狐駅
お待たせしましたー。
ようこそ、F川温泉郷へ。私F川旅館の徳平と申します。
では、お宿までご案内いたしますね。徒歩ですが、ご安心を。気持ちよく歩けるくらいの距離ですから。
あ、お荷物お持ちします……どうぞ、ご遠慮なく! はいはーい!
なんにもない小さな駅でびっくりしませんでしたか。私なんて、生まれて二十年かたこっちですから、逆に街の大きな駅を見ると面喰っちゃって――ああ、お客様、ひいおばあさまがこちらのかた。話に聞いておられた……ああ、そーなんですねー。
駅で碑をごらんになっていましたね。
綺麗でしょう、夕日を受けて五色に光って――。
なんの碑……?
ふふ、達筆な草書って読めませんよねえ。おまけに苔まで生しちゃってますもん。
あれは、文吉狐親子の碑なんですよ。
宿までの退屈しのぎ、お話しましょうか。
こちらF川に汽車が走ったのは明治の御代のころだそうです。ところが、開通するとすぐ、機関士が妙なことを言いだしたんですって。夜、向かいから汽車が突っこんできたって――……当時は単線なんですよ?
昏ぁいところにぽつんと、小さな小さな灯が見えるんです。
で、ぽっぽっ、ぽっぼっ……と音がして、光が近づいてきたかと思うと目の前に汽車がわーっと……慌ててブレーキをかけたら、なーんにもない。幽霊汽車って大騒ぎになったそうですよ。
ですがある日、機関士のひとりが勇気を奮って前から来た幽霊汽車に突っ込んで――って、本当はきっと居眠りでもしてたんですよね、で、すわ衝突かと思えば、汽車はやっぱりぱっと消えて――翌朝、線路には大きな狐の遺体があったんですって。
実はね、ここらの山には、文吉狐っていう一匹の古狐が住んでいたんです。文吉狐は伏見稲荷様からご褒美をもらったっていうような、それは偉い狐で、化け上手で騙し好き。自分の縄張りに現れた「汽車」ってもんをひとつ化かしてやろうと、汽車に化け勝負を仕掛けていたんですよ! でもね、文吉狐は調子に乗る性質だったんです。勝ってる間にやめればいいものを、引きどきを誤るもんだから、最後は可哀想に轢かれてしまって――……。
……ふふ。聞いたことあるぞってお顔ですね。
こんなお話はあちこちにあるんですってね。幽霊汽車、偽汽車――狐だったり、狸だったりで。これ、不思議とみんな同じ筋らしいです。明治。新しい汽車。朝、線路に残る狐や狸の遺体。だから、各地で本当にあったお話じゃなくって、当時流行りだした新聞が物珍しく書きたてた怪談が、いつの間にか、そういえばうちでも……って土着しちゃった、いわゆる都市伝説のはしりなんじゃないかって、そんなふうにいうひともいて…………けどね、他所はそうでも、F川は違うんです。ここは本物。これには続きがあるんですから!
文吉狐にはお徳狐という娘がいたんです。
お徳狐は、父狐の仇を討とうと汽車に化け勝負を挑んだんですよ。
彼女は賢い狐で、汽車を毎日毎日じいっと観察して……そうして、お徳狐はなにに化けたと思います?
彼女は「駅」に化けたんですよ。
駅に化けて、幻の駅に汽車が止まるなり、大きな口をあけて――ぱくん!
汽車は食べられてしまい、お徳は見事父の仇を討ちました。こんこーん!
それで、文吉狐親子を讃えて、あの五色の碑が建ったんですよ。
このお話は「狐駅」っていって、ここいらの子供はみんな知っています。
はーい、お宿に着きました。
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お風呂はいかがでしたか。ここらへんはなんにも、もう湯しか自慢がございませんで。
ああ、ご満足いただけましたか。ご挨拶が前後いたしましたが、私、この部屋の仲居の花溝と申します。ご宿泊の間、なんなと言いつけてくださいませね。では、お布団敷かせていただきますんで。
…………まあ、徳ちゃんったらそんな話を。
あの子、この話が大好きで。ほら、徳平とお徳。お徳狐につい肩入れしちゃうんでしょうねえ。
でも、妙だと思いませんか。
最後ですよ、最後。狐が汽車を食べちまうだなんて。
民話はそんなもんだろうって?
