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22.こんどこそ /ベネディクト

可愛い婚約者殿はベネディクトの腕にそっと手を置く。

ベネディクトはその距離がもどかしくて、婚約者であるアリス・グロブナー嬢を振り返り、あいている方の手を彼女の華奢な手の上に置いた。

手袋越しでも分かるほっそりとした手にいとおしさがこみ上げる。

「な、なんですの?」

つん、と澄まして赤い顔をそらせる彼女が可愛らしい。

「羽のように軽いので、きちんとエスコートできているのか不安になりまして。こうしておけば、あなたをきちんと感じられるでしょう?」

「~~~!」

赤くなってうつむく仕草が可愛い。


グロブナー家近くの公園へと散歩に誘い、彼女の歩調に合わせて歩く。婚約してからすぐにベネディクトは国境警備へと赴任したからゆっくり会えたのは久しぶりだった。素直ではない勝気な彼女は口ではきつい言葉をいうが、国境で受け取っていた手紙には細やかな心遣いが随所に見えていて、彼女の人となりの良さを感じた。きつい言葉はやさしさの裏返しなのだ。そしてきつい言葉を吐いたあとで自己嫌悪に落ち込んでいるのもとても可愛い。


「あの演劇を見てきたとか・・私が同伴できればよかったのですが」

ベネディクトはにやけてしまう頬を気力で元に戻し、話題を振ると、アリスはツンと顎をそらせた。

「ええ、兄に連れて行っていただきましたわ。さすがに真顔で拒否した方に無理は言えませんもの」

ベネディクトは苦笑する。


王都では今、アンガスとマグリットの恋の顛末を描いたという演劇が人気を博している。その演劇を一緒に見に行きたいと強請られたのはつい最近だ。


思わず真顔で、断ったのは仕方がないだろう。


友人の恋の話を演劇化した舞台を見に行くのは勘弁してほしい。そんなのを見た日には腹を抱えて笑ってしまい大ひんしゅくを買うだろう。

「もうしわけありませんでした。・・かなり評判がよいのでしょう?」

「ええ!とても素敵でしたわ!特に、最後のシーンは素敵でしたわ・・・。初めはマナーも言葉遣いもたどたどしい主人公のマリーンが努力して素敵な淑女に成長するんですの。そして求婚したアレクシス王子の手を取るんです。アレクシス王子は完璧な婚約者も王位も捨ててマリーンを愛すると宣言するんです」


アリスはうっとりと微笑む。あの夜会の顛末をきっと誰かから聞き及んでいるのだろう。その情景を思い描いているのだろうか。


「・・・それは、すてきですね」

「心にもないことをおしゃらないでくださいな」

アリス嬢はほんの少しだけ口を尖らせた。普段見せない素の顔をベネディクトに見せてくれるようになって、ベネディクトは彼女を抱きしめたくなる。


「でも・・。あれが現実の話を元にしたお話だと知ってしまうと、少し腹立たしく感じますわ」

アリスは、演劇だと美しく感動的ですけれど、と現実を見たような笑顔を浮かべた。

「もし、わたくしが、アレクシス王子の婚約者だとしたらやるせないですもの。それまで努力してきたことを、真実の愛だなんて不確かなもので水の泡にさせられてしまうなんて」

アリスはそっと目を伏せる。


この筋書きはアンガス原案、ギルバート脚本、ソフィア監修だった。だから、ソフィアの立場についてはなにも考えなかったし、終わったあとも、大仕事がようやく終わったという安堵した気持ちしかなかった。しかし、女性の立場からしてみればソフィアの立ち位置というのはかなり厳しい。


ギルバートがソフィアの手を取らなければ。ソフィアが「普通」の貴族令嬢だったら。


本人の心には大きな傷を残すだろう。王子の婚約者から引きずりおろされた、成人を過ぎた令嬢に良い縁談など望めない。良くて後妻、悪ければ妾、貴族の身分にこだわることはできなくなる。それを拒めば、生涯、家の荷物となるか、修道院へ入るか。

この国の女性の地位が低すぎて、どれだけ教養が高くても身分が高ければ高いほど自立は難しい。


「ご心配なさらずとも、私はあなたの手を離したりはしませんよ」

ベネディクトはアリスのアーモンド型の瞳を覗き込む。

「そういうことを言っているのではありませんわ」

アリスはうろたえるようにしてうつむいた。その少し焦った様子がとてもかわいらしい。


二つ年下の彼女はもともとギルバートの婚約者候補だった。勝気な物言いで正論を相手にぶつけ、そのあと、物陰で自己嫌悪に陥っているのを幾度となく見かけていた。


マグリットが男爵令嬢という身分でありながらアンガスの側に侍ることを良しとせず、マグリットにたびたび苦言を呈していたという。それは高位貴族令嬢として当然のこと。自分の中の正義にまっすぐで、たまに暴走してしまうが、それがとても可愛らしく好ましかった。


前の人生でのかつての上官にその背中がダブってみえた。張り切りすぎて空回りして、落ち込んでいた肩をそっと抱きしめるのは自分の役割だったのに。


アリスは口を閉じたベネディクトを見上げた。アーモンド形の勝気な瞳。全然似ていないのにとても似ているあの人を思い出す。重ねているわけではない。一緒に歩けなかった過去を悔いても仕方がない。彼女が全くの別人だということも理解してる。


でも、どうしようもなく惹かれる。いとおしく感じる。


取り戻したいとさえ感じる。その距離を。


ベネディクトがそっと微笑むと、アリスは安堵したように笑った。ふ、と気の抜けた柔らかい笑顔に、抱きしめたい衝動に駆られた。


そっと後ろを確認すると、護衛と侍女は少し離れた所を歩いていた。

まあ、いいか、とベネディクトは開き直った。このくらいのふれあいなら婚約者ならセーフだろう。まあ、往来でというのは少し外聞が悪いかもしれないが。


そんなことを想いながら、ベネディクトは彼女の手から手をはずし、そっと彼女の背に回してゆるく抱きしめる。ベネディクト様!?と焦ったような上ずった彼女の声が可愛い。


甘い百合の香りがする。ぎゅっと力を入れて抱きしめたいが、あまりやりすぎると四方八方からお叱りが飛ぶだろう。


「・・失礼しました。アリス嬢?」

真っ赤な顔でわなわなと震えるアリスの頬をそっと撫でると、ベネディクトさま!と叱られてしまった。ベネディクトは、思わず噴き出して笑ってしまう。

「ああ、あなたはなんて可愛らしんだ。この婚約を受けてくれてありがとう。必ず大切に、幸せにします」

前の生では叶わなかった約束を、ベネディクトは口にする。この生では必ず成し遂げると決意して。

「・・わたくしも、あなたのことをた・・、大切に想っていますっ」

素直ではない彼女の精一杯を受け取って、ベネディクトはたまらずにぎゅっと彼女を抱きしめた。


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