9・数年前の王宮で
アンガスは自ら入った牢獄の塔のたった一つの窓から空を見上げていた。空には無数の星が瞬き、明日の快晴を示唆している。
明日が晴れようが雨が降ろうがアンガスには関係がない。しかし、夜空は感傷を呼び起こす。
(長かった)
アンガスは過去に想いを馳せる。
ソフィアと出会ったことで彼は確信した。
この世界は、花花が好きだった、あの乙女ゲームの世界だと。
ソフィアという婚約者の悪役令嬢、攻略対象者であろう王子の自分と高位貴族のギルバートとベネディクト。
ソフィアもギルバードもベネディクトも自分も、生まれる前の共通の記憶を持っていた。
遠い異国の不可思議な祭り。
そっけないような神事。
下着のような破廉恥な服装と、気安い男女の距離。
そして、地震と土に埋もれた記憶。
それならば、花花はきっとヒロインとして自分の前に現れる。アンガスはそう信じた。
あの土砂崩れの時、自分は花花を抱きしめたことを覚えてる。花花と離れたくなくて、しっかりとこの身に抱え込んだのを覚えている。
アンガス、ギルバート、ベネディクト、そしてソフィア。前世では5人の幼馴染で、5人同時に命を落としているはず。だから、花花だってこちらの世界にいる。そう、信じ込んだ。
ソフィアと出会って、その考えを確信した後、秘密裏に国中くまなく花花を探した。ソフィアのように顕著な業績を上げた女性はいないか。貴族、平民問わずに探したがそれらしい人物は浮かび上がらない。
それなら、やみくもに探すより花花と出会った時に迷わず手を取れるように準備しておこう、そう考えた。
この国には貴族の子女が通う学園がある。そこに花花はきっとヒロインとして現れる。それまでは、ゲームの強制力で会えないのだ。そう信じこんだ。
だから行動を起こした。ソフィアやギルバートたちを巻き込んで。
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それは数年前の良く晴れた日、
婚約者のソフィアを呼んだ王宮の庭園で、アンガスとギルバート、ベネディクトそしてソフィアはテーブルを囲んでお茶を楽しんでいた。人払いは済ませており、目の届く範囲に護衛がいるのみ。
あの頃は、まだ側妃が健在で毒物混入や襲撃がたびたびあり気が抜けない日々を送っていた。王妃の後ろ盾のロクスバラ公爵家に加え、ソフィアの生家、スチュアート侯爵家の後ろ盾があるアンガスの第一位の王位継承権は揺るがない。そのため側妃はなりふり構わずに刺客を送り込む。
そんな中、アンガスは侍女が入れたお茶に口もつけずに口火を開いた。
「きっとここは花花がよくやっていた乙女ゲームの世界だ」
アンガスにソフィアが遠慮なく、馬鹿じゃないの、という視線を送る。
「なぜそう思いまして?殿下」
「だって、そうだろうが。悪役令嬢のソフィア。攻略対象者の俺、ギルバート、ベネディクト。3人とも家柄もいいし将来性もばっちりだし、容姿も整っている」
ソフィアの侮蔑の視線はさらに深いものになる。
「で?花花はヒロインとして私たちの前に現れると?」
「そうだ。そうに違いない。だって探しても見つからなかったんだ。王子の俺が四方八方に手を広げて探したのにいないんだ。ゲームの強制力が働いて、きっとゲーム開始まで会えないようになっているんだ」
「・・おい、かなりイタイこと言ってる自覚があるか?」
たまらずにベネディクトが口を挟む。
「まあ、いい。で?アンガスの本題はなんだ?」
ギルバードがアンガスに視線を向ける。
「乙女ゲームのヒロインとして現れる花花の手を取れるように準備をしたい。協力してくれ」
「どういうことだ?」
ベネディクトが疑問を浮かべる。
「もし、花花が平民に生まれ変わっていた場合、俺が王子だと花花と一緒にはなれない。貴族でも爵位が低ければ側妃ですら召しあげるのは難しいだろう?だから、花花と会ったときに、王位継承権を放棄できるように準備したい。
もちろんただで、とはいわない。ギルが国の統治に興味があるのは知ってる。俺が花花の手を取ったら、王位をお前に譲る。そしてソフィア、お前にはこの婚約を白紙に戻してやることで答えよう。デュークには、騎士団長の地位を確約する。といっても、ギルに頼まなくてはいけないが」
ベネディクトが息をのみ、ソフィアが呆れたように息をつく。
「殿下、そのような戯れをおっしゃらないでくださいませ。殿下が王位を降りたなら、次の王位はアルバート王子に移ります」
