンねェ」

目を閉じて息を吸う。

「うん」


 そうやって、少しずつ少しずつ首を左へ捩じって貰って、目蓋が明るくなって目を開けたら、左手の腰窓(こしまど)が見えてた。

「窓だ」

「うん。見える?」

「おう。明るいな」

「うん。まだお昼までもう暫く有るよ」


 阿呆みてェに当たり前(めェ)の事を一々言葉にしちまってる俺に、でも錐嶺は付き合ってくれる。そこに窓が有ンのは知ってたが、初めてしっかりと見えた。良造(りょうぞう)さんが昨日作ってくれた、紗を張った虫除け障子の向こうに、突き出し雨戸が落とす影と、木影が透けて見える。


 「どう? 大丈夫?」

「おう。その木陰は何の木だ?」

「桜と、その向こうに柿の木が有るよ」

「へーエ」

「柿の木は、もう一月かそこら経てば実が熟れるかな」

「甘柿かい?」

「うん、そう。鳥と取り合いだけれど、昨日の無花果(いちじく)みたいに早目に採れば、食べられるよ」

「そうかァ。それァ楽しみだな」

「ふふふ。今日はこっち側に向くのはここまでの範囲にしておこうか。少しずつ元に戻すからね」


 ゆっくり戻して、一息吐(つ)く。それからまた同(おんな)し側へゆっくり捩じる。今度は目蓋を開けたまま、回ってく景色を見てる。何度か繰り返(けェ)す。初めギシギシしてたのは、その内解(ほぐ)れてった。




 「さて、じゃあ今度は反対側ね。傷を引っ張る側だからさっきよりもっと慎重にするからね」

「分かった」

「力を抜いていてね。いくよ」

目を閉じて、錐嶺の手にされるに任せる。

「…ん、痛くなりそうだ」

「一度止めるね。戻した方が良い?」

「ヤ、…」


 目を閉じたまま待つ。ゆっくり息を吐く。突っ張って感じた左の首筋が、じいんと痺れたみてェになる。


 「これは痛(いて)ェんじゃ無くて、血が通(かよ)ってく時の感じかなァ」

「痺れてる?」

「あァ、一寸」

「なら、痺れが治まるまで待ってみよう」

「ん」


 錐嶺の手がそっとまた傷へ当てられる。目を閉じたままゆっくり息をして、その手の下の痺れてる感覚だけを追いかけてみる。



 あ、何か俺、左肩に力ァ入ってンな。一寸弛めて…、周りへ痺れが散り散りに移ってく。竦(すく)んでたんだ。まだ恐がってたのか。


 …こんな風に己(おのれ)の体が訴えて来る事だけに敢えて集中するって、初めてだ。そもそも、中の筋肉を考(かんげ)ェた事が無(ね)ェ。



 「もう一寸行けそうだ」

傷に触れてた手が離れて、頭をそっと押さえられる。

「うん、じゃあ少し動かすね」


 俺が息を吸ったのに合わせて、錐嶺はまたゆっくり俺の頭を右へと回し始め、止(と)める。俺が何も言わねェで居ると、また少しだけ動かす。

 俺は首周りの感覚だけに集中してる。ゆっくり、幽かな痺れが広がる。その中に、硬い何かが埋まってる感じがする。肩の力はもう抜けてる。


 あー成る程、これが傷ンとこか。


 「そこまで」

俺が声を上げると直様(すぐさま)錐嶺は手を止(と)めた。

「戻した方が良い?」

「ヤ、このままで。一寸待ってみる」


 もやもや広がる痺れの中に、塊みてェなのが在る感じがする。解(ほど)けねェかと暫く待ってたが、それ以上はどうにもならねェらしい。


 「駄目だな。戻して貰えるかい」

「うん。ゆっくり戻すね」

「ん」

ゆっくりゆっくり戻して、錐嶺の「真っすぐまで戻ったよ」という声で、目を開ける。

「大丈夫?」

「おう。何か、一寸分かった気がする。も一遍(もっぺん)やってみてくンねェかい?」

「うん。同じ位ゆっくりで良い?」

「あァ。けど今度は途中で止(と)めずに行けそうな気がする」

「分かった」



 回したり戻したりして貰うのを繰り返(けェ)して、六度目には痺れる感じが無くなった。でも解(ほど)けねェ塊はまだそこに在って、多分今の限度はここまでなんだろうと思った。



 「さて、じゃあ自分で回してみる?」

「おう、やってみる」

「まず右を向く方からね。左は、今日はまだ無理しないで少しだけにして置いて」


 感覚の塩梅(あんべェ)は分かった。錐嶺が行き過ぎねェように手を構えててくれてる。


 ゆっくり首を捩じる。首の深(ふけ)ェ所が錆びた蝶番みてェにぎぎぎと軋む気がする。

「そこまで」

錐嶺に制止される。

「大丈夫?」

「ん。首の芯が硬(かて)ェ感じはするが、傷は痛くねェ」

「じゃあ元に戻して、もう何度かやってみよう」

「ん」

「ゆっくりで良いからね。目を回さないでね」

「はは。大丈夫(でェじょうぶ)だ、ゆっくり過ぎて回りようも無(ね)ェ」



 自分で首を捩じってみると、怪我した左側より寧ろ、首の右側の筋の方が硬くなってるように感じた。何遍か試す。錐嶺が手で限度を知らせてくれてるが、しっかり体の感覚に集中してれば、どこまで大丈夫(でェじょうぶ)か分かる。



 左右に回す練習をしてから、今度は首を下へ向ける練習をした。同じく、最初は様子を見ながら錐嶺に何度か動かして貰って、その後、自力でやってみる。

 多分右へも下へも元の半分位しか動かせてねェ(左は更に限られてる)んだが、今まで全く首を動かさず物凄く限られた眼界で過ごして来たのが、見える範囲が広がって、酷く新鮮だ。ちっぽけな事なんだが、窓際の机に引き出しが付いてンのとか、足の向こうの箪笥に千鳥の彫り物がして有ンのだとか。気付くと、おぉ、と思う。



 「思ってたより動かせるな」

「極力動かさないようにはしてたけど、実際は結構動いてしまうし、使っているからね。口を動かしても、寝返りを打っても」

「そっか」

納得だ、と思ったら、錐嶺が頭上からぐっと身の乗り出して、俺の顔を覗き込んだ。

「兄さん。もう少し頑張れそう?」

逆さ向きでも、錐嶺の顔はやけに楽しそうなのが分かる。

「まだやれる事が有(あ)ンのか?」

「うん。ここまで出来るなら、介添(かいぞえ)すれば体を起こせると思うんだ」


 うぉ。そらまた、いきなり飛び級か。


 「やる」

面食らったままだが、ほとんど反射的に答えてた。錐嶺は満面の笑みを浮かべた。

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