17.王太子 ギルバート・B・アサス・エイク
ギルバートは国境に赴任しているベネディクトからの報告を読んで奥歯を噛み締めた。
隣国から女性が流れついたこと。
その容姿は隣国のものではなく、もっと東方の・・フィアサテジアラムの容貌をしていること。現在は虫の息で意識もなく、助かるかは運に頼るしかないこと。
明記はしていないが、女性が花花であるとベネディクトは伝えたいらしい。そうでもなければ、隣国から女性が流れついただけで報告をあげて来ないだろう。
なんで、今なんだ。
ギルバートは手紙を握りしめ、火をつけた。
立太子してまだ数か月。王城内はいまだ落ち着いたとは言えなかった。
ギルバートの立太子は王も認め、王妃の信頼も厚い。早々にロクスバラ公爵家、スチュアート家の後押しをえて、さらにソフィア・スチュアートとの婚約も整った。
しかし、王の直系ではない、というだけで、自分を排除しようとする勢力がある。王の直系が王籍に存在しないのにも関わらず馬鹿げたことを吐き出す老害たち。
彼らが押すのはさまざまだ。今のところ、アンガスを王位に戻そうとする動きが多い。真実の愛を貫くという愚かな真似をした王のほうが自分たちの思惑通りに御しやすいということだろう。
アンガスは国民に人気が高い。
罪を犯したわけではない。
上手く操れば、王位奪還さえ可能ではないか。
そこまで考えて鼻で笑う。
自ら廃嫡を希望した王子が王位に返り咲く可能性はない。すべて夢想だ。
しかし、と考える。
あの狸たちの中にはそう考える奴もいそうだな。
王叔父であるロイッシュトリア・ハワードの令孫を押す声もある。伯爵位に堕ちたとはいえ今でも王宮内でも発言力が強く、四方八方に影響力が大きいハワードはなるほど王位に相応しいだろう。
しかしその意見は極少数で、ハワード伯爵も一笑に付しているというから呆れる。
ギルバートが自分たちの思惑通りに動かないことをすでにわかっているのだ、あの者たちは。
自分たちの領地の失政や「安さ」だけに目が眩んで、国を壊す危険性のある移民を受け入れようとした自身の愚かさ、世界情勢が目まぐるしく変わっているのに今まで同じぬるま湯に浸かっていたいという危機感のなさを棚にあげ、20年以上も前の10代の若造の頃の失敗をねちねちと攻め続けるその陰険さ。
こんな国滅んでしまってもいいかもしれないと考えることもある。
そんな情勢で、花花と思われる女性が見つかったのは時期が悪すぎた。
アンガスが愚かな真似をするとは思えない。
アンガスを信用していないわけではない。
しかし、花花だと思われる女性はフィアサテジアラム人の可能性が高い。
王太子が変更されたというこの時期にフィアサテジアラム人が流れついた。誰かの策略だと考えたほうが自然だ。
花花はアンガスが快進だとは知らないのだ。知らなければ陥れても心は痛まない。「敵」と認識されているのならなおさらだ。
しかし、アンガスが花花と出会ってしまったら。花花がアンガスと出会ってしまったら。
どのように事態が動くのか予測が付かない。
こちらに上手く転がれば問題はない。花花が見つかった時の計画通りに動けばいいのだから。準備もできている。
しかし、花花がフィアサテジアラム人ならどう転がるのかわからない。花花が何を背負っているのか分からないのだ。
今回の件でアンガスが寛大な処置でおさまったのは、自ら王位継承権を捨て、市井に降りる覚悟でマグリットの手を取ったから。「真実の愛を貫いた」アンガスの人気は国民たちの間でうなぎ上りで、彼らの恋物語を演じた劇まで人気を博している。
その「真実の愛」が嘘偽りだったら?
王家への国民たちの求心力さえも失ってしまうだろう。それはとても危険なことだった。
この国はまだ、「絶対的な存在」が必要だ。
この国の国民はまだ「誰かに導き」がなくてはならない。それは識字率の低さにも現れている。誰かが教えてくれる。だれかが考えてくれる。誰かが何とかしてくれる。貴族すら根底にこんな考えを持っている。
そう考えて居る国民が「絶対的存在」である王を失ったらどうなるか。
国は荒れ、すぐに周辺諸国の手に落ちるだろう。
それは防ぎたかった。せっかく国を統治できる立場を手に入れたのだ、このチャンスを逃したくはない。そして、この国は、父も母も、自分を愛し慈しんでくれた存在達が守り愛してきた国だ。なくしたくはない。
ギルバートはすぐにベネディクトに王都へ戻るように指示を出した。
自分たち、アンガス、ギルバート、ベネディクト、ソフィアが互いに共通の前の生の記憶を保有していると気が付いたのは、直接、顔を合わせた瞬間だった。
ベネディクトが花花と顔を合わせてしまったら。すぐに、ベネディクトが琉揮だと分かったら花花はどう反応する?ベネディクトはごまかせるか?
確実でない方法は取るべきではない。ベネディクトが情に流されないとも限らない。
それなら会わないほうがいい。
花花だと思われる女性は、いつも通り意識が回復し、体力が戻った時点で船に乗せて送り返す。
花花でなくともフィアサテジアラム人かもしれないというだけでこの国におくことはできない。あの国の民は油断がならない。
ごめん、と心のうちで呟く。
思い出すのは快進の隣で穏やかに微笑んでいる彼女の顔。
苦いような、悲しいような罪悪感にギルバートは顔を両の手で覆った。