蛇足:ダルゴアさん
ブレント・ダルゴアの邸に前触れもなく現れたユーリ・ハリマスは既に激昂してた。
通された応接間をウロウロと落ち着きもなく歩いているという。
ブレントはため息をついて応接室へ向かう。
ハリマスへ放っていたものから連絡がきたのは昨日の夜。刺客として雇った男がサーカス団を離れたら、サーカス団を殲滅しろと命令していた。
身一つで殺し屋が来ると思っていたのに、蓋を開ければサーカス団という大所帯。さらに隠しておけば良いものをユーリが独断で興行を許してしまった。
サーカス団はあの殺し屋の男の仕事の依頼をわかっている。ダルゴアの名前を出す愚を犯した覚えはないが何が繋がるのかはわからない。殺し屋の男は目的を完遂したら、王城に配置させている者に始末させる予定だった。ならば、サーカス団も一緒に始末してしまおうと、殺し屋が離れたタイミングで金を払って襲わせたが失敗したようだ。
いい計画だと思ったのに、とブレントはイライラと眉間を揉む。
サーカス団の興行を聞いた時、中立派のシシリアの傘下であるハリマスを抑えられるとほくそ笑んだ。しかも興行を行ったのはシシリアから入ったユーリだ。これでシシリアの力を削ぐことも可能だ。
しかし、ユーリがこちらに姿を見せて仕舞えば、ダルゴア(自分)とのつながりが表面化する。
ユーリはガルベラ国で薬物を摂取してから、深く考えることができなくなった。ただ言われたことだけをするだけしか能のない者となり、計画については打ち明けられない。打ち明けたが最後、ハリマス伯爵や自分の妻にベラベラと話してしまうことが目に見える。
ハリマスとの縁を繋いだのはユーリの幸せを考えてのことだ。ハリマスの長女は優秀で弟は少し愚鈍。弟に優秀なものをあてがおうとハリマスは動いていたようだったがそれを邪魔して、凡庸な女ばかりを弟の側に近づけた。
弟が見初めたのは容姿ばかりが整った、平凡な女だ。実家もさほど大きくない子爵家で後ろ盾は期待できず、本人も平凡、社交も突出したものはなく領地経営の助けにもならない。
長女の力がハリマスに必要になるように動いたのだ。長女がハリマスから動かないように。ユーリがハリマスに入れるように。
ハリマスにしてみたら、シシリア公爵家の巨大な看板を背負い、しかし、領地経営に口出しする能力もなく、シシリア(実家)も口出しをしてこないであろう三男のユーリは、優秀な長女にあてがうのに都合がよかったのだろう。トントン拍子に婚約が整い、婚姻が結ばれた。シシリア公爵家としても荷物となりつつあったユーリが傘下のシシリア伯爵家に婿入りするのは、願ってもないことだろう。
ユーリと自分の紐は見えているだろうが、大したことではないと判断されたのだ。
最初から、ユーリを抱き込もうとは思っていなかった。ユーリはかわいい。優しかった従姉妹に気性も容姿もよく似ていて、淡い綺麗な初恋を思い出させる。
だから今回の件は不本意だった。
ユーリには幸せになってほしいと思っている。しかし、それももう叶わない。
わかっていた。ユーリがガルベラ国であの者たちに漬け込まれた時点で、ユーリの幸せな未来などないことに。
くそ、とブレントは髪を搔きむしる。
ギルバート殺害の黒幕がラジヴィルであるかのように動いた。「ルビーの輝き」を入手するためとは言え、これ以上、あの愚かな男の言いなりになるのは耐えられなかった。
そんなことができるわけがないのに、アンガス殿下に娘を添わせて後ろ盾となり、ギルバート・ベルヒュートを廃して、アンガス殿下を再び王太子へと導く、という筋書きを耳打ちするとその気になった。親が親なら娘も娘だ。すでにアンガス殿下と婚姻を結ぶつもりで派手に動いている。
ギルバート・ベルヒュートの悪い噂を流布しながら。
愚かな王弟の息子とはいえギルバートはすでに立太子をしている。ラジヴィルはアンガスを王位に戻すという考えを隠しきれていない。
そんな折、ギルバートが殺害されたら?
