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37・全部あなたのせいだ

マグリットはその日、街へと出ていた。

本当はアンガスとともに来る予定だったが、急遽王城から連絡が入りマグリット一人での散策となった。


一人で行くのは少々心細かったが好奇心には勝てなかった。

マグリットは王都から遠い領地で生まれ育った。王都に来たのは学園に通うことになった時が初めてだった。


往来の人の多さと遠くに見える王城の美しさに驚いたことを覚えている。学園に通ってからは懐事情のため街へ降りることはなかった。しかし、寮の4人部屋で同室だった、マグリットより幾分か豊かな友人たちが街へ降りて見聞きしてきた話はマグリットのあこがれを刺激した。


美しく整えられた四季折々の花を咲かせる公園、高価なガラスをふんだんに使って作られた温室。高額な入場料を払える豊かなものしか入ることのできないそれらはあの頃、手の届かない夢だった。年上の商人の元に嫁いだとしても、きっとかなえられることのなかった憧れ。それを今、マグリットは享受している。


日差しは暖かく、少し動くと汗ばむくらいの陽気だ。空気が乾燥していて砂埃が時折風に舞う。


「マグリットさん、お疲れではありませんか」

エミリアがマグリットを気遣うように声をかけた。ずっと歩き通しだったので少しだけ疲れていた。

「そうですね。そろそろ、帰りましょうか・・」

女性だけでカフェに入る勇気はない。

後ろを歩く護衛にナタリーが目配せしたその時。


向い側から歩いてきた男にすれ違い様に切りつけられた。

目の端に映った刃物にとっさに顔を庇った腕に熱。


ナタリーとエミリアの叫び声が遠い。護衛が動きを止めたのは、男がマグリットの身体に腕を回し、首筋にナイフを突きつけたからだ。


男は囁きをマグリットに落とす。

「身の程をわきまえておけば死なずに済んだのにな」


マグリットは答えない。答えられない。喉に刃物の気配。

男の息が臭い。

顔をそむけると、首筋に熱が走った。ぬるりとなにかが流れる感触。

「悪くおも」


ぐしゃ、か、ぐきゃ。そんな音がした。そして、男の臭い息が飛んだ。

何が起こったのか。

切りつけられた腕がジンジンと熱くなる。

身体がガタガタと震えだす。

「もう、大丈夫ですよ」

混乱が襲ってきたとき、深い声がマグリットの心を支えた。


「お嬢様!」

ナタリーが駆け寄ってくる。護衛が襲ってきた男を踏みつけて縛り上げ、ナタリーが傷ついたマグリットの腕にハンカチを押し当てた。


熱が痛みに変わる。喉もとに感じるチリりとした痛み。

切りつけられた腕に目をやると、その手は血にまみれていた。


真っ赤な自分の手。


マグリットの目の前が反転した。


目が覚めると王都の自室のベットの上だった。かなり喉が渇いていた。汗で額に髪が張り付いて気持ちが悪い。身を起こそうとして体がひどく重いことに気が付いた。熱が出ているようだ。

ベットサイドの鈴をかろうじて手を取ると、天蓋のカーテンを開けてナタリーが顔をのぞかせた。

マグリットの顔をみて、すぐに吸い口を口元に寄せる。水を飲み息を吐くと、汗をかいた額をぬぐわれた。

「・・・私は」

「手の傷も首の傷も深くはありません。傷も残らないとお医者様がおっしゃっておいででした。発熱もケガによるものとのことですので、ご安心くださいませ」

恐ろしい体験のせいで倒れてしまったらしい。


鼻先に男の臭い息が蘇ってマグリットの体が震えだす。切り付けられた腕がずきずきと痛み出す。

「マグリット様」

「・・アンガス様は・・?」

「旦那様はただいま領地に戻っております。報せは出しましたが、返事が来るにはもう少しかかるでしょう」

側にいてほしいと願った人は遠く。

マグリットはぐっと目を閉じる。

「・・そう。もう少し、眠ります。ありがとう」

ナタリーがカーテンを閉めるとマグリットは自分の体を抱いて丸まった。


こんなに怖いことは初めてだった。

なんで、なんで私がこんな目に合わなくてはいけないのか。


身の程を知っていればこんな目に合わなかったのにな


臭い息と男の声が再現される。


違う、違う、違う。

マグリットは布団を頭からかぶって耳をふさぐ。

私はちゃんと身の程をわきまえていた。ちゃんと恋をあきらめようとしていたんだもの。ソフィア様にもきちんと申し上げたし、関わらないようにしていたんだもの。


それでも、アンガス様が私を選んだの。アンガス様に請われてどうして拒絶ができるの?私には選択権なんてなかった。王太子に手を取れと言われて、取らない女がどこにいるの?


身の程なんかわかっている。どうしたって私はソフィア様のようにはなれない。所作もマナーも教養も、常識さえ私は足りない。どう補えばよいかなんてわからない。努力したってかなわない。

私は、平民のあの娘(アイリーンサットラン)にさえ劣るのに。


こんなことなら、あの商人に嫁げばよかった。ひどく年上の夫を不満に思っていたとしても、今よりも生活が貧しくとも、殺されはしない。こんな怖い思いはしない。


「もうやだ」


怖い思いも劣等感も敗北も・・惨めな思いも、さみしい思いももう嫌だ。私は子どもを持ちたい。誰に遠慮することなく結婚をしたい。私の産んだ子どもが国を乱す種火になるなんて嫌だ。


「もうやだ」


全部、アンガスのせいだ。

アンガスがマグリットを選んだせいだ。


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