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錐嶺  作者: 瑞浪 諧
2 狭峡(さきょう)
13/251

2 -2. 熊

本日2話分新規投稿しました。

 きんきぃんきぃんと、バラバラな拍子木みてェな音が不意に響いた。 どっか(おもて)から聞こえてくる。


 「おぉ~い、錐嶺(きりみね)の先生ぇ。起きといでるかえ~?」


 遠くから呼んでる野太(のぶて)ェ男の声。え。誰だ。


 「錐嶺のぉ。狭峡(さきょう)じゃぁ。橋ぃ架けとくりょぉ」

「今行くよー、一寸(ちょっと)待ってぇ」

屋内(やない)のどっかから錐嶺が声を張り上げて返事してる。


 橋架ける? …って、どういう(こっ)た?


 戸を開けて駆けてく足音。少し間を空けて、じゃりじゃりじゃりじゃりと金物の騒々しい音がし始めた。どすん、どすんと重い物が落ちるようなくぐもった音と共に。何だ? …色々思い巡らすが、何だか全く想像つかねェ。


 (なげ)ェ間続いたその物音が(ようや)く止んだ後、「お早う」と挨拶を交わす声。それが皆、短く重なるこだまの尾を引いて聞こえる。随分響くな。どういう場所なんだ、ここ。山深くだとは聞いたが、山彦ってこんな風に響くモンか?

 その後も暫く二人は何か話してたが、聞こえる声は途切れ途切れで、話の中身までは分からねェ。こんな朝早くから患者か?



 何も推し量れず居る内に、ぱあっと東の高窓から光が差して、天井が明るくなってった。それを眺めて、日が昇ったか、と思ってる間に、板間を踏む重い足音がこの部屋の戸のすぐ向こうまでやって来た。


 「おぉい、入るぞぉ」

返事を待たずに戸が開く。山歩き装束のやたらでけェ男が、鴨居すれすれの頭を屈めて、部屋へ(へェ)って来る。左腰には山刀。

「よぅ。今朝ぁどうじゃ。ん、顔色は昨日よりゃ()しになっとるようじゃが」

首へ巻いてる手拭いを引っこ抜きながら、遠慮も何も無く俺の顔をじろじろ覗き込んで言う。清々しい朝にそぐわねェどら声だが、口調も表情もやたらと朗らかな浅黒い男。見た目四十絡(しじゅうがら)みなのに、子供(ガキ)みてェに笑ってやがる。しかしでけェな。俺も上背(うわぜい)は結構ある方なんだが、この男と来たら、肩幅も厚みもメリケン人並みだ。

 『昨日より』っ()ったが、俺ァこんな男、見た覚えが()ェ。


 「…あんた誰だ」


 他人(ひと)の事言えたモンじゃねェ位、低い濁声(だみごえ)が出た。こんな動けねェ体で、こんな大男に対峙すンのァ嫌な感じだ。身を守る術が()ェ。


 「あぁ! 済まん」

太い眉を跳ね上げて、うっかりしてたって(てい)で、頭の後ろをわしわし掻く。墨色の頭巾の下から出た長髪が踊る。

(おり)ゃ猟師の大吾(だいご)(もん)じゃ。ここのすぐ谷向こうの狭峡(さきょう)辺りを縄張りにしとるで、『狭峡の』で(とお)っとるけんど」

言いながらその男、狭峡は、椅子へどっかり座った。くしゃくしゃになってた後ろ髪がすとんと肩へ落ちる。

「一昨日、錐嶺の先生に呼ばれて、あんたをここへ運んだんじゃ」

…そう言や昨日錐嶺がそんなこと言ってたな。

「そらァ手間掛けた、(かたじけね)ェ。俺はここじゃ黒野(くろや)って名を貰ってる。不躾で(わり)ィが頭を下げられねェのは堪忍してくれ、首が動かせねェんだ」

「あぁ、()()ぇ。堅苦しいのぁ無しじゃ、黒野の。それよりな…」

頓着しねェ様子でそう言い掛けた狭峡は、ぱんと膝を叩いてから手に持ってた背負い籠を探り始める。何だ、随分ざっくばらんな男だなァ、おい。


 痛てて。気が弛むと、体の痛みが一気に戻って()ンのな。あー…あ?


