蛇足:フィルアッシュ・ハワードさん
フィルアッシュ・ハワードは幼い息子を二人ともその膝に乗せて絵本を読んでいた。
竜の騎士が囚われていた美しいお姫様を助けるために旅をする話だ。
特に長兄がこの話が好きでよくせがまれる。
「あらあら、アンゲルは本当にそのお話が好きね」
茶会から帰ってきた妻がサロンへ入ってくるなり、子供たちを両膝に抱え白熱した読み聞かせを行うフィルアッシュに目を細めた。
「おかえり、ケイト。今日は王妃のお茶会だったね。楽しかった?」
「ええ。とても。王妃様のお茶会はお菓子もお茶も美味しいのでとても楽しいわ」
母様、お菓子のお土産はないの?と子供たちがフィルアッシュの膝から飛び降りて、まだ外出着の母親に飛びつく。
「ありますよ。王妃様が包んでくれました。あなたたちにどうぞ、ってね。さあさあ、母様は着替えてくるから、もう少しお父様に御本を読んでもらっていてね」
子供たちを寝かしつけた、深夜にはまだ十分に間がある時間、フィルアッシュと妻ケイトは夜の語り合いを楽しんでいた。
話題は、今日のお茶会のこと。
「王妃様のお茶会は、あの婚約破棄以来初めてだったね。小鳥たちの囀りが耳に障ることはなかったかい?」
「ええ、まあ、それなりに囀っていらしたけれど障るほどではなかったわ。王家にとって今回の婚約破棄騒動はそれほど傷になるものではないようよ。悪い話は聞きませんでした。
例の事件(側妃)でのギルバート殿下の活躍は目を見張るものがありましたし、それまでも宰相候補として名を馳せていらっしゃったから。ギルバート様が立太子することにそれほど嫌悪を示す家ないですわね。・・何より、ソフィア様のお顔がアンガス様とご一緒の時よりも美しく輝いていらっしゃるから。
それに気がついたアンガス様が身を引いたのではというお話もあるのよ。
どちらにせよ、婚約破棄という醜聞にしては好感触ですわね。
・・でも、アンガス様の件があるからでしょう、王妃様とソフィア様の間に少し距離があるように見受けたわ。・・私の他にそれに気づかれた方はいらっしゃらないと思いますけれど、少し心配ね」
「そうですか。ギルバート殿下の件(殺害未遂)は噂に登っていましたか?」
「いいえ。不自然なくらいに誰もご存知なかったの。ただ、ラジヴィル公爵夫人を彼女の取り巻きが探るような目をしていたのが印象的でしたわ。反対に、ダルゴア侯爵夫人は涼やかな目をいましたの。何も知らない、というよりは、私は関係ないというように」
「わかりました。ありがとう。女性の副音声は多種多様すぎて私には手に負えないので、あなたがいてくれて本当によかった」
フィルアッシュは妻を軽く抱きしめる。
ケイトはフィルアッシュに身を委ねて、そういえば、と耳元にささやくように言葉をつなげた。
「アンガス様はアジデリ鉱山へ向かったらしいですわね」
「ああ。国境を超えた女性について、あの4人が必死で探しているのかはは私も気になってはいたんだ。何を企んでいることやら・・あの4人が謀るとことが大きくなる。後始末が大変になるんだ・・」
クスクスとケイトが笑う。
「あの時も大変でしたものね。側妃が何か企てているのはわかっていましたが、よもやの国家転覆でしょう?前公爵閣下は側妃を穏便に国に返すために動いていたというのに。
あの時はこの家に嫁いだばかりでしたのに、あなたもお義父様も前公爵閣下も帰ってこられなくて、ようやく帰ってきたと思ったら、”余暇をもらったが伯爵に降爵することになった”なんてねぇ」
当時を思い出してケイトはコロコロと笑った。
「あの時は本当にすまなかった。君の実家にも多大な心配と迷惑をかけただろう。しかし、ああするよりなかったんだ。誰かが責任を取らなければならなかったから・・。当時、側妃を担当していたのは我が家だったからね。側妃として推薦したのだし・・」
「存じておりますわ。当時は、側妃の後ろ盾の件は、彼女を見張るための国からの指示でしたのにと多少の憤りを感じましたけれど、お言葉通り、時間をゆったりと使うことができるようになって息子たち(家族)との時間も贅沢に使える今の方が私は幸せですのよ。帰ってこられなかった当時よりずっといいと感じております。・・ですから私は殿下たちには深く感謝しておりますの」
でも、とケイトは目を伏せる。
憂い顔が気にかかり、フィルアッシュはその頬に指を添える。
「・・チャールズ・ウォルポート様からのお手紙にサットラン子爵の御令嬢となんだか気になることが増えましたね」
「チャールズの手紙か・・。あなたこそ王位に相応しい、なんて冗談じゃない。家族とゆったり語り合う時間が取れる今の方がずっといい。公爵の時だって忙しかったのに、王になんてなったらしがらみだらけで身動きが取れなくなるに決まっている。
・・チャールズには余計なことをしないように釘は刺した。サットランは・・家の内の話だからこちらから口を出すことができない」
「ええ。そうですわ。私が考えすぎなのです。ただ、ギルバート殿下が害され、王位継承が動いた時、アンガス様が元の地位に戻るのは現実的ではありませんし、アンガス様も望まないでしょう。
ベルヒュート様は弟君が嫡子となられました。弟君が立太子して仕舞えば、ベルヒュートを継ぐものがいなくなり、混乱するでしょう。何より、ベルヒュート公爵閣下が難色を示しそうですわ。
そうなると継承権はハワードに移ることも可能性としてあります。そうなった場合に・・」
「ただの杞憂だよ、ケイト。今まで私たちは王家のわがままに付き合わされてきたんだ。そんなことになったら、今まで王家への貸しを全て動員して拒絶する。多分父上も同じように考えているよ。」
「ええ。ハワードにそういう(王位)欲がないことはよく存じております。しかし、不安になるのです」
フィルアッシュは妻の頬に唇を寄せてささやく。
「大丈夫。そうならないために、動いているから」