71.マグリットの出立
ソフィアは準備を進める。アンガスが流されたという報告はいまだ来ない。ベネディクトはソフィアの「子どもたち」とともに昨日早々に王都を出立した。
サクロスへの道は雨のせいで地盤がゆるんでいる。
スチュアート邸にはマグリットが緊張した顔で旅装に身を包み待機していた。
その隣には、同じく旅装に身を包んだアイリーンだ。
「では、アイリーンさん。マグリット様をお願いいたします」
エミリアがアイリーンの手をとる。
サクロス領へ行きたいとマグリットがソフィアに訴えたのは昨日の事だった。
「私は、籍こそ入っていませんが、アンガス・サクロス卿の妻です。陛下からサクロスの管理をアンガス様とともに担うように仰せつかっています。それなのに、どうして私だけがぬくぬくと王都にいられるでしょう。
私も、サクロスに向かいます」
ソフィアへ相談に来たのは家令のターナーに止められたからだ。女が行っても足かせにしかならないと。しかし、マグリットは言った。
「こんな時こそ女手が必要なのです。私は王都で生まれ育った上品でたおやかな貴族女性ではありません。貴族女性としての常識は足りませんが、このような事態の対処の仕方は心得ております」
ソフィアは彼女を後押しすることに決めたのは、彼女が出会ってから初めて見る毅然とした態度をとっていたからだだった。
マグリットにエミリアが随行するといったが、正しい「貴族」のエミリアでは足を引っ張る。そのため、平民だったアイリーンがエミリアの代わりにマグリットに付き添うことになった。
エミリアはマグリットに恩義を感じていた。
マグリットは短期間で貴族女性として恥ずかしくない所作を身に着けた。それがエミリアの評価に繋がり、「マグリットの元を辞した後にはわが家へ」、というオファーがいくつも舞い込んでいた。
サットランからは離縁をほのめかされ、実家とも折り合いの悪いエミリアにはありがたい話だ。
そして、アイリーンはエミリアに感謝していた。サットラン当主夫人(祖母)にはサットランの子だと言われたが、次期当主となる子息(叔父)から疎んじられていることは感じていた。父はすでに亡く、祖父である当主も彼女をどうするのか悩んでいるようだった。そんなおりエミリアが「学園へ」と提案してくれた。そのおかげで、手元におきたいと泣く祖母を説得し、サットラン家を出ることができた。サットラン家に飼い殺しにされることを免れたのだ。
ソフィアは二人を馬車留めまで送った。御者はソフィアが信頼している「子どもたち」の中の一人だ。
「では、マグリットさんもアイリーンさんもお気をつけて。道が悪ければ帰ってくるのよ。ルーク、雨の中申し訳ないけれどお願いね。後ろから、護衛を幾人かつけているから、何かあれば彼らを頼ってね」
「はい、わかりましたお嬢様」
御者のルークは笑顔で雨除けローブのフードを上げた。
彼にはこの計画を話してある。きっと上手くいくはず。
護衛の中には、ギルバートがこっそりと混ぜてくれたジェイコブ・エイハーンもいるだろう。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
はかりごとが上手くいきましょうに。
遠くなる馬車をエミリアとともに見送って、ソフィアは祈った。