動乱の決着
明晰夢というモノがある。
夢を見ている者が夢だと理解ができる、そういう夢だ。ティアリスがそのとき見ていた夢も明晰夢だった。
何故夢だとティアリスは分かったのか? それは夢にあらわれた光景が過去に実際に起こったモノだったからだった。
「ティアリス様。ボクの伴侶になっていただけませんでしょうか」
夢の中ではマックス・チェタニアスが跪き自分に花を手向けながらそう言った。真剣で必死なその目は騎士国の筆頭騎士として人望を集める英雄のモノではなく、憧れの女性へと自分の愛を受け入れて欲しいと懇願するごく普通の少年の目だった。
背の低い彼を見下ろすことになる視界。
ティアリスはこの時の感情を思い出していた。
申し訳なさと、ザロアの最大の敵を消すという目的のために心をもてあそんだ後ろめたさ。
ザロアから告白されたときのどうすればいいか分からなくなるような混乱や、胸の奥からまでも満たされるような幸福感は全くなかった。
だから彼女は先に決めていた言葉を口から出した。
「ありがとうございます、マックス卿。アナタのように立派な英雄からそう言ってもらえるとは思っておりませんでした。ですが私は戦神バーミリオンの聖娼としてジラン王国の英雄と結ばれなければなりません。どうかお許しください」
そう本心からの言葉を告げ頭を下げた。ジラン王国の英雄にザロアが選ばれると何一つ疑いは彼女には無かった。
だが頭を下げたがゆえにその一瞬だけマックス・チェタニアスが浮かべたあまりに悲痛な表情をティアリスは全く見ていなかった。
それはマックス卿にとっては幸運だった、自分の無様な瞬間を愛した人に見せずに済んだのだから。
ティアリスにとっても幸運だった、自分が英雄ではなく一人の少年を傷つけたと知らずに済んだのだから。
戦神の聖娼たるティアリスはマックス・チェタニアスのことを理解していなかった。
騎士国の筆頭騎士である彼が誰かに自分の背負う重責を分かち合える誰かを求めているなど想像だにしていなかった。
彼の最も基底の部分においてはごく普通の少年と何も変わらないのだということをティアリスは解っていなかった。
ティアリスがマックス・チェタニアスのことが好感を持っているか否かと問われれば好感を持っていることは間違いがない。
チェタニアス少年はよく似ていたのだ、ひたむきな勝利を目指す姿勢、我が身を省みぬほどの献身性、そして才能がないと言われながらも足掻いた少年期。
その性質の多くが最愛のザロアに似ているのだ。
だからこそティアリスは二人の大きな差異に気づくことが出来なかった。本質的に悪魔への復讐者であるザロアと本質的にごく普通の少年であるチェタニアス少年。
二人の差異をティアリスは理解していなかった。
◆ ◆ ◆
「う、ん」
小さく声をあげてティアリスは夢から覚めた。
目覚めた場所は狭い教会の一室、窓の外からは薄い陽光と鳥のさえずり声、日の出の気配がする。寝起きのぼんやりとした頭では何故こんなところで寝ていたのかを思い出せず、すこし彼女は考え込んだ。
「…………(確か、そう。昨日は深夜まで悪魔たちと戦って、それで交代で休憩することになったんだっけ。戦力として十分な私を起こさなかったということは戦局は昨日から大きくは動いてないわね)」
最大限悪く見積もってもやや不利と言ったところだろう。
手早く身支度をして、警護をしていた兵士から戦場の状況を聞くと雑兵級の悪魔の群れとの戦いが続いているらしい。
「…………(やはり昨日から大きな変化は無しか、しかし悪魔たちが何をしたいのかが分からないのが不気味ね。まるで時間をいたずらに消費してるよう)」
無表情にそう考えるティアリス。前線に戻ろうと教会の中を横切ると何人もの避難してきた市民たちとすれ違った。老若男女さまざまな人々が不安そうな顔をして座り込み一心に騎士神に祈りを捧げている。
昨日までは日常を送っていた街が突如として戦場へとなり果てたのだ、不安にもなろう。
「…………(今はまだ大丈夫だけれど長期化したら不味いわね、一般人を抱えながらじゃ兵糧事情と士気が悪くなることを食い止めれないわね)」
耳をすませば遠くから剣戟の音や鬨の声が響く。
首都の市民たちのことを考えれば、短期決戦を仕掛けたいところだが現状の戦力ではそれは叶いそうにない。
「…………(待つのは好きじゃないけれど、援軍待ちか。戦神様が呼び寄せたレイハネフというエルフはどれだけのことが出来るのかしら? 万軍を相手取るには最適と言ってらしたけど、まあ思い悩んでも仕方ないか)」
ティアリスはは教会を出た、周りには彼女と同じく前線へと戻る騎士国の兵たちと逆に休息をとるために教会へと戻る兵たち。
