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架空の恋人たち

作者: たの・のぶかず

 教室の自分の机でうつ伏せになって寝ていた智将(ともまさ)は、ポケットの中で揺れるスマホに気づき背伸びをしながら体を起こすと、大きく欠伸をしてからスマホのタイマーを切ろうとしたが、それより早く動きがなくなったことを不審に思いポケットの中からスマホを取り出した。

(……メッセか)

 遅刻はしたくない一心で、毎日始業時刻の一時間以上前に登校し、毎日教室で仮眠をとっている智将。もちろん寝過ごさないよう、スマホにタイマーをかけている。


《想:えのぐ忘れた》


 メッセージを読み、溜息をついた智将は《智将:了解。今から行く》そう返信してからゆっくり立ち上がると、席に着いた数名のクラスメイトたちを横目で見ながら後ろのロッカーへ行き、絵具セットを取り出してから教室を後にした。


 智将は長い廊下をぼんやりと歩いている最中、何人かの同級生とすれ違ったが、その度に『なんで絵画セットを持ってるんだ?』そんな好奇な視線を向けられていたが、その同級生たちはすれ違う間際になると何かに気づき『あぁ』と笑みを浮かべながら通り過ぎて行った。


 今日は文系クラスで美術の授業は無い。加えて、俺は帰宅部と言うことは誰もが知っている。だから俺が絵画セットを持っていれば『今日の時間割、間違ったかな』そう同級生たちは思うだろう。

 逆に言えば『絵画セットを持っているのは誰だ? あぁ、貝沢か。アイツだったら――』と、なるわけだから……。


 そんなことを考えながら階段に差し掛かった智将は制服の上着のボタンをはずすと、絵画セットを隠すように中に入れ階段を下りて行った。


 例えば、一般的に好意を寄せる男女が一緒にいるのなら、それを恋人と呼ぶのだろう。中には形式を重んじるヤツもいるから途中の儀式を省くことはできないが、それはそれで(そのときだけでも)気持ちが(たかぶ)る効果があるし、契約を終えたと安心する効果もある……のかもしれない。

 誰だっていつだってハッピーエンドの方が(都合が)良いから、最も重要な儀式である告白はタイミングが大事と言うことも誰もが知っている。

 そんな当人たちはさておき、心変わりもあるだろうが、好意の対象が恋人の先にあるのなら(できたなら)それはまた友だちに戻ると言うことだろうか? もちろん終止符を打ってからお互い友だちに戻るヤツもいるだろうが、じゃぁ、ナニを求めていたの? と。

 そう考えれば、儀式があろうとなかろうと男女が一緒にいても恋人とは限らないわけで、友だちだったりそれこそ恋人予備軍片思い団に属する一兵卒と言うことになる。

 と、まぁ、人のことはさておき俺はと言えば、心が休まるから一緒にいる。そんな幻想を抱いていなかったわけではないが、お互いその先にもっと期待することがあるのなら、好意と言う感情は抜きにしないまでも恋人ではない別の呼び名はないだろうか? とも考えている。


 そう思いながら階段を下りた智将は立ち止まると『うーん……』と小さく息を吐いてから右に曲がりうつむいたまま前へ進む。


「おーい、智―っ」

 大きくもなく小さくもなく控え目に声を出してから控え目に手を振る想の黒髪が控え目に揺れる。

 

 あの控えめな女性が、絵画セットを求めている伊葉想。俺と同じく高校二年生。帰宅部なのも同じだが、今年から理系を選択したので校舎が分かれ会う機会が少なくなった。だから毎朝会うのはそれぞれの校舎の中間である職員室。


 制服の中に入れていた絵画セットを取り出した智将は、小さな声で「はい……」と言って想に渡す。


「ありがとう(人肌に温めてくれたのかな?)」

 そう言って首を傾げながら笑顔を向けた想は「はい、これ」と言って青い巾着を渡した。


(今日はポニーテールなんだ、似合ってるよ。あぁ、今度行くところの欲しいものリスト送っといてよ。多分全部買ってあげれると思うけど、俺のと合わせて計算しとくからさ)


