39.5 -11. 東
本日、39.5-10から2話分新規投稿しています。
県警を辞職してから一週間後。前触れ無く、新設される関東広域警察局の局員に応募しないか、と打診する書状が私の元へ届いた。
西堂の一件で私は、管轄区域に縛られない捜索と、警察組織に対する監視の必要性を痛感していた。書状の説明を読んだ限りでは、広域警察局というのは正にその為の組織だった。
私の辞職の経緯も知った上での入局勧誘である旨書き添えられており、余りの早耳に驚いたが、ともかく面接を受けてみる事にした。
差出人は、その後直々に面接に来た杉生原局長その人だった。
二年半を経て全国組織となった広域警察の鈎尾支局へ配属されてすぐ、その後の尾先湊の様子を調べに行った。「昔は弛かった」と、悪評が過去のものとなったのは聞いていたが、単に陰伏しただけかも知れない。
調査の為に臨時増員を頼み、他県の支局とも連携して、出入りする船の積荷や寄港地の届けに虚偽が無いか、廻船輸送が繁忙になる秋の一ヶ月間、徹底的に監視した。
少なくともその間、不正は見つからなかった。
調査の後、久方振りに尾先警察署(:旧尾先警察出張所)を訪れた。
かつて私が申し立てた捜索続行願いを、無駄と破り捨てた上役の一人が、警部として署長を務めていた。最近の海運の動向について調査している事を伝えると、先方は淡々と応じた。
そこで、西堂の汚職事件に関する記録書類は一切合財、尾先でなく本庁での保管となったと聞かされた。
写しも残さず管轄区の資料を丸々余所へ移すなど、一体何が為に。
鈎尾町へ戻り県警本庁へ出向いた。資料閲覧に来た私と東に、私を知る本庁の官吏の何人かはあからさまに嫌な顔をした。気にせず、探索中の事件の関連調査と伝え、書類保管庫へ入る。
煙たがられる程度の抵抗で済んで良かった。閲覧一切拒絶とされたならば、職掌上我々に与えられている記録監査特権の行使も考えねばならないところだった。特権など無闇に持ち出すべきでは無い。
保管庫の、薄布を敷いたように埃の積もった棚。同じだけ埃を被った書類箱を退けると、棚に綺麗に箱の跡が残った。ここへ移されてから誰も手を触れなかったのだろう。
あの大事件を掘り下げようという警察官は皆無だったのだなと、今更ながらに失望し、そう思う己に呆れた。望みが無いから辞めたにも関わらず、まだ期待を残していたとは。
しかし書類箱から出てきた調書は、そんな失望も呆れも温しとばかり、私を殴り飛ばした。
改竄されている。私が書いて署名捺印した書類の中身が、何の断わりも無く部分的に差し替えられている。
糞、やられた──
「古葦さん古葦さん、急いたら埒明かん」
直ぐ様問い質しに行こうとした私を、東が引き止めた。
「急くわいや。警察の調書を改竄するなんざ、一線超えとる」
「今更やちゃ、一線どころか十線位、とっくに踏み越しとりみしたに。西堂な口封じされた可能性を、探りもせぇで放してしもた衆じゃぎ」
…改竄を当然予想しておくべきだったという事か。私ときたら、なんともはや見当違いな期待をしていたものだ。
同僚達によく、「月春は悪事を推察するには根が真面目過ぎる」と困った顔をされたのを思い出して、溜め息が出た。
「私ゃ初心に過ぎるがか…」
「あー、んー…。ともかく、誰ゃした、誰ゃさせた、言う辺りを、ちょっこしでも掴んでからで無けりゃ、尻尾切られて終わりみす」
「…尤もじゃ」
間違い無く書き換えたと同定出来たのは、旧幕時代の西堂の手駒についての記載だった。
頭含め九人の藤内(:与力や同心の手下として雇われた身分制度外の者)を挙げていたのに、八人しか載っていない。その頁だけを書き直して無理に次の頁へ続くようにした所為で、妙な余白が出来ている。
「あぁ、己の憶えの悪さぁ恨めしいな。確かに九人じゃったけれど、名前までゃもう…」
