11・アンガスと母
王妃はアンガスの引きこもる塔にいた。アンガスは微笑みを浮かべて母をもてなす。
「・・・紅茶を淹れるのがうまいのね」
「これから、市井に堕とされる身なれば身の回りのこともすべて自分でやらなければいけませんからね」
アンガスは笑って、王妃の向かい側に腰をおろした。
「本来ならば、隅に控えなければいけないのでしょうけれど、今は親子として話をしても良いでしょうか」
「当たり前よ。私は息子と話をしに来たの。・・ねえ、アンガス。どうしてこんなことを?」
アンガスが笑みを深める。王妃となるべく育てられ、その道を突き進んできた母には分かりえないだろう。
「側妃の顛末を覚えておいでですか?」
王妃は、ええ、と頷く。
「あれを指揮し、白日にさらしたのはギルバートの手柄です」
王妃が唇を固く結ぶ。表情が出ることが少ない王妃のほんのわずかな表情の変化がアンガスには面白く映った。
(カイ!あんたちゃんと花花ちゃんを大事にしてるの?!結婚するのはいいけど、離婚とかは絶対許さないわよ。私たちがこの街にいられなくなるんだからね!)
なぜか、前の母の声が蘇った。表情が豊かで声の大きい人だった。
前の母とは正反対の今生の母。王妃という忙しい立場であるにも関わらず、アンガスに愛情を示してくれた。それ以上に、アルバートに、そしてギルバートに負けるなと重圧を掛けてくれていたが。もし、自分が純粋な「アンガス・アサス・エイク」であれば、重責につぶれていたかもしれない。
「私よりもギルバートの方が王にふさわしい」
「ギルバートを宰相に指名して、腕を揮わせればいいじゃありませんか」
「私に傀儡の王になれと?母上がそれをおっしゃいますか」
「宰相を御してこそ王でしょう」
「その宰相となるギルバートを御すことは私には不可能です」
「それならばもっと力を付けなさい。ソフィアと二人ならばあなただって」
「ソフィアの助けを借りて、ギルバートを御すのですか?宰相は王の片翼。片翼の力だけが強ければ空を飛ぶことは叶わないのです。
今、近隣諸国はフィアサテジアラムからの移民の影響で貧困が進んでいます。すでに叔母上の嫁いだサダルモリスンからは移民を受け入れるように要請が来ていますね。しかし、我が国に移民を受け入れることは国の衰退を意味します。
凡庸な王ではこの局面は乗り切れない。宰相に操られ、王妃の力を借りなければ内政すらままならない王など毒にしかなりません」
アンガスは扇で口元をかくしてしまった王妃を見据える。
「女に逃げたと思われても結構です。私は王となる資質がなかった。そしてその資質は王位継承権を有するギルバードにあった。それだけのこと。
私は王にはなりません」
王妃が扇の根元を持つ手に力を入れたのを見る。幼いころは何かができなければその扇でよく叩かれていたことをふと思い出す。王妃も、側妃と負けず劣らず苛烈な人だ。ソフィアも鞭を貰うことはなかったが、ずいぶんと言葉で貶められたとぼやいていたな、と思い出して笑いがこぼれた。
アンガスの微笑に毒が抜かれたのだろうか。
王妃が、扇を下げた。
「・・王籍からは除かれました。しかし、市井に下がることはありません。自ら王位を捨てたことから謀反の可能性はないと王が判断されました。王城にはいられませんが、しかるべき爵位を賜って、この国のために働くことになるでしょう」
ん?
アンガスは聞き捨てならないことを聞いた。
爵位?働く?ちょっと待って。
「いやいや、いやいやいやいや、私は市井に堕とされてしかるべきです。私はマグリットさえいれば良いのですから、辺境でもどこへなりとも!」
「何を言っているのです。あなたは罪人ではないのですよ?自らこんな所にはいって・・。甘えるのもいい加減になさいね。早く滞っている公務をすべて片付けてしまいなさい。その後、正式に王からの沙汰が下るでしょう」
待って、とアンガスは焦る。働きたくない。働きたくないからこそ、今まで必死に頑張ってきたのだ。不労所得を得る算段ももうついている。そこは是非!是非とも市井に堕としてください。
王妃がこの塔に来て初めて微笑んだ。
「働かない、という選択肢はありません。あなたに掛けた教育をこの後もきちんと接収いたしますよ」
絶望的な「働け」という命令にアンガスはがっくりとうなだれそうになり、気力でこらえた。