 口を噤んだまま想を見つめていた智将は、ゆっくり視線を巾着に落とすと「あ、ありがとう……」そう小さな声で言ってから巾着を受け取った。

 そんな智将に笑顔を向けた想は背伸びをしてから智将の頭を撫でると「ゆっくりで良いからね」そう付け加える。

 視線を上げ、頷いた智将に笑顔を向けた想は「じゃぁ、またメッセするね」そう言ってから理系棟へ歩いて行った。


 ◇ ◇ ◇


「ほら、完璧じゃない方が、何となく可愛く見えるからじゃん?」


 昼休憩になり自分の椅子と弁当を手にした温史(はるふみ)は、智将に話しかけながら側に置いた椅子に座る。

「人は見た目によらない、って言うけど、想は何でもできそうに見えるもんね」

 そう言いながら振り返った華乃が智将の机の上に弁当を置くと「他の人たちが噂してたけど、いつも通りよねぇ」そう付け加えてから立ち上がり椅子の向きを変える。

「まぁ、近寄りがたい雰囲気を出してる智将が羨ましいんだろうけどな」


 そうにこやかに話す十条温史と持田華乃とは高校一年では同じクラスだったこともあり、それから毎日一緒に弁当を食べている気心が知れている仲。

 

 この二人を始め、噂になっている俺と想はご近所同士でいわゆる幼馴染。幼稚園から中学校まで一緒だったが、同じクラスになったことは無いし、もちろん一緒に登下校したことも遊んだこともない。


「まぁ……」


 小さく返事をした智将は机の上に置いた青い巾着袋を開けると、小さな透明のタッパーを温史と華乃の前に置き、もう一つの青い弁当箱の蓋を開けた。

 それを横目で見た温史は小さなタッパーの蓋を開けると「唐揚げじゃん、いただきー」そう言って箸で唐揚げを一つ掴んでから小さなタッパーを華乃に渡す。

「毎日悪いね~。いただきまーっす」

 そう言って口にした唐揚げを食べ智将に笑顔を向ける華乃。米をかきこみなながら「やっぱ羨ましいなぁ」と言った温史は美味しさをかみしめる様に目を細めた。


 そんないつもの光景に小さく溜息をついた智将は笑みを浮かべると『いただきます』と心の中で言ってから唐揚げを口にする。


 もちろんそう言った期待をせず高校に入学した智将は、ひょんなことから想と再会したが『きっかけは大切だけど』そんなことを思いながら側にいる温史と華乃に視線を移し『俺が、そうなってるよなぁ……』そうとも思いながらもぐもぐと口を動かした。


 今朝忘れ物を届けたときに受け取ったこの弁当は毎日、想が作っているもので高校入学以来ずっと続いている。

 高校一年のときは昼休憩になると、想が弁当を持ってきてくれた。そのときから数日は教室がざわついていたことは確か。特に何も言ったことは無いが、気にせず四人一緒に昼休憩を過ごしていた。

 高校二年生になって想は理系に行き、選択教室で校舎が別々になったにもかかわらず、昼休憩に弁当を持ってきてくれると言ってくれたが断った。

 想の理系棟からは、長い廊下を歩き階段を下りてからまた長い廊下を通り曲がってからやっと文系棟に入る。それから三階まで登り、また長い廊下を歩いて俺のクラス。普通に歩いて五分、しかし昼休憩の人が溢れる中を歩けば五分以上、往復すれば十分以上はかかる。

 だから毎朝、中間の職員室前で弁当の受け渡しをしているわけだが、忘れ物があったときの受け渡し場所も同じ。お互い相手のため、何を置いても駆けつけるようにしているのだ。


 ◇ ◇ ◇


 選択科目が違っても、同じ授業になる可能性があるのが体育。唯一、想の授業の様子を見ることができる。

 気づいたことは、話していると分かるが、想は頭の回転が速いと言うこと。加えて、変な目で見ているわけでも変に思っているわけでもなく曲者だと言うこと。


 いつもならちらちらと想を見ている智将だが今日は違う。持って来た椅子に座りボールペンとストップウォッチを手にした智将は、女子たちが授業を受ける様子をじっくりと見ている。千五百メートル走のタイムを記録する係になっているからだ。

 そんな雑用はいつも智将の役目。早々に走り終えた男子たちは日陰で座り込んで話をしている。そこへ走り終えた女子たちも加わって行った。

 走る出番を待つ数人の女子たちが楽しそうに会話をしている中、そんな姿をぼんやり見ていた智将に気づき笑顔を向ける想。


 同級生たちから想はノリの良い女子として認知されているが、クラスの中心では無いし八方美人なわけでも無い。

『だって、お互い気が合うものが変わらなくて、一生関係が続く友だちができるって難しそうでしょ?』

 想が言う通り特定のグループに所属することは無く、その時々の状況を判断しながら会話をするかどうかを決めているらしい。

 俺から見れば、大体五~十番手くらいのどっちつかずで、誰に対してもつきやすく離れやすい状況を作っているような気がする。もちろん勉強の話では無い。

 そんな想と一緒にいる俺はと言えば暖簾に腕押し。ネットでニュースは見るし、一般教養はそこそこ。しかし、同性代が好む流行りのことを知らない。一部の趣味を除いて。

 だから会話のキャッチボールができないと言うか、それ以前に頭で考えることを口に出すのは苦手。ただそれだけで(相手にとっては大問題だろうが)少し距離を置かれている存在になっているので(今では)詮索されなくて都合が良いとも思っている。