いえね。
あれはね、隠喩。
本当は、川に落ちたんですよ。汽車は。
F川線の下には川が流れていましたでしょう。
いまは空梅雨で水がありませんが、あれ、F川は別名牛河って呼ばれるほど深く荒い川で。
昏い新月の夜、お徳狐は命を張って、その荒れっ川の真んなかの小さな石の上で駅に化けたんです。
夜闇に駅の灯を見た機関士は誘われるようにハンドルを切り――――列車は川へ真っ逆さま!
酷いありさまだったそうです。事故の様子を龍田川に例えた記事もあったそうで。牛河ぞ、からくれなゐに水くくるとは。ええ――みんな…………。
だからあの五色の碑は、川で亡くなった乗員乗客たちの慰霊碑なんでございます。
まあ、狐の勝ちといえば勝ちなんでしょうねえ。
え? 機関士も亡くなったなら、どうしてこんな話が伝わっているかって――?
…………野暮を仰いますね。いえ、都会のお客様にはおわかりにならないのでしょうね。
こんな田舎で、やれ機関士の責任だ、工事の責任だ、なんて言えましょうか。
同胞で石を投げあうような真似、できましょうか。
狐の仕業。
そうしておくのがいちばん角が立たないのでございますよ。
汽車が川に落ちたとき、お徳狐も流れに飲まれ、死んだと聞いております。
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はあ……花溝さんったらそんなふうに。
参ったなあ。お客さんを怖がらせてどうするんだか――はあ、意外とこういう話はお好きで。はは。
あ、窓を閉めてもらえますか。このへんね、山んなかだから。窓を開けてると虫が飛び込んできちゃう。顔にオニヤンマなんて張りついたらぞっとしないでしょう。……お暑いなら、エアコンの温度下げますよ。古い車ですが、結構効くんですよ、エアコンは。
まあ、幽霊汽車の話はね……。
空軍とUFOの話って聞いたことありません?
戦闘機のパイロットがね、いもしない航空機や火の玉……つまりは未確認飛行物体を見たりっていう。あとでレーダーを見ても、なぁんにも飛んでないのに……って。あれ、科学的に説明がつくらしいですね。長い時間、限られたスペースでひとつの作業に従事するような、刺激の乏しい状態、感覚が遮断された状態になると、ひとの知覚は異常をきたして、ありもしないものを見聞きするんだそうですよ。ちょっとわかりません? 夜、真っ暗な部屋の片隅で白いものが動いた、ような気がする、みたいな……。レーダー技師や長距離トラックの運転手にも同じようなことが起こるらしいです。
ね、幽霊汽車――あれも感覚遮断による異常知覚だと考えられませんか? 昔の汽車の機関室なんてきっと狭かったでしょう。狭い機関室で窓の外は真っ暗な山々、聞こえるのはぼっぼっぼっぼって汽車の音だけで――……。
まあ、これは僕がふわふわとつなぎあわせた、根拠のない説なんですが。
つまらなさそうですね。ふふ、こんな種明かしは望まれない。
お客様は、ひいおばあさまがこちらのかたと仰ってましたか。
なら、実は真相を聞かれたことがあるんじゃありませんか。
ご存じない――。
なら、遠い同郷のご縁。
駅に着くまで、本当の話をお話しましょうか。
あれはね、例え話です。
昔話ってもんは、話せないことを話すもんです。
文吉は渡しだったんですよ。渡し――渡し船の乗り手。
