ep.2 平民クラス
赤銅色の髪とアンバーの瞳。そばかすひとつない滑らかな肌と、程よく肉のついた体を覆う糊のきいた学生服。しゃんと伸びた背筋は貴族らしい威厳を放っていたが、こと少女に限っては、むしろそれが周りをより敬遠させているのかもしれなかった。
──これは完全に、浮いている。
始業の時間が近づき、学生たちの姿も増えて賑わいを見せていた。そんな平民クラスの教室にて、教壇にほど近い座席に座ったカメリアは、教室じゅうの視線が自分に注がれているのを感じながら、軽くこめかみを揉んだ。
先ほどからひそひそと生徒たちが交わしている会話を盗み聞いて、察するに、元々カメリアは貴族主義グループのリーダー格として、平民クラスの中でも有名であったようだ。こたびの移籍に関しても様々な噂が飛び交っている。
アイリス嬢の自室を毒ヘビでいっぱいにしただとか。
(毒ヘビの毒を盛ろうとしたことはある。)
薬で蜘蛛に変身し殿下を糸でぐるぐる巻きにしただとか。
(猫に変身してクロウの部屋へ入り込んだことはある。)
アイリス嬢の学生服や教材を燃やしてその火で焼き芋を作っただとか。
(これは本当。)
カメリアの正体は実は八つ目の醜い魔物であるとか……。
(転生先が人間であっただけ、ありがたく思おう。)
そんな数々の悪事がとうとうクロウ王子の逆鱗に触れて、貴族クラスを追放されたのだ──というのが、皆の主な見解であるらしい。
クロウは学術院のルールに則って、院長に訴えを出すことはしなかったのだが。アデュレリア家の事情を皆が知る由もないので、そう考えるのは致し方ないことだ。
そういうわけで、クラスメイトたちは嫌悪であったり、畏怖であったり、とにかくありとあらゆる負の感情をカメリアへ抱いているのが見て取れた。ただでさえ、平民と貴族の間には埋めようのない溝が横たわっているというのに。
遠巻きに見ているだけで、話しかけてこようとさえしないのは、変に反感を買って自分が第二のアイリスになるのが嫌だからだろう。
(いっそ面と向かって喧嘩売ってくれたほうが、まだやりようがあるんだけど……。)
番長への第一歩として、まずはクラスのトップを目指そうか──なんて思っていたが、一歩目から暗雲が漂い始めている。
ここにいるクラスメイトたちを、恐怖のどん底へ叩き落すのは容易だろう。しかし、恐怖政治が長く続いた試しはない。ヤンキー漫画の主人公たちだって、恐怖とは無縁であったように思う。出来ればもっと皆が納得の行く形で、カメリアをトップとして認めてもらいたい。
(あとシンプルに教室の隅でぼっちは堪える!!)
現実世界では人並みに友人もいたので、昼食に誘える人が誰もいないというのは、地味にキツかった。
そういえば、カメリアという少女には友人らしい友人がいない。よくもまあ、この17年間孤独に負けず生きてこられたものだ。
さて、どうしたものか。頬杖をついて唸る。
「おい、貧乏人! 大事そうになに抱えてんだ?」
皆がカメリアについてひそひそと小声で話していたせいで、その声は一際目立った。
振り返って見てみると、教室の入り口付近で数人の学生が何やら揉めているようだった。
先ほど声を発したのは、老け顔でガタイの良い青年。その周りにいる数人は、おそらく彼の取り巻きといったところだろう。カメリアに負けず劣らずな小悪党オーラを醸し出している。
彼らに囲まれているのは、線が細くひょろっとしたそばかす顔の青年だった。
そのいかにもな構図を、周りの生徒たちは止める気配がない。日常茶飯事であるのだろう。
「あっ、やめてよ! 返してくれ!」
老け顔のいじめっ子は、そばかす顔の青年から何かを奪い取ったようだった。
取り返そうと手を伸ばす青年の顔は、端から見ても必死そのもので、奪われたものはよほど大切なものだったことが知れる。けれど、相手が必死にもがけばもがくほど、いじめる側は楽しくなってくるものなのだ。
「うるせぇ、触るな! 牛糞の臭いがつくだろ!」
いじめっ子は笑いを堪えながら青年を突き飛ばす。青年は無様に床へ尻をつき、抱えていた教材があたりに散らばった。取り巻きたちが耐えきれないといった様子で噴き出す。
(なんだか見たことある光景だなあ……。)
いじめの現場を眺めながら、カメリアは自分がアイリスをいじめまくっていた日々を思い出した。今となっては恥ずかしい思い出だ。
しかし、まさか平民の中でもいじめがあったとは。貴族が平民をいびっているところはごまんと見てきたが、平民が平民をいじめている現場は初めて見た。
「っ……返してよ、お願いだから……!」
そばかすの青年が、老け顔の彼の足を掴んで懇願する。あの体格差では、とても勝ち目はなさそうだ。いじめている側も、それが分かっているのだろう。にたりと口角を上げて、彼からとりあげたもの──紙だろうか──をぐしゃりと握りつぶした。
「返してぇ〜って女みてーな声でオネガイするだけか? 返して欲しけりゃ男を見せろよ! なぁ、フェンリル!」
そばかす青年──フェンリルは、ぐしゃぐしゃになった紙を見上げ、焦りと困惑をその灰色の瞳に滲ませる。
「お、男を見せるたって……一体どうやって……。」
「そうだなあ。……夜闇の塔に行って、禁書の一冊でもとって来れたら認めてやるよ。こいつも返す。どうだ? ん?」
ひらひらとフェンリルの頭上で紙を揺らして、いじめっ子の青年は下卑た笑みを浮かべた。”夜闇の塔”という単語を聞いたフェンリルは、顔を真っ青にして固まっている。