「おう、どうした? ぼけっと、伊葉を見ちゃってさ」

 振り向いた智将が『そんなんじゃないけど……』と口を開く前に「今日は暑いから、走り終わったら教室に戻って良いって」そう言って口元を緩める温史。


 そんな俺でもどう言うわけか、想以外にも温史や華乃を始め、数人話しかけてくれる物好きなヤツがいる。

「あぁ……」

 そう言った智将に『じゃあな』と手を振った温史が駆け足で教室に戻って行った。


 体育の先生の笛の合図で走り出す十人の女子たち。一周百五十メートルのトラックを十周する。

 先頭集団で走る想がゴール前を通る度、智将に視線を向けた。

 ……のは最初の二週だけ。運動神経は悪い方ではない想だが、体力が無いと自覚していても(はや)る気持ちを抑えられずスタートダッシュを決めるのが悪い癖。

 結局、へろへろになりながら最後でゴールした想は、乾いた笑みを浮かべながらとぼとぼ智将に近づいて行った。


(あっ!)

 そのとき足元がもつれて倒れそうになった想を、素早く近づいた智将が受け止める。

「へへー……ありがとー」

 そう言って力なく笑った想が大きく息を吐いて智将に身を預ける。

 想を抱えたまま机の上の紙にタイムを書き込んだ智将は『保健室、行きます

』そんな視線を体育の先生に送ると、想を保健室に連れて行った。


 ◇ ◇ ◇


「理系になっても、文系あるっておかしくない?」

 中間テスト前の自主学習時間、図書室で一緒に勉強する想が言った。


 そんな想は社会と国語が苦手。文系の俺は数学と理科と英語以外は得意科目と呼べるくらい点数は良い。そんな二人がお互い得意科目を教え合えば、赤点は免れるだろうと一緒に勉強し始めたのは高校一年生から。


「まぁ……国語と社会って、日本語の軸っぽいし」

「……何か良いこと言ったね?」


 そう笑顔を向けてからノートに書きこむ想を見た智将は『疲れてない?』『キチンと寝てる?』『たまには弁当じゃなくて学食にしない?』そんなことを考えているため勉強に手がつかない。

 そんなソワソワした智将を見た想は「ん? どこが分からないの?」そう言って智将の隣に座ると教科書に視線を落とした。

「……あー、ここは説明してもアレだから、数式だけ覚えた方が良いよ」

 心配事を始め、想の髪から漂ってくる良い香りが頭を刺激し動きが止まった智将に想の説明は届いていない。


「ん?」

 手が動いていない智将に気が付いた想は、思いつめた表情のまま固まった智将を見て溜息をつくと「あー、この前のはたまたまだからね?」そう言ってシャーペンを置いてから話を続ける。

「テスト一週間前だから頑張ろうと思ってたら、寝れなくって」

(だったら……)

「でもね、決めたことだから。智ばっかりに負担をかけるわけにはいかないの」

(そんなことないよ!)

「ううん……勉強するときは勉強する。遊ぶときは遊ぶ」

 そう言って笑顔を向けた想は、無言のまま心配そうな顔をする智将を見つめると「あっ、でも……また智に負担かけちゃってるね」そう付け加えてからうつむいた。

「だから……休むときは休まないと……」

 呟くように言った智将の顔を覗き込んだ想は口元を緩めると「この前みたいに電池が切れても、智が駆けつけてくれるでしょ?」そう言って首を傾げる。

「それは……」

 照れたように言った智将は口を噤むと『そうだけど、無理して体調崩したら、遊びに行けないよ?』と思っていたことを口に出せず、想を見つめたまま「うん」と頷いた。


 * * *

 

 下駄箱から土砂降りの雨を見つめる智将と想。お互い傘は持っているが、配布されたばかりの教科書を濡らしたくないため雨が止むのを待っている。


 ポケットから取り出したスマホで雨雲レーダを確認した智将が「あと二時間くらい……」と声をかけたが雨音にかき消された。

「……雨雲? あと二時間……」

 そう言ってスマホの時計が午後二時過ぎなのを確認した想は「他の人もいるだろうし、図書館で待ってようか?」と声をかけた。


 ◇ ◇ ◇


「明日からお弁当だけど、智は何か嫌いな食べ物ある?」

 スマホのメモ帳を開いた想が、そう言って智将に笑顔を向ける。 

「出されたものは全部食べるから……」

(ぶ、ブロッコリーも!?)

