ビリビリする
ふと、ジュピターが絶叫をやめた。
満足したのだろうか?
いや、そいつは発電機から離れ、こちらをうかがうような姿勢になった。
「誰だ? 誰かいるのか? いるのかオラァ!? 出てこい! 電気浴びてる最中だぞ! ちょっとは考えろこの野郎!」
気づかれたようだ。
まあいい。
こっちは銃を持ってるんだ。
俺は両手で銃を構え、男に狙いをつけた。ひとまず発電機から離れてくれたが、ほかにもたくさんの発電機がある。いま撃つと後ろのに当たる。
撃ちたい。
なのに撃つとどうなるか分からない。火災が起こるだけならまだしも、爆発なんて起きたら、俺たちは全滅だ。
ジュピターは、するとふたたび発電機にしがみついた。
「なーんちゃって! また電気! マジギレからの電気! はっ! 電気!」
こいつ、空気に向かってキレてたのか。マジモンの病気だな。
さて、どうしたものか。
発電機に当てないようにするには、位置取りに注意せねばならない。なのに発電機やその補助機材だらけで、思うように射線が確保できない。
もし発砲するなら、発電機の少ない階段側までおびき寄せてからにしたいところだが。
背後から鐘捲雛子が声をかけてきた。
「撃たないの?」
「ここからじゃ発電機に当たる」
「私が引きつけようか?」
「できる? なら階段側まで誘導して欲しいんだけど」
「任せて」
本人のやる気は十分。とはいえ、しかし心配だ。
彼女の腕は信用しているのだが、いまだ敵の「素質」が分からない。ただの人間でないのは確実。あれだけ電気を吸収しているのだから、電気を使った攻撃をしてくる可能性だってある。
「気をつけて」
「分かってる。階段についたら音で合図して。すぐに仕掛けるから」
かくしてその場を鐘捲雛子に任せ、俺たちはそっと階段側まで引き返した。
床がびしゃびしゃで歩くたび音がするが、発電機がうるさいため、敵に気づかれることはなかった。
餅が後ろからつついてきた。
「私にできることはある?」
「そばにいてくれ」
「分かったわ」
今回は静かにしていてもらいたい。もとは彼女も変異体なのだから、戦力にはなるはずなのだが。まあ切り札ということで。
俺たちはポジションについた。そして合図のため、銃のグリップで金属板を叩いた。ゴーンと音がした。
思いのほか大きな音だったから、きっと彼女にも聞こえたことだろう。
ややすると、奥から男の怒号が響いた。
そして激しい物音。
ガシャーンとなにかをひっくり返すような音もする。かなり派手にやりあっているようだ。相手は素手のはずだから、刀を手にした鐘捲雛子が押されるとは思えないのだが。
「おいこらぁ! 俺は哀しいぞぉう! そんなにコソコソして、俺の電気を盗もうとするなんて! 電気はみんなのもの! でも俺のもの! 分かるか! 分かるかオラァ!」
濡れた床の上を、ぐったりとした鐘捲雛子が滑ってきた。まるで糸の切れた人形のようだ。
まさか、殺されたのか?