一方、取り巻きたちは大いに盛り上がり「いいねそれ!」「うへー! やべえな!」「がんばれよ、フェンリルちゃん!」と手を叩いて喜んでいる。
(──夜闇の塔? ってなんだっけ。聞き覚えはあるような……。)
聞き耳を立てていたカメリアは、首をひねる。誰かに聞こうにも、半径二メートル以内に人がいなかったので聞けなかった。そんなに距離を置かなくても良いのに。
「おい、出入口で何してんだ。授業始めるぞー。」
そうこうしているうちに、歴史学担当のシャリーベイが教室へ入ってきた。
いじめっ子とその取り巻きは、教師が入ってきた瞬間にさっと身を翻して自分の席に座っていた。大人に対して良い顔をするところも、以前のカメリアに似ている。呆れを通り越して感心してしまう。フェンリルという青年も、よろよろしつつ席につくのが見えた。その表情は、まだ暗い。
夜闇の塔について、どうにか思い出そうとうんうん唸っているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
***
結局、放課後まで唸り続けても思い出せなかった。
だから代わりに、カメリアは”彼”を探すことにした。
──校舎の壁がすっかり夕焼け色に染まる頃。中庭のベンチで項垂れている姿を見つけて、背後から声をかける。
「こんにちは! フェンリルくん!」
「え? ………うわあっ! か、か、カメリア様……!!」
フェンリルは振り返り、声をかけてきた人物の姿を認めると、ベンチから勢い良く飛び上がった。まるで化け物でも見たかのような反応だ。命だけは……!と助命を乞う声まで聞こえてきそうである。肉食獣にでもなった気分だと思いながら、カメリアはさくさくと芝生を踏んで青年へ近寄る。すると彼もその分後ろへ退がった。
「………別にとって食いはしないわよ……。」
「あ、いや、その……だっておれの名前……。」
「ああ。」
一度も言葉を交わしたことのない人間が、自分の名前を知っていればそりゃあ驚くか。
カメリアの名前は学術院中に知れ渡っているので、感覚が麻痺してしまっていた。
「朝、揉めてたでしょ。あんだけ騒いでたら嫌でも聞こえるわ。」
「ひっ、す、すみません……! もう二度とカメリア様に不快な思いはさせませんから……!」
「えっ。」
頭を下げて謝ったかと思えば、彼はすぐさま踵を返し脱兎の勢いで走り出した。
「ちょっ、話を聞き──な、さい!!」
だがしかし、突発的な出来事に対する対応能力は、カメリアの方が上だ。
常備していたカメリア特製チョウスベールの瓶──端的に言えばローションの上位互換──を彼の足元めがけて投げつける。すると相手はまるで氷を踏んだかのように、それはもう派手につるんっと滑って転倒した。
「フェンリル! だ、大丈夫……?」
「死んだ祖母が……見えました……。」
この魔薬を作ったのは記憶を取り戻す前のカメリアだったが、ちょっぴり心が痛くなった。
「……あ、あのね。人の話を聞く前に逃げようとするからそうなるのよ!」
「あなたのような……こわ…高貴なお人が、おれに一体どんな話があるって言うんですか……。」
今一瞬言葉を選んだな。怖い人って言おうとしたな。
カメリアはごほん!とわざとらしく咳払いをする。そして青年の顔が見える位置まで近づいて、倒れたままの彼へ手を差し出した。
フェンリルは状況が飲み込めないといった顔で、カメリアを見上げている。
「わたし、平民クラスをシメたいの。そのために協力しなさい!」
「…………はい……?」
「夜闇の塔へ行って、男を見せなきゃいけないんでしょう? わたしも一緒に行ってあげるから、その代わりにわたしの舎弟になってちょうだい。」
「しゃ、しゃてい……?」
まずは地道に、仲間を集めるところから始めようとカメリアは考えた。
その一人目を目の前の彼に決めたのは、”夜闇の塔”が気になったからというのもあるけれど。
「あなたも大切な物を守るために、戦わなくっちゃ!」
この貧弱な青年が、あのいじめっ子たちをぎゃふんと言わせるところが見てみたかったから。
「……!」
フェンリルは目を見開いて息を飲む。侯爵令嬢なんて、本来なら一生涯言葉を交わす機会なんてないはずの、雲の上の存在だ。同じクラスになったからって、それは変わらないと思っていた。特に、自分のような人間とは。
フェンリルは平民の中でも、土地を持たず、家畜の放牧を生業としながら放浪生活を送る牧人の出であった。学術院に通っている平民のほとんどは、土地持ちで、子供を学術院に通わせる余裕のある家の出であるため、フェンリルのような存在は異質だった。フェンリル自身も、場違いなところにいるとわかっていたし、皆と仲良くなれるはずもないと諦めていた。自分に向けられる言葉は、悪意のあるものばかりだ。ここには自分の味方なんていない。
──ましてや、「共に戦おう」と手を差し伸べる人なんて。
「ほーらー! いつまで悩んでるのよ! 手が疲れてきたんだけどお!?」
「あっ、はい! すみません!」
弾かれたように我に返り、とっさに少女の手を掴んでしまう。
少女はためらいもなくその手を握り返して、ぐっと力を込めて引き上げた。
あまりにもあっけない一連の流れに、立ち上がった青年はしばしぽかんと口を開けて固まっていた。
カメリアは、そんな青年を見てくしゃりと笑う。
「変な顔ね。」