疑いの目はラジヴィルに向くだろう。腰巾着と評される自分も多少の損害は被るかもしれないが瑣末なことだ。
このギルバート殺害は、ラジヴィル主導で行われていたこと。
ユーリ・ハリマスはアンガス殿下の騒動のあとすぐにラジヴィルと接触させている。殺し屋を匿っているユーリとギルバート殺害を企てているラジヴィルとの紐がよく見えるように。
もう殺し屋は放っている。
王城からは何も連絡はない。
サーカス団の襲撃は失敗。
そして、ユーリの来訪。
詰んだのかもしれないな。
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待たせてすまない、とブレント・ダルゴアが通された応接室に入ってきた。
ユーリは挨拶もそこそこブレントに詰め寄る。
「ブレント様!これは一体どういうことですか?!サーカス団が襲われました!なぜか王城の騎士たちがハリマス領に現れて、サーカス団と襲撃者たちを拘束したと報告が入っていました。
あのサーカス団はブレント様に頼まれて保護していました!なぜ王城から騎士団がきて拘束するのですか?!しかも、ハリマスの邸に王城から召喚命令も届いています。義父が対応していますが、妻からも義父からも詰め寄られて・・!」
「・・私の名前は出していますか?」
「言っていない!!何がなんだかわからないから、ブレントに助けてもらおうと訪れたのに、ずっと待たされるし・・!なんで、こんなことに?サーカスの興行がだめだったのか?」
「・・あのサーカス団は入国が禁止されている隣国のサーカス団です。サーカス団の興行をさせていたとか」
「サーカス団がサーカスを見せないでどうするんだ!農散期の領民の娯楽にはもってこいだろう?興行した方が、サーカス団を領に引き入れる理由になって、代官を誤魔化せるんだ!」
サーカスの興行はユーリがきちんと考えた結果らしい。
こんな時なのに少しだけ嬉しくなった。
深く考えることをすぐに放棄し、すぐに「どうしたら良い?」と頼ってきていたユーリが自分で対処法を考えていた。ハリマスに婿養子に入ってから少しは成長をしている。
しかし、すぐに頭を切り替える。
もう、ユーリは切り捨てなければならない。
ならないのだ。
自分のために。ダルゴア家のために。
従姉妹によく似たユーリ。実子よりも愛おしかった、不遇の子。成人をすぎてなお、幼児のような、不憫な子。
「・・私には預かり知らぬことです」
「!!ブレント!だって、お前がサーカス団を!」
「何を言っておられるのですか、ハリマス様。サーカス団とは一体なんのことでしょう?」
「・・そんな、だって・・おじさま!!」
ユーリが縋るような声を絞り出す。どうしていいのかわからないと、助けて欲しいと。
衣食住だけは保証された牢獄に囚われていた幼い子供。誰からも振り返られることはなく、シシリアの邸に捨て置かれていた子供。
子供だけを取り上げられて、令嬢としての未来も何もなくなった従姉妹は自ら命を立った。家の汚点だった従姉妹が死んでみんなが安堵していた。
そして、皆ユーリのことを忘れた。
自分以外は。
次男が病弱だから、とシシリア公爵家に連れて行かれたユーリは、シシリア公爵の次男の体が成長とともに丈夫になると同時に不要となった。
かわいそうな、かわいそうな、最愛の従姉妹の子供。
自分もまた、このかわいそうな子供を切り捨てる。
あの頃、憤った周囲のように。
「ユーリ様、いやハリマス代官補。私にはあなたが何を言っているのかわかりかねる。・・これ以上話すことはない。お引き取り願おう」
ダルゴア侯爵家当主としてハリマス代官補への通告だ。すでに立場は違っているのだ。
「お、おじさま・・だって、だって・・!」
ユーリが呆然と震え出す。目の光が失われている。
「だって、だって、」
つぶやく声が徐々に小さくなる。
ブレントは立ち上がる。
震える拳を隠すように握りしめて。
「・・助けてくれたのはおじさまだけなのに・・!」
背中で聞いたのは、絞り出された、小さな絶叫。
そして、頭に強い衝撃。
深い闇に落ちる前に誰かに言いつけた。
「ユーリは・・ユーリは何もしていない・・だから・・」
暗転。