 そう言おうと思って言葉を飲み込んだ想は「じ、じゃぁ、私の好みになるかなー」と言って、視線を逸らしてから乾いた笑いを見せた。

「うん。食べれないものは無いから、大丈夫」

 そう言いながら顔をしかめた智将は、献立表を作る想から窓の外へ視線を移すと、降り続く雨を見つめた。


 * * *


 中学校を卒業しての春休み。高校へ入学する準備のためとは言え、家で一人の智将は特にすることが無いが予定はある。

 それはコレクションしている小説の発売日、しかも先着でキャラクターの栞が付くこともあり秋葉原のアニメショップへ向かっていた。

 その日の天気は曇りのち雨。いつも傘は持ち歩いているが、気分が高揚していたのかチャック付きの袋を忘れたことに気づいたのは秋葉原駅についてから傘を出そうとしたとき。

(バスタオルは持ってきたけど……)

 そう考えながらアニメショップへ向かった智将はやはり気分が高揚していたからか、チャック付きの袋を現地で調達することを考えていなかった。


 ◇ ◇ ◇


 一人っ子の智将の両親は共働き。この春から小遣いは五千円から一万円になった。加えて、特に放任主義では無かったが、昼食及び仕事で帰りが遅くなったときの夕食用に受け取っていたお金も一日五百円から千円になると言われていた智将。


(それを節約すれば……)

 店の外に出た智将は店伝いに伸びる大きな屋根の下で、目ぼしいものを買い漁った紙袋を見つめながら口元を緩めると、多くのグッズが入っている中、手にしたお目当ての小説のビニール袋を破り、中に入っている栞を確認する。

(あぁ……)

 がっかり肩を下す手前で思い留まった智将は『嫌いじゃないけど……』と思いながら取り出した財布を見つめる。

(もう一冊、行くか?)

 そんなことを考えている智将は視線を感じた。


「あの、貝沢さん()の智将くん?」

 そう言った女の子に不審そうな視線を送る智将は、話すことが苦手なこともある以前に、そもそも女性から話しかけられることは無い。その女の子の髪がずぶ濡れだったことも不審に思った理由でもあった。

 髪の毛の水分を絞りながら智将の怪訝そうな視線に気づいた女の子は「あっ、ごめん。私、智将君の裏に住んでる伊葉さん家の想ちゃん。覚えてない?」そう言って苦笑いをする。

(伊葉さんの想ちゃん……)

 考える智将を見ながら「まぁ、アキバで話しかけられたら驚くよねぇ……」と言って舌を出す想。

(お母さんは庭伝いに話をしてるから……)

 そんな母の姿を思い出し、少し安心した表情を浮かべた智将は続けて何かを考えながら口元を緩めると、リュックの中から取り出したオレンジ色のバスタオルを想に渡した。

「……えっ?」


(初めて会ったに等しい近所の同い年の男からバスタオルを手渡されたんだ。それは驚くだろう。アキバで話しかけられた比じゃないくらいに)


 ぼんやりと考えながら笑みを浮かべた智将を見た想は「あ……ありがと」と、少し悔しそうに口を尖らせ、笑みを浮かべながらバスタオルを受け取り、濡れた髪を包み込むように拭いた。


「それで、智将君はここで何をしてるの?」

 そう言いながら智将が手にしている紙袋を見つめた想は「あー、無粋な質問だったね」そう言ってリュックの中から取り出した小説を見せる。

(あっ、同じ小説。栞、何が出たの?)

 口を開けたまま固まった智将を見て首を傾げた想は小説をリュックに入れると、取り出したスマホで天気予報を確認する。

「あー、あと二時間くらいは土砂降りだって」

 想の言葉を聞いて、強くなって行く雨音を聞きながら真っ暗な空を見上げた智将は『あと二時間も……』と、溜息をついた。


 この大雨の中、自宅に帰るという選択肢は無い。せっかく買ったグッズが濡れてしまうから。だから一人で立ったまま小説を読んで待とうと思ったし、飽きたら店内に入ろうと思っていたけど、伊葉さんはどうしよう……。


 想に視線を向けた智将は、不思議そうに顔を向けた想と目が合いそうだったので、誤魔化そうと首を回しストレッチのように体を動かした。


「智将君はこのまま雨宿りしてる?」

「うん……色々と、濡れるし……」

「だよねぇ……」

 そう言ってバスタオルをかぶる様に頭に乗せた想はアニメショップに目をやると、何かを思い出したように「あっ、ここの八階でコラボカフェやってなかった? そこに行ってみない?」そう付け加えてから笑顔を向ける。