そうなればこの国に側妃様の生国、フィアサテジアラムが台頭してくるだろう。国民の生活を守るためにはそれは阻止しなければならない事案だ。フィアサテジアラムは国民が過剰気味で、移民として異国へ過剰な国民を派遣していた。移民は低賃金で仕事を選ばずに就労するため、移民を受け入れた国々の人々は移民に仕事を奪われ困窮した。
移民を受け入れるための枠組みができていない以上、エイクも移民を受け入れれば同じ末路をたどることになる。
「だから、側妃をここで潰す」
アンガスが暗く笑った。
「手はあるのですか」
ベネディクトが身を乗り出す。日々送られてくる刺客に神経を削っているのはアンガスだけではない。
「フィッツロイ侯爵家が臭い」
アンガスがぽつりと落とす。花花を探す過程で得た、フィッツロイ家当主と側妃の「臭い」噂。まだ、確実な証拠はない。
表向きはフィッツロイ家は中立派で王妃、側妃どちらの派閥にも属していないとなっている。フィッツロイ家は中立派の中では大きな発言権を持っている。大きな鉱山を有し、資金力も潤沢で、領地経営も順調だという。
フィッツロイ、とソフィアがつぶやく。
「・・私の領の奴隷商が鉱山に人を送っていたけどここ数年、雇入の数が少ないと漏らしていたわ」
奴隷という身分があることに憤り、奴隷の子どもたちを買い取って優秀な人材として育てるという転生ものの定番のイベントを行っているソフィアが呟く。
「あそこから上がってくる税の調書は例年と変わりないが、そういえば最近羽振りがいい」
幼いながら王弟である父の仕事を手伝っているギルバートが顎に手を当てる。「生まれる前の記憶」が強いギルバードはそれを生かして、「父の手伝い」と称した、大人顔負けの公務をこなしていた。
「フィッツロイ家は中立派だけど、国境に近くて・・隣国はフィアサテジアラムの移民を受け入れて失敗したサイナンスだ。あそこは大不況真っ只中で、こちらへ逃げて来ようとするものも多い」
騎士団長の嫡男であるベネディクトがつぶやく。国防系公務員だった彼は国防に関して一家言有るらしく、騎士団長の父親と意見を交わしているという。と言っても、専守防衛に努めていた以前とは考え方が根本的に違うので、あまり有意義にならないとこぼしてはいるが。
「父上が国境に兵を増強して入ってこられないようにしている」
数年前、隣国で移民が原因の経済の停滞が知られるようになったことからエイクでは移民の受け入れを拒否、王の許可がなければ他の国の民をエイクに流入させることは固く禁じている。
フィッツロイと側妃の繋がりは不明。しかし、鉱山は人夫がいなければ回らないのに、人の雇入が減っているのは不自然すぎる。
鉱山を回すために、フィッツロイは安い労働力を欲してはいなかったか?
移民の流入を固く禁じた王命を出した時、もっとも強く反発したのは鉱山を有するパーシー伯爵家、そして、側妃ウーハイエンを国王に娶らせたハワード公爵家。
ハワード公爵家は国王の叔父に当たる当主が健在で発言力が強い。国王の姉が西国サダルモリスンに嫁いだ時に尽力した。王姉が嫁いだサダルモリスンもまたフィアサテジアラムからの移民を受け入れたことにより、大規模な暴動が起きている。
「ハワード公爵家が絡んでいたら少し厄介だな」
ギルバートがつぶやく。
側妃が一枚かんでいるなら、ハワード公爵家も絡んでいることは想像に難くない。崩すなら伯爵であるパーシー家からが定石だけれど、あの老獪な公爵を相手にするなら定石を踏んでいたら逃げられるだろう。
「トカゲの尻尾切り、という言葉もございますしね。本丸を重点的に攻めたほうが効率が良いような気がいたしますわね。
殿下、敵陣に切り込むのは学園へ入学する前でよろしいかしら?」
ソフィアが膝に置いていた手を口元に寄せて笑った。
「それまでの期間は長くもなく短くもなく・・。探るのにはちょうど良い期間ではなくて?」
ソフィアもギルバートもベネディクトもそしてアンガスも。暗殺を恐れて生活するのに飽きていた。
アンガスの言葉尻に乗っかるのは不本意だが鬱陶しい側妃を失脚させられるなら、乗るのもまた一興。
標的は、ハワード公爵家とフィッツロイ侯爵家。
「じゃあそういうことで」
ギルバートがうっそりと笑う。
「・・ギル様。お顔がとても悪うございますよ」
ベネディクトが苦笑を漏らし、アンガスが満足げに頷いた。
「ねえ、アンガス殿下。案外、花花は側妃様の陣営で、アルバート殿下の婚約者になっているかもしれませんね。灯台下暗し、的な」
その後、ソフィアの落としたこの爆弾で、ソフィアとアンガスが掴み合いの喧嘩をしたとかしないとか。