 溜め息の途中、背負い籠から出てきたモンに驚いて、息も止まっちまった。


 「こいつを、あんたの(もん)で無かろかと思って、拾って来たんじゃがな」

渇いた泥で薄ら汚れた、刀と小振りな革鞄。目の前に、ほれ、と掲げる。俺の寸延短刀(すんのべたんとう)と、腰へ付けてた胴乱(どうらん)だ。

「心当り有りそうじゃな。昨日(きんのー)(ひる)から、先生があんたを見つけないた辺りょぉもう一遍辿ってみたんじゃ」

ここで目が覚めた時にゃ丸腰だったし、錐嶺も何も言わねェから、てっきり失くしたモンだと思ってた。

「俺ンだ。有り(がて)ェ、助かったよ」

「あ、中を(あらた)めるのぁ、俺も先生も()らんところでやっとくりょよ。ここの物入れの中へ入れとくで」


 狭峡は屈んで、俺が寝そべってる寝台の下から何かごとごとと引き摺り出した。茶箱みてェなモンか。木蓋を開けて、胴乱と短刀を入れ、また仕舞う。

「後日検めらァ。どの道、今は全く動けねェんだ」


 あン中にゃ財布やら警察の手帳やら(へェ)ってる。無くっても死にゃしねェが、見つかって良かった。


 「胴乱はの、崖の途中の木の枝へ引っ掛かっとった。蓋ぁ閉まっとったで中身は出とらまい。開けて見た訳で無いで分からんけんど…、見ても持ち主で無いで分からんか、っははは。ここじゃ余所者の素性は詮索せん決まりじゃでのぉ。俺も何も知らんままにしときたいんが本心じゃ」

にぃと笑った狭峡は、両手の平をひらひら振る。面倒事は御免だって風に。

「あァ、その決まりは聞いてる。けどあんた、態々(わざわざ)探しに行ってくれたのかい?」

態々(わざわざ)でも無い、通り道じゃで」


 通り道ったって、崖の木へ引っ掛かってンのを取ってくれたんだろうに。余所者(よそもん)にゃ一線引くのに、世話は焼くってェのは、錐嶺と(おんな)しだな。お人好しはここの土地柄(くにがら)か?


 「礼はどうすりゃ()いんだい」

「そりゃ俺じゃ()うて先生にして()っとくりょ」

「あー、そっちは、体が治ったら薪運びをやる事ンなってる」

「おぉ、そりゃ()ぇ。錐嶺の先生は剛健な女子(おなご)じゃが、独りで冬の(やわ)いせるなぁ一仕事(ひとしごと)じゃでのぉし」

ごうけん…剛健? 豪健? …って、あの医者先生がか? やわい? 冬のやわい…、あー、冬支度の事か。

「俺ァあんたにも礼がしてェんだが。貸しァ作りたかァ()ェ。貨幣(かね)なら幾らか胴乱に(へェ)ってる筈だ」

目線だけでさっきの物入れの方を指すと、狭峡はそれを追って寝台の下を見遣ってから、軽く溜め息を吐いて笑った。

「いや、()ぇよ、黒野の(あん)さ。そもそもな、ここいらじゃ、銭にゃあんまり有り難みが無いんじゃ。物を遣り取りして()らいとるで、遠い町まで出て行かん限り銭の出番は()うて」