「うん……(でも……)」

 智将が何かを心配するように小さく返事をした。

「やった! じゃぁ、行ってみよう」

 そう言って智将にもう一度満面の笑みを浮かべた想は、雨宿りする人たちの間を歩きアニメショップの中へ入って行った。


 ◇ ◇ ◇


 八階に着いたエレベーターの扉が開く。ゆっくりと降りた想が口を開けたまま前を見つめている。

「ありゃ……凄い行列、だねぇ……」

 目の前に三十人は並ぶ行列を目にした想が呟くように言った。

(ご、ごめん……)

 先ほど様子を見た智将は知っていたが、笑顔を向ける颯に何も言えずうつむいたまま立ち尽くしている。


 さっきは一時間待ちだったけど今は三時間待ち。待ち時間が少なかったらと思ってたけど、雨宿りついでにって言うのはみんな同じ。

 俺はもう飾ってあるキャラのパネルは写真を撮ったから満足した。けど、この気持ちが並んでいるときに削がれるのなら、例え入店したときの喜びがあったとしても無駄になるような気がする。だから帰ろうと思ったんだけど……。


 同じように飾ってあるキャラのパネルを熱心に撮影する想を見ながら『男狙撃者(スナイパー)が好きなんだ……』と、頷いた智将が視線を紙袋に落とした。


 写真を撮っていた想は何かに気づき、入口に立っている店員に声をかけると一言二言何かを話してから軽く頭を下げる。


 行列を横目で見ながら智将の前に立った想は「行こっか」そう言って智将と腕を組み入口へ向かう。

(えっ? 帰るエレベーターはこっち……)

 並ぶ人たちから眺望の眼差しを感じながらも、どうして腕を引かれているか分からない智将は店員が《カップルシート一時間待》と書き直したのを見て理解した。


 注文を聞きに来た店員に、想は《男狙撃者セット》を頼んだ。智将は照れながら《女暗殺者(アサシン)》のメニューを指さした。

 その様子を見ていた想は『あっ!』そんな驚いたような喜んだような表情を浮かべると、リュックの中から女暗殺者の栞を取り出し「これあげるよ」そう言って智将の前に置く。

「あっ!」

 思わず声が出た智将も驚いたような喜んだような表情を浮かべると、紙袋の中から取り出した栞を想の前に置いた。

「あっ! 男狙撃者だ!」

 そう言って栞を手にした想は『いいの?』と、智将に満面の笑みを浮かべる。

「トレード……」

 嬉しそうな想を見つめながら、絞り出すように口にした智将。

「トレード……私、初めてトレードした……。ありがとね!」

「俺も……その、ありがとう……」


 * * *


 窓の外を眺めていた智将は、ぽちぽちとスマホを叩きながら献立を作る想を見つめた。

 

 そもそも趣味が同じだからと言って大成する人は少ない。大成と言うよりは成就か。それは男女間ではコミュニケーションの取り方自体が違うし、それにつながる考え方だって違うから成り立つことは難しい。

 そう思っていたが、半信半疑から一年が経って分かったことは、想の第一印象がそのままだったこと。

 加えて『好意と言う感情は抜きにしないまでも恋人ではない別の呼び名はないだろうか?』そう考えていたとき、小説を読みながら想が言った。

『でも、この男秘密警察(シークレットポリス)って、女暗殺者と架空の恋人みたいじゃない?』


 同じ趣味を持つ仲間とか戦友、多分そんなイメージと思っていたけど、あのとき想が言った言葉、架空の恋人。それが妙にしっくり来てしまった。

 世の中にはきっと架空の恋人が多いのだろう。だったら、その一組に自分がなっていてもおかしくはない。

 

 そう考えるようにして一年が経った。どうしてと言われると分からないが、今みたいにお互いを尊重できる関係であるのなら……それはもちろん恋人とは呼べないが、それは相棒(バディ)と呼べるのではないか、そう考えるようになった。


「じゃぁ、来週の献立はこれね」

「うん……」

 笑顔で返事をした智将がスマホに送られてきた献立を確認すると、感慨深く息を吐いた。

「あれ? 嫌いなものある?」

「あっ、無い」

 焦る様に言った智将が想に笑顔を向ける。


 それがまた一年経って変わるかもしれないけど、できれば想の相棒でありたいと思う。もちろんそれ以上の感情は抜きにして。こんな俺と一緒にいてくれるのだから。


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