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ノーベル賞

 調査を始め、ポイントCへ向かったところで、長蛇の列に遭遇した。

 行列のできるラーメン屋でもあるのだろうか。痩せこけた男たちが、ギラついた目つきで順番を待っている。女性や子供の姿はない。

 すると後ろから来た男が、俺たちをジロジロと見た。

「並んでる?」

「いえ、どうぞ」

 手で促すと、彼は不快そうに顔をしかめた。

「女連れかよ……」

 仕事だバカヤロウ。

 しかし弾がもったいないので黙っておこう。

 代わりに、俺は情報を徴収することにした。

「なんの列なんです?」

「は? 知らねーの? ヴィーナスさんだよ」

 イヤな予感がした。

 というより、これは予感ではなく、確信だ。彼らはヴィーナスに相手をしてもらうために並んでいる。殺されるとか言ってたクセに。よくよく見ると、最初に泣きついてきた男もだいぶ前のほうに並んでいた。ただの自殺志願者だったか。


 計測器を手にした白坂太一が、渋い表情を浮かべた。

「すでにレベル3まであがってます。近づくともっとあがるかも。正しいデータ取れるかな」

 列の先までだいぶ距離があるというのにレベル3ということは、近づけばもっと影響を受けるということだ。

 誰か特定の人物がいるだけで数値が変わってくる、ということになると、計測された値の信憑性に疑義が生じかねない。妙な数値が出て、あとで客に問い詰められるのも面倒だ。


 ふと、鐘捲雛子がぞわぞわと身を震わせた。

「ごめん、なんか変な感じする。私、ここで待っててもいい?」

 本能的な直感なのか、あるいは波を感じたのかは不明だが、彼女の判断はおそらく正しい。

 俺は白坂太一から計測器を受け取った。

「俺が計測してくるから、みんなは待ってて。また昨日みたいなことになったら大変だし」

 わざわざ苦手な人間を突っ込ませることはない。分担できる作業なら、得意なヤツがやればいい。


 列を横目に、俺はポイントCを目指した。

 ただ歩いているだけなのに、男たちがやたら不快そうな目で俺を見てくる。列に割り込むつもりなんてないのに、ずいぶんな敵対心だ。

 いや、ヤツらが不快に思っているのは俺ではなかった。原因は、後ろからひょこひょこついてくる餅だ。ガキがここになんの用だ、という非難の目だった。

 俺もやむをえず振り返った。

「なんでついてくるの? あっちで待ってなよ」

「なんで? サイキック・ウェーブなら私も使えるわ。あなたより上手よ?」

「そうじゃない。ひとりで計測したいんだ」

「ウソ。絶対えっちなこと考えてる」

「考えてない」

 サイキック・ウェーブは、相手の意識をオーバーライトすることができる。しかし心を読むことはできない。言うなれば「声」のようなものだ。みずから発信することはできるが、他人が発信していないものを勝手に受信することはできない。

 よって餅が俺の心を読むことはできない。

 えっちなことを考えているかどうかは、俺にしか分からないはずだ。


 幸い、計測ポイントはヴィーナスの自宅から若干ズレていた。

 俺は波から脳を守りつつ、手にした計測器を確認した。

 さっき計測したポイントAもBもレベル2だったのに、ここだけレベル6だ。干渉を受けているのは確実。

 餅が後ろから覗き込んできた。

「どう?」

「6だって。このままデータ取っていいのかな」

「中の人に言って波を止めてもらえば?」

「いやぁ……」

 俺はヴィーナス宅へ目を向けた。

 いま中に入ったら、かなりアレなことになってるはず。なにせ、出てきた男たちは皆ゲッソリ顔ながらも、かなりホクホクしていた。俺も業務時間外だったら列に並びたいところだ。

 餅はきょとんとしていた。

「なんで? 聞けばいいじゃない?」

「いや、いい。このままデータを取る。GPSの位置はあってるんだし、上も文句言わんでしょ。こっちはオーダー通りの仕事してるんだし。えーと、どのボタンだったかな……」

 白坂太一に操作を任せっきりだったから、どのボタンがどんな機能なのか、パッと分からなかった。話によると、アホでも使えるようになっているはずなのだが。

 などと横から後ろから計測器を眺めていると、行列から「おお」と声があがった。

「ヴィーナスさまだ」

「やべーな、今日もお美しいぞ」

 口々にクソみたいな感想が出た。

 振り返ると、腰まである髪を身体に絡みつけた半裸の女が、ドアから顔を覗かせているところだった。あきらかにこちらを見ている。気だるげで妖艶な瞳だ。

 俺はしかし目が合わなかったフリをして、計測器の確認を続けた。あの手の人間に絡まれるとロクなことがない。

「ねえ、中で話さない?」

「いえ、結構。仕事中なんで」

「いいわね、そういう頑固なところ。私、そういう男に弱いの。ほら、入って? ちょっとお話ししない? ダメ? あんまり焦らされると、頭と体がどうにかなっちゃうかも……」