 んー? そンで税の払いはどうしてンだ。幾ら人里離れた山ン中を根城にしてるっても、戸籍とかちゃんとしてるよな? 錐嶺もこんな所に住んでて…

 …、(まじ)ィ。詮索しねェ方が()い。薮を(つつ)いて蛇でも出て()りゃァ、取り締まらなきゃならなくなっちまう。恩人にそんな仕打ちしたかァねェ。


 「…ま、ほんでも貸しが嫌な気持ちゃぁ分からん(こた)無い。動けれるようになったら、何か手伝(てった)いでもして(むら)うわいさ」

「あんたがそれで承知してくれるんなら。けど、済まねェ、当分先の事になっちまいそうだ」

俺の答えに狭峡は、はははと笑って、

「気にせで()ぇ」

と言う。

「しっかし(あん)さ、丈夫じゃなぁ、あんた。()う助かった。運も()ぇ。落ちる途中で木ぃ一旦引っ掛かったんじゃろう。枝に着物の切れっ端も残っとった」

「…落ちた時の(こた)ァよく覚えて()ェんだ」

「ほぉかい。…俺もまぁ、急を知らす合図で清水岩(しみずいわ)まで行ってみた時にゃ、(われ)忘れる程吃驚したがな。血だらけの先生があんたを抱えて震えておいでて」


 え。


 「先生が怪我(あいまち)しないたんかと早合点して、まぁ肝が冷えたわい。悉皆(しっかい)あんたの血じゃったがの。その場で出来る手当ては済んどって息も有ったけんど、あんたぁ体が(ひど)う冷え切ってしもうとって。一寸(ちぃと)でも(ぬく)めさすと、先生はずぅっと、冷えたあんたを抱えて、俺の来るのを待っておいでてのぉし」


 そこまで…、そんなに酷かったのか。そこまでしてくれてたとは。


 「見つけたのが錐嶺の先生で無けな、あんた助からなんだで」

「…あァ、それァ感謝してる」


 あの女医さんへの感謝は言わずもがなだが、初めて、天に、この巡り合わせに、感謝した。

 自他共に認める籤運の良さで、今回、地獄で大吉を引き当ててたらしい。



 「先生は腕の確かな医者じゃ。(おり)ゃ診て(むら)ったのは一遍(いっぺん)きりじゃが、ウチの子供ん(たぁ)が何やら罹る度に世話んなっとっての。まぁ案ぜすと養生さっせぇ。この養生所も、ここいらじゃ一等安全な所に在るで」

「安全?」

「熊やら猿やら入って()んし、堅牢なで嵐が来ても心配要らんと(こっ)ちゃ。まぁ、(おもて)へ出りゃ分かる」

そう言って、狭峡はふと視線を外してから、立ち上がった。不意に笑みを消す。


 「ただな、先生が幾ら()ぇ女でも、手ぇ出すなよ、黒野の(あん)さ」


 ぎろりと見下ろして(すご)んで()やァがった。

「あんたぁどうやら真っ当な(じん)のようじゃが、されど錐嶺の先生に乱暴働きゃ、この山から生きて出れると思うなよ。猟師衆の誰も許しちゃ置かん。熊の餌になるのを見届けるまで」

殺気に(こた)えて、どくりと全身が脈打つ。この親仁(おやじ)、本気だ。だがこんな脅し、恐くもねェ。警察相手に馬鹿()かせ。


 「ンな不義理する程腐っちゃいねェよ」


 唸って睨み返す。


 「言質取ったぞえ」

「あァ、約束すらァ」


 きっぱり返すと、狭峡はじっと俺の目を見据えた後、表情を緩めた。


 「一日でも(はよ)う動けれるようになって、先生を休まして遣っとくりょ」

フン、お優しい(こっ)た。…ヤ、違うのか? もしかして…

「…もしかして怪我人が続いてンのかい?」

「何でそう思うえ?」

「痛み止めが足りねェとかっ()ってた」

狭峡は一つ溜め息を吐く。やっぱしそうなのか。

「十日ばか前に、一山向こうの木地屋(きじや)の仮集落を、鉄砲水が(かす)っての。幸い死人は出なんだが、四人(よったり)怪我(あいまち)したのを先生は診に行きないて、一昨々日(さきおととい)、戻っておいでたばっかりなんじゃ」