俺は彼女の来た方向へ銃を向けた。霧が深くてなにも見えないが、ジュピターもそちらから来るはずだ。かと思うと、背後から、息が止まるほど強烈な打撃が来た。自分でも信じられないほどのけぞりながら、俺は床の上を転がった。
二秒ほど気絶していたかもしれない。
俺は床の汚水から顔をあげ、状況を再確認した。銃はどこかで落としたらしい。振り返ろうとして、全身が激痛でこわばっていることに気づいた。気持ち悪くなって胃液を吐いた。
あいつ、いつの間に背後に回り込んだんだ? 並の身体能力じゃない。
「きゃあっ」
餅の悲鳴が聞こえた。
男の声も。
「お前たち、なんなんだ? え? 分かってんのか? ここはデートスポットじゃないんだぞ? 電気を発電する場所。いわば発電所だ。分かるか? え、おい?」
「離してっ」
「謝罪が先! 謝れコラ! 俺は女子供でも容赦しねーからな?」
どうしたんだ、餅。お前は強靭な生命力を持っていたはずだろう。なぜ反撃しない? それとも、あの男が馬鹿力なのか? まあ人間を何メートルもぶっ飛ばすようなヤツだし、普通じゃないのは間違いないが。
「待って、痛いからっ」
「許して欲しかったら謝れよ。お兄さんの電気の邪魔をしてごめんなさいってな。言えオラァ!」
「ぎひっ」
鈍い音がした。
あいつ、殴ったのか、無抵抗の餅を……。
これまでいろんなクソを見てきたが、こいつはひときわクソらしいクソだ。許せそうにない。ハッキリ言って体中痛すぎるし、寝ていたいし、隙あらば逃げ出したいところだが、いまはそれらを怒りが上回った。
少しばかり壊れても構わないという気持ちで、俺は強制的に自分の体を起こした。筋が、いまはそっちに引っ張るなと言っている。が、関係ない。黙って寝ていたら、もっと酷い気分になる。
足を引きずりながら、声のほうへ進んだ。駆け足すれば数秒の距離かもしれないが、いまはうんざりするほどの遠さに感じられた。
水をバシャバシャ引きずりながら進むと、シルエットが見えてきた。
男の筋肉で盛り上がった背が見える。そしてしゃがみ込んでいる人影も。
こちらに気づいているのかいないのか、ヤツはずっと背を向けたままだ。俺にとっては好都合だが。
俺は握り拳にあらん限りの力を込めた。
後ろから全力でぶん殴ってやる。卑怯なんて言うなよ。自分だって後ろから仕掛けてきたんだからな。
などと拳を振り上げた瞬間、ジュピターがゆらりと体勢を変えた。まさかこいつ、後ろが見えているのか……。
俺もつられてバランスを崩し、なんとか振るった拳も空を切ってしまった。そのままみっともなく床へダイブ。
情けない。
たった一発ぶん殴られて、もう戦闘不能なんだから。
俺は水びたしになりながら、そしてなぜか一緒に倒れ込んだジュピターを睨みつけた。すでに死んでいるように見える。見間違いでなければ、だけど……。
餅がこちらへ近づいてきた。
「あら、白馬の王子さまのご到着?」
「完璧なヘッドスライディングだったろ? 怪我はないか?」
「ええ、おかげさまで。それより、あなたこそ大丈夫なの?」
「いや、正直大丈夫じゃない……」
餅はノーダメージに見える。血まみれなのは、おそらくジュピターの返り血であろう。見ると、死体の腕は噛みちぎられていた。
餅は肩をすくめた。
「こいつの腕、ビリビリしていてちっともおいしくないわね。電気ばっかり浴びてるせいかしら」
これじゃあどっちが助けられたのか分かったもんじゃないな。
だがこれで安心している場合じゃない。
「鐘捲さんは?」
「生きてるわ。気絶してるだけ」
「ならいい」
ひとまず事件解決だ。
とんでもないクソ仕事だった。
白坂太一がおずおずとやってきた。
「あの、じゃあ、ひとまず交換作業してきます。終わったらすぐ下へ向かいましょう」
「頼んだ」
技術担当が無事なのはなによりだ。役割を分担しておいてよかった。贅沢を言えば、医療も担当してくれると嬉しいんだが。
混濁する意識の中、しばらく呼吸に専念していると、白坂太一が戻ってきた。
「終わりました。歩けます? ムリそうなら別の手段を考えますけど……」
