31.アマリエ・ラジヴィル /マグリット
その女性は深紅のデイドレスを纏って、大輪のバラのようにその場に咲いた。
「ごきげんよう。閣下はいらっしゃって?」
家令に呼ばれて慌てておりてきた玄関で、マグリットは目を白黒させつつなんとか淑女の礼を取る。この間、初めてエミリアに「了」を貰った礼だ。
「あら、あなた・・」
「マグリット・ニッサルと申します。この邸の留守を預かっております。申し訳ありません。旦那様はただいま外出しております。帰宅時間は把握しておりません。」
「まあ!何度お手紙を送っても都合が悪いとのことだったのですが本当にご不在でしたのね。私、アマリエ・ラジヴィルと申しますわ」
ラジヴィル公爵家。
その身分の高さにマグリットは息をのむ。確かに彼女の所作には高位貴族特有の品があった。強烈な登場で気が付かなかったが。
「失礼いたしました。ラジヴィル公爵令嬢様。どうぞ、こちらへ。いまお茶の用意を」
「閣下がいらっしゃらないのなら結構ですわ。何を入れられるか分かりませんもの」
そう言ってアマリエは扇で口元を覆いマグリットを見た。
「ねえ?マグリットさん?」
ひゅっと息を呑む。もしかして、媚薬の件が外部に漏れているのだろうか。さーっと血の気が引く音が耳の奥で聞こえる。
アマリエはくすくすと嗤って身を翻す。
「でも、噂は本当のようですわね。あれだけ大々的に婚約を破棄なさったのに、すでにアンガス様は愛しの君に興味を失っているって。まあ、あなたでは足りませんものね。すべてが。」
アマリエは、ちらりと目線だけで振り返る。嘲りの視線にマグリットは身を固くする。
「平民の商人風情に援助してもらってようやく入った学園で、読み書きもろくにできないままご卒業なされたマグリットさんを閣下が本気で求めるとは思いませんでしたけど・・・存外閣下も飽きっぽいんですのね」
では、失礼。
そう言って大輪は屋敷を出ていく。華の残り香がその場に残る。
マグリットはしばらく動けなかった。
◇◇◆◇◇◇◆◇◆
アンガスがその日の夕方、サクロス邸に帰ってきた。
いつの間に雨が降っていたのだろう、扉を開けた玄関から、強い雨の音が響いてくる。
「ラジヴィルのご令嬢が来た報告があった」
心配そうなアンガスにマグリットは貴族の笑みを返す。
「はい、閣下との面会をご希望でした。ご不在とお知らせしましたらすぐに帰られましたわ」
「・・不快なことを言われたろう?すまない。まさか乗り込んでくるとは思わなくて」
「いいえ、大丈夫ですわ」
アマリエの言葉が耳に蘇る。
明言はしていなかったが、きっとマグリットがアンガスに薬を持ったことは社交界に知れ渡っているのだ。
「・・リリ、ラジヴィルに何を言われたんだい?」
「いいえ、何も」
マグリットは背筋を伸ばした。
エミリアの教えにあったのだ。
望まれて手を取ったなら相手の負担になってはいけません。家のことを取り仕切り守るのが女性の仕事です。家のことで旦那様を煩わせてはなりません。
主人不在の時の来客対応は女性の仕事です。旦那様の仕事に差支えないことを報告する必要はありません。
アマリエの言葉はすべてマグリットに向けて放たれた言葉だ。アンガスを煩わせてはいけない。それが女性の仕事だ。
アンガスはなにも言わずにじっとマグリットを見つめた。しかし、マグリットが口を開く様子がないのが伺われたのだろう、そうか、と呟くと微笑んだ。
「ラジヴィル公爵には私から連絡を入れておこう。リリはこの屋敷のことを頼む。ああ、気晴らしに街へ行くといい。家令に言っておくよ」
「はい。ありがとうございます」
淑女の礼を取ってマグリットは頭を下げて唇をきつく噛んだ。
また、あなたは私を放って置くのね。