「…………(ザロアは今どうしてるかしら)」
空を見上げ最愛の人のことをティアリスは思う。
戦神祭のあの日からすでに一月ほどがたっている、その間離れることなく旅路をともにした。そんな経験は初めてだった。
だからだろう、ザロアとほんの少し離れただけで妙に彼女は心細いものを感じていた。
離れたくない、そう彼女は強く思った。
◆ ◆ ◆
ザロアは戦神の弟子であるエルフ、レイハネフと共に騎士国の首都まで夜を徹して戻ってきた。
人間であるザロアは流石に少々疲労をしていたが植物であるエルフのレイハネフに疲労の色は無かった。
レイハネフが乗っていた馬に襲われたのも彼には疲労というモノが分からないため馬の疲労が分からなかったことも一因にあるやもしれない。
「いや、しかし大変なことになってるっすね。戦闘音が街中から響いてくるっすよ」
「急ぎましょう」
「ういっす」
平時ならば門番が決して不審者を入れぬ様にしている門も緊急事態ゆえにもぬけの殻であり、二人は誰何されることなく首都へと足を踏み入れた。
彼らは戦の音を頼りに街を進んでゆく。
街を駆け抜ける彼とレイハネフが進む先には不自然な影があった、悪魔である。雑兵よりも格上の伏影と呼ばれる潜伏と奇襲に特化した悪魔だ。
レイハネフは全く気付くことなく馬を進ませる、ザロアの心は最愛のティアリスに会いたいと早やり普段よりも警戒を欠いていた。
伏影の間合いに入る二人、地に伏せられた影が起き上がり二人を襲……
剣閃!
起き上がった次の瞬間にはザロアの剣によって斬り伏せられる歪影。完全に油断をしていたザロア、だがしかしどれ程気が抜けていようと歩き方を忘れる者はいない。彼にとって敵を探り戦うことはすでにどれ程の油断をしていようとも十全になせる域に来ていた。
「今の悪魔っすか! 危なかった、オレ一人だったら死んでたかもしれないっすよ! あんがとう
ザロア君!」
「……ああ、敵が居たんですね。少々考え事をしていたので気づきませんでした」
「怖っ、寝ぼけてオレを殺したりしないでくれっすよ」
「多分大丈夫かと、これまで味方を斬ったことはありませんので」
「これまで無かったというのはこれから無いことの保証にはならないんすよ」
街の危機に比してのんきな会話をするザロアとレイハネフ。このような状況でも自然体でいられるのは二人が幾たびも修羅場を乗り越えてきたがゆえに、冷静であり続けるためには下らない会話が最も良いと理解をしているためだった。
何度か悪魔との戦闘を抜けたザロアとレイハネフは戦場の中心へと到達した。
「それで、どうするのですか? 呪いでこの状況を打破できるので?」
「そうっすね悪魔が見えるぐらいまでもう少し前……いや屋根の上から見た方がいいっすね」
「なるほど」
手近な屋敷の門を斬り開けて中に入るザロアにレイハネフが続く。二階の窓から屋上に出ると戦場を一望できた。
何人もの騎士と兵士が雑兵級の悪魔たちの群れに巨大な悪魔が何体もいる大軍勢を相手どり戦っている。
その一角にザロアの目は引き寄せられた。腰まで届く長い黒髪に戦神バーミリオンに仕える者であることを示す紅白の神官服。
ザロアの最愛の女性ティアリスの後ろ姿。
『ザロア……勝ちなさい、勝って私に結婚を申し入れしなさい。そうしたら私は喜んであなたの妻になるわ、きっと驚くでしょうね貴方本当に私の恋に気づいていないから』
『え、あ、そのえと、もちろんよ……喜んで』
ザロアの心臓が高鳴る。
呪いを解かれたときに思い出したティアリスの言葉。それは彼にとっては自分の願望が生み出した妄想なのではないかと思うほどに都合が良いモノだった。
だがもしも……もしも妄想でないのならば……
(聞きたい)
(ティアリス様の口から)
(直接)
「よっし、ここからなら問題なく呪えるっすよ」
様子がおかしくなったザロアに気づかずにレイハネフが呪いを放つ。
小さな光、そうとしか表現できないモノが悪魔たちに降り注ぐ。そして瞬きもしない間に悪魔たちが同士討ちをし始める。
「な、なんだ!」
「何が起きている?」
「それ、オレがやったす。今がチャンスっすよ! 攻めるっす! 攻めるっす!」
突如同士討ちを始めた悪魔たちに騎士たちが困惑する。レイハネフが声を上げるが、ほとんどの者に届いていない。
「総員、好機である! 突撃!」
混乱する戦場に大喝が響く。その声はこの戦場で最も小柄な男であるマックス卿だった。
彼は檄するや自ら悪魔たちの群れへと飛び込んで行った。
目が覚めたように筆頭騎士に騎士たちが続く、戦局は大きく動く。瞬く間にも悪魔たちが屠られこの世ならざる炎となって消え去ってゆく。
騎士国の首都にて起こった動乱の勝敗はこの時決まったのだった。