「いや、大丈夫。俺のことはいいから、鐘捲さんを頼む」
「はい」
とは言ったものの、さっきは立ち上がれたのに、いまはしばらく体を動かせそうもなかった。また同程度の怒りが湧けば動けるかもしれないが。
餅が目の前にしゃがみこんだ。
「いいわ。寝てて。ずっとここで見守っててあげるから」
「ありがとう」
正直、急激に体が弛緩したせいか、強い眠気に襲われていた。あるいは気絶するのかもしれない。
餅に頭をなでられて、俺はふっと意識の遠のくのを感じた。
*
夢を見た。
いや、実際に夢かどうかは分からないが。
少なくとも現実の世界ではない。
空はない。というか宇宙空間だ。四方にミニチュアの惑星が配置されている。
足元には、やはりミニチュアのような地球。
そこへ椅子を起き、俺はマネキンのような女と向き合っていた。
マネキンのような女――。体毛はなく、肌は白い。研究所で生み出された「オメガ種」という変異体だ。
俺の記憶違いでなければ、見知った個体だった。自称大統領。あるいはテオと呼ばれていた。「テオ」はナワトル語で「神」の意味。しかしじつのところ、彼女は大統領でも神でもなかった。
テオは無言のまま、ガラス玉のような瞳でこちらを見つめている。
久しぶりすぎて、なにを話したらいいのか分からないでいるのだろうか。いや、そんなタマじゃないはずだ。
「あんた、誰だ?」
「……」
答えない。
かと思うと、いきなり髪を伸ばし、やや幼い顔立ちへと変貌した。
これは五代まゆ。いや、そのクローンの少女かもしれない。餅ともよく似た顔をしている。研究の犠牲になった哀れな遺伝子だ。
少女は口を動かそうとするが、まったく声が出てこない。
「なんだ? なにが言いたい?」
「……」
かと思うと、彼女はいきなりぶくぶくと膨張し、肉片を撒き散らして木っ端微塵に爆発した。
俺の楽しい思い出を再演してくれているつもりだろうか。もしそうなら、残念だが余計なお世話だ。
俺はかかとで地面を蹴った。
「お人形遊びはやめて出てこいよ。どうせいつもの黒いヤツだろ」
しかし地面からの反応はない。
代わりに、上から光が降ってきた。人じゃない。球体だ。例の紫色の波形を内包したサイキウム。そいつは紫を激しく波打たせながら、くるくると回転した。言語を有していないのだろうか。
すると、なにもない空間から、ふっと餅が現れた。
「あら、ずいぶん混沌としてるわね」
もちろん人間の姿だ。黒いドレスを身にまとっている。以前のつぶれた餅の姿ではない。
俺の看病ついでに、夢の中に参加してくれたらしい。
「なにが起きてるのか俺にも分からない」
「あの球体、たぶんクイーンでしょ。早くあなたに会いたいみたい」
「考えが読めるのか?」
「なんとなくね」
「じゃあこう伝えてくれないか。各フロアの調査が終わらないと、四十五階まで行けないって」
「大丈夫よ。いまので通じてるわ」
それが事実かどうかは分からないが、球体はひときわ高速で回転し、ヒュンといずこかへ飛び去った。用はもう済んだ、ということか。
餅はふわりと大地へ降り立ち、向かいの席に腰をおろした。
「寂しい場所ね。花も咲いてない」
「彼女、いつも君たちの楽園を破壊するんだ」
「知ってる。素直に混ざりたいって言えばいいのに」
意外だな。餅は、以前からクイーンの存在を認知してたってことなのか。
「彼女は何者なんだ?」
「さあ。たぶん遠い親戚なんだと思うけど。話したことないからよく分からないわ。興味もないし」
「そう言わないでくれ。こっちは毎晩のように安眠妨害されてるんだから」
「大丈夫よ。これからは安眠できるように、毎晩私が添い寝してあげるから。あの女が邪魔してきても平気」
いつもなら笑って聞き流すところだが、このところの睡眠不足は、俺にとって深刻な問題となっていた。藁にでもすがりたい思いなのだ。餅にだってすがる。
「助かるよ。頼れるの、もう君しかいないんだ」
「ええ。いくらでも頼って頂戴。お尻は貸せないけれど、添い寝ならいくらでもしてあげるから」
もうケツの話は忘れてくれ……。
(続く)