余白の加減を見ると他にも差し替えていそうだが、特定出来ない。
探索していた当時、覚え書きすべき事があまりに多いので、細かな事は手帳でなく半紙を持ち歩いて書きつけていたのが裏目に出た。清書後廃棄してしまったので、残っていない。消された事項は全て私の記憶頼みになる。
「憶えとらんが普通ながやとこと。手帳に聞き取り行った先ゃ残っとるし、もう一遍調べみしょう」
若い東は、歩き回っての調査を厭わない。
「善し。今日は一先ず、これ写して帰るか」
調書内の特定事項の隠蔽を、誰がやった、或いはやらせたか。
完全なる外部の者が、改竄という手段を取る可能性は低い。ここへ忍び込めたなら、持ち出して廃棄してしまう方がよほど安全で手間も少ない。
しかし警察内部の者の目論みならば、廃棄より改竄を選ぶだろう。露見の危険性を減らせる。きっと私の外にこの改竄に気付く者は居ない。
県警が組織全体として改竄を企図した可能性も有るが、必要性は少ない。ある人間を免罪するのが組織の総意ならば、調書の記載がどうあれ、県警としては捕まえず好きに放って置けば良いだけだ。
西堂が雇っていた藤内の名を、調書から抹消したいのは──
──その藤内当人。
──その者を介して西堂に贈賄した違法業者。
──或いは、西堂以外で、その業者と結んだ警察内部の者。
単独で密かに改竄を実行可能なのは──
──記録簿の編冊管理に携わった者。
──それと、調書の貸し出しを受けた者。
後者を貸出し許可簿で探したが、西堂の事件の資料を借りた者は無かった。埃の積もり方からも、少なくとも二年ほどは人の手に触れなかったように見える。
それで前者の記録簿の編冊係を、過去の勤務日報などから拾い出した。本庁で、それから、再訪した尾先でも。
その中に、宮下善朗の名が挙がった。
西堂事件の直後、尾先出張所は一時的に人手不足に陥った。そもそも巡査の配置人員数が全く不十分な時代だったところへ、内勤雑務係も兼ねる所長役(つまり西堂と私)が二人も一度に減り、他にも巡査二名が、心身不調などの理由で辞職した。
残った人員で手分けし雑務を捌いて凌いでいた間、書類の編綴等、記録の整理を担当したのが、宮下だった。
調書に手を加えられる機会を有した者、という事なら、他にも大勢居る。宮下だけに絞る証拠はまだ無い。
尾先警察署を辞して外へ出たところで、外勤から戻って来た宮下に行き合った。会釈で顔を伏せる前に、あの冷たい目が一瞬見開いたように見えた。
後ろを歩く東に密かに合図だけ送り、黙ったまま宮下とすれ違った。
暫く歩いてその場を離れたところで、
「宮下き?」
東が小声で話し掛けてきた。
「ほうや」
「怯えとりみしたげ」
「どうやろな。驚いとったがに見えたけれど」
「慎重で居るまさるのー」(:いらっしゃいますねー)
にかっと笑んで言う東は、先日のように熱り立たないのかと、私を揶揄っている。
「お前も急くな言うたがいや」
と返したら、くくと笑って、
「お前『も』?」
と聞いてくる。
「杉生原局長に、焦んな言われとったがや。お前に諌めて貰て助かった。もう逸りゃせんざ」
「へーん、ほんなんがや」(:そうなんですか)
東は今も、私の至らぬところをよく補ってくれている。
当時まだ成人直後で、警察事務(:業務)の経験も皆無だった東を採用し、私に付けたのは、杉生原局長だ。
人事に関する杉生原局長の洞察力には、全く恐れ入る。組織を纏め上げ率いていく事において、卓越した御人だったと思う。支局長の肩書を頂いている私だが、足元にも及ばない。広川が良く言う「向き不向き」の両端では、備えている資質が違い過ぎる。
それでも、目の前で超一級の手本を見た事は、己の中に拠り所を造った。その上へ、私に向いた方法を己で築く事は出来る。