挿絵 - 山方(やまかた)
以下、挿絵ページ(3ページ分)に関する注意書きです。
・リアル寄りな人物画が苦手な方は飛ばしてください。
・ネタバレというほどのものは含みませんが、前知識無しで読むのを好まれる方は飛ばしてください。
絵に起こした場面については、本文あとがきに掲載挿絵ページの参照を付しています。
・主役二人のイラストは、「登場人物」のページ冒頭に載せています。
・投稿に必須最少文字数規定があるため、余談を少々挟んでいます。
■狭峡
見下ろす巨漢、狭峡の親仁。
(2-2.「熊」)
▼本編2-2.「 熊」での、黒野の「俺も上背は結構ある」云々という台詞に関して。
日本人の平均身長が男女とも150cm台だった頃のお話です。
黒野は170cm台で、充分頭一つ抜け出る長身。
狭峡は身の丈6尺(約182cm)近いので、正に大男。
養生所は、当時の一般住宅家屋より鴨居の高さ(つまり出入り口の高さ)が高目の造り。それでも狭峡は頭スレスレです。
寝たきり黒野の目線で描くと、全員あおりアングルになってしまうわけですが、狭峡は誰から見てもこんな感じなんでしょう。
因みに錐嶺は160cm台。それでも大女の括り。
■深山
睨み下ろす吽形、深山。
(8-3.「 深山(1)」)
彼を評して「目付きが悪ィ」とか文句を言っている黒野ですが、「お前が言うな」と返されたら試合終了か。
首に巻いているのは庶民の伴、手拭い。
本当の下町言葉では「てんごい」的な読み方をされるようです。(「ご」は鼻濁音)
■良造
腹掛け姿の良造さん、窓周り造作を勘考中。
(12-1. 「古強者」)
職人が着る腹掛けは、実際はもっと身頃幅が狭いです。
(しかしここで公開するような絵面では無くなってしまうので…)
そもそも昔の職人さん達は、夏は褌一丁など、ほぼ裸でした。
(しかしここで…以下略)
明治政府が違式詿違条例で露出の多い格好を取り締まり対象としたため、特に外国人の目が入る都市部から服装に厳しくなっていきました。
いや、そもそも爺さんの裸なんて需要が無いわというお話で。
「でも良造さんは脱いだら凄ェんだぜ」(黒野談)
■きよ
フッフフと笑うきよさん。
(22-2. 「きよ」)
当時の日本人は、年若い内から背腰の曲がっている人も多かったようです。田畑では屈んで作業し、家では床座の膝の上での藁仕事や針仕事に長時間費やしたのもその一因でしょうか。老齢で背筋が伸びているというのは珍しい事だったのではないかと思います。
筆者の親戚にも、昔語りに「腰が直角に曲がった○○さん」と枕詞を冠して呼ばれていた老婦がいらっしゃったのを思い出すなど。