 言いながら、彼女は先客を手で追い出した。

 行列の男たちが鋭い眼光でこちらを睨みつけてくる。俺がここで粘っていると、いつまでも列が進まないと言いたいのであろう。どうしようもないクソどもだ。自分のことしか考えていない。とはいえ、俺も列に並んでいたら、同じことを考えていたと思う。

「分かったよ。少し話をするだけなら」

「少し、ね」

 口元に含みのある笑みを浮かべ、彼女はドアを開け放った。


 餅もついてきた。

 室内には芳香剤や消臭剤も置かれているし、香も焚かれているのだが、ごまかしきれない汗のにおいがむっと満ちていた。場末ってのはこれだから。

 俺が腰をおろすと、彼女はすっとドアを閉めた。

「ご用ってのは?」

「あなたと交わりたいの」

 誘惑するような目で、しれっとそんなことを言う。

 餅は無表情だ。マネキンみたいになっている。どういう感情なのかまったく読めない。

「いま、勤務中なんだけど……」

 すると彼女は、かすかに吐息を漏らした。笑ったのだろう。

「ううん、いいの。私じゃなから」

「えっ?」

「上にいる彼女が、あなたと深く交わりたいんだそうよ。どろどろに溶け合うくらいにね」

 ぺろりと舌なめずり。

 彼女はクイーンによって「淫蕩」の感情が強化されているようだ。波がビシビシ来ている。

 思考を上書きされるほどではないが、彼女が仕掛けてこようとしているものは、こちらへも映像ヴィジョンとして伝わってくる。とにかくヤりたいらしい。せめて自由時間なら俺だって……。

「上にいる彼女ってのは? 何者なんだ?」

「知りたい?」

「もちろん」

「んー、どうしよっかなぁ……」

 いちいちもったいつけやがって。いくら波を防げるからといって、理性のほうはそうそうもたんぞ。俺は自分でも否定しきれないほどのクソザコだからな。いまだって仰向けになってワンワンしたいのを必死に堪えているところだ。ここを出たら世界は俺にノーベル平和賞を与えるといい。

「教える気がないのならムリに聞きたくない。これで失礼する」

「クイーンよ」

「それは分かってる」

「あら、ずいぶん敏感なのね。じゃあもう全部知ってるんじゃない?」

「なぜヴィーナスなんだ?」

「グランドクロスって知ってる? 四つの惑星が、地球を中心に並んでいる状態。そのための星が私たちなの。ヴィーナス、マーズ、マーキュリー、ジュピター。まあそんなのどうでもいいのよ。ごっこ遊びみたいなものなんだから。世界の創生のやり直し」

 なるほど。

 なにを言っているのか微塵も理解できない。

 彼女はふっと笑った。

「クイーンは、秩序を破壊するイレギュラーの到来を待ってる」

「それが俺だと?」

「そう。あなたは選ばれたってワケ」

「じゃあ近いうち会いに行くと伝えておいてくれ」

「もちろん」

 ずっとニヤニヤしている。この余裕の表情、そして乱れた衣服、くらくらするようなにおい、すべてが精神衛生上よろしくない。

 彼女はわざとらしく座り直した。

「あなた、ちっとも乗ってこないのね」

「特殊な訓練を受けてるんだ。こっちも死ぬまで絞り取られるのはごめんだしね」

「誤解よ。彼らは好きで来てるの。殺すつもりなんてない。私のこと、逮捕しないわよね?」

「俺は警察じゃない」

 用は済んだだろう。俺は立ち上がっても平気かを確認してから腰をあげた。

 彼女はもう引き止めなかった。その代わり、こう告げた。

「彼女はグランドクロスの中心にいる」

「地球か……」

 この大地が肉体を得て、わざわざ俺に苦情でも言いに来たのだろうか。あるいは自分を地球だと思い込んでるサイコ女だろうか。いずれにせよ逃げるつもりはない。なにせこっちは仕事で来ているのだ。途中で引き返して違約金を払いたくない。

「悪いんだけど、少しのあいだ波を抑えてくれないか。この辺のサイキック・ウェーブの強度を計測してるんだ」

「あなたってつまらない男ね」


 *


 部屋を出ると、レベルが2まで低下していた。

 いちおう配慮してくれたらしい。

 早めに記録をとり、俺はその場を離れた。餅も無表情のままついてくる。


 かと思うと、後ろから指でつんつんとつつかれた。

「どうした?」

 彼女は目をキョロキョロさせている。