え…待てよ、

「一昨々日?」

「そうじゃ。爺さんが一人、足ぃ(つぶ)いてちょん切ることになってしもうて。先生はまだ付いとって()りたかったそうなが、当の爺さんがもう大丈夫じゃ()て、(かや)いたんじゃげな。そんで、その爺さんに痛み止めも一月分(ひとつきぶん)ばか(わた)いておいでたげなで」


 …直近まで(ひで)ェ大事にかかずらってたのか。なのに今朝は徹夜させちまった。その前の夜だって俺は正体(:意識)も無かったし、寝ずの番だったんじゃねェのか? 大丈夫なのか、あの人。


 「俺ん(どこ)に置いとる薬草も持って来といたが、もっと強い薬は、届くのはきっと明日か明後日じゃ。薬売りに、寄るよう(しら)せは()いてあるけんど、何せ山ン中なで、すんぐとは着かん」

「…。傷が開かねェよう努めるよ」

「そうしとくりょ。…どれ。急に邪魔して済まん(こっ)ちゃったな、錐嶺の先生を責めんでおくれよ。俺ぁ二人で話したい事が有るでってて押し入ったんじゃで」

「あー…」

まぁ、素性を知りたくねェってなら、錐嶺は俺の手荷物なんざァ見ねェ方が良いだろうしな。

「あァ、分かったよ」

「黒野の兄さん」


 俺の返事に重なって、錐嶺の呼ぶ声が。狭峡も俺も、はっと入り口戸を見る。


 「入るよ。()い?」

「おう」

返事を待って戸が開くと同時に、狭峡の親仁(おやじ)は、すいと奥へ退()く。廊下の床へ下ろした桶二つを提げ直して、錐嶺が(へェ)って来る。

「まぁ(おり)ゃ帰るで」

「あ、待って、狭峡の兄さん」

籠を背負って出て行き掛けた狭峡を、錐嶺が呼び止めた。

「ここから一番近い町って、牟先(むさき)で合ってる?」

あ。昨晩俺が訊ねた話だ。

「ん~、ほうじゃのぉ、まぁ行き易さからして、牟先(むさき)じゃの」

「東か南へ行こうとすンならどうだ?」

(あん)さ、自分の足で行かすと思っとるなら、真東へは()いては行けんぞよ。尾根筋(おねすじ)三棟(みむね)越えにゃならん。南ぃ向いて下って柿之原(かきのはら)へ一旦出りゃ、どこへも行けれるがの。柿之原(かきのはら)宿(やど)取って、明くる朝から街道形(みちなり)に南へ下ってきゃ、夜去(ようさ)にゃ東山道の金打(かねち)宿へ着くだも」

「二日掛かンのか…なら、やっぱし牟先(むさき)が最短か」

「良かった、間違えてなかった。私は南の方は余り明るくないから助かったよ。有り難う」

(なん)の。じゃあな、あばよ、黒野の(あん)さ」

「あァ。有り難うよ」

「見送って来るね」

「おう」


 錐嶺と狭峡が廊下へ去って程無くして、またあの騒々しい鎖か何かの音がじゃりじゃりじゃりと暫く続く。

「またその内寄るでー」

狭峡のどら声が響いた。




 古馴染みみてェだし、てっきり二人共この土地の生え抜きかと思ったんだが…


 狭峡の親仁の訛りは、錐嶺とは全然違う。ここの土地(くに)訛りはきっと狭峡の方のだ。仙州支局の加藤のに似てるし。

 錐嶺は、話す言葉は御府内の商家の娘みてェなのに、ほんのたまァに、西の方の抑揚が入る事がある。一瞬、あ、と思うが、どこの国言葉ともつかねェ内に流れて行っちまう。


 土地勘も今一つらしいところを見るに、錐嶺って、元ァ余所者(よそもん)なのか?

 「熊の餌」宣言は、黒野を町の人間と見切った狭峡の単なる脅し。熊に人肉の味など覚えられたら大変な事になるのを、山の衆は良く分かっています。

 狭峡のイラストを別ページにアップしました。リアル目な絵がお苦手でなければ、目次から「挿絵-山方(やまかた)」へどうぞ。

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