汽車が走るより前は、ここらで速いものといえば舟でね。文吉は腕のいい渡しで、流れが荒くても文吉の舟の上なら字が書けたっていうぐらい。それは稼いでいたそうです。でも、汽車が走るようになってお客を汽車に取られてしまって…………呑んで、呑まれて、荒んでね。ほかの渡しは職を変えましたが、文吉は腕が良すぎた。意地やプライドもあったんでしょう。とかく引きどきを誤った。落ちぶれた文吉を周りは助けてやりませんでした。折しも時代は好景気、F川も汽車が来て好景気。転んだ者を振りかえるなんて、先に進むが勝ちってさ。
お徳は文吉の一人娘でした。呑んだくれて弱った文吉を見たお徳は、あの憎い汽車さえなければ、また渡りが栄え、父が元に戻ると考えたんでしょう。月のない夜に、漬物石を抱えてとぼとぼ――――置き石を、線路にね――――幸い、死者は出なかったものの、怪我人は多く出たそうです。二度と歩けなくなったひともいたとか。
僕はね、お徳はちょっと脅かすつもりだったんだと思いますよ。ちょっとがたんと揺れれば、みんなやっぱり文吉の舟のほうがいいやってなるってね。いくら子供の浅知恵といっても、子供の浅知恵だからこそ――。
汽車転覆罪はいまも昔も重罪です。子供であっても、なんらかの処罰、措置はあったんでしょう。お徳はそのままどこかに行って、ついに戻ってこなかったと聞いています。文吉も事故のあと、すぐにいなくなりました。
僕たちの恥の記憶です。F川の同胞である文吉もお徳も助けられなかった恥。とても語り継げませんが、忘れることもできません。
だから、文吉狐の話が作られたんでしょう。
鉄道敷設のため、住処を追った狐たちへの後ろめたさもあいまって。
話のなかでは、お徳の勝ち。狐の勝ち。
昔、昔の話ですよ。いまはもう、なあんにも――ひともいなくなりましたもん。医療技術の進歩ってすごいですもんねえ、はは、もうみんな湯治より先に病院、病院。湯治客も減って、旅館も減って、F川に残ってるのも僕らぐらいのもんで――それでも、ここに駅がありました、F川線ってのがありましたって、あの廃線の碑をね、駅前、ああいや、元駅前にね……昭和の終わり、平成の頭だったかなあ。ちょっとしたセレモニーを覚えていますよ。五色の碑がきらきら光って綺麗でね、あの廃線の日がF川最後のハレの日だったかもしれません。
だからお客さんにはご不便をおかけして――まあ、でもね、こうして宿の最寄り駅までは車で送り迎えいたしますんで。ちょっと遠いですが、ドライブとでも思っていただければ。ええ。広くていい駅だったでしょう、新幹線も停まって。そちらからお越しになるには、わりに便利なんじゃないですか。
え? じゃあ、自分の下りたあの駅はなんだったのかって。
小さな駅で列車を下りて、そこで碑を見ながら迎えを待っていた――……。
ああ、そうだ……はは、そうだっけな。しくじったな、まだ気づかれちゃいけねえのに。
僕はどうにも調子に乗り過ぎて――引きどきを誤る。
はは――狐駅、狐駅。
ああ、ここが駅ですよ。
その階段上がってすぐ右が新幹線乗り場ですから。いまお荷物下ろします。
これに懲りず、またいつでもF川に遊びにいらしてください。
僕もお徳も、歓迎しますんで。
***
文吉狐が死んだ後、手下の狐たちはてんでちりぢりになっちまって。
強い狐たちは、遠く遠く白菊狐や九鬼の大狐んところまで駆けて――ほら、あそこの狐も位が高いからね、そっちに仕えたってさ。で、残りの狐は野狐になって、化かすはひとに憑くはもうさんざん。でもね、F川線の切符をポッケに入れていると、あの文吉親分に勝った汽車の仲間だって、化かされなかったって話。
なもんで、このF川線の切符はほかの廃線切符に比べて相場がお高い。
この値段で出るなんてめったにないよ。どうだい、縁起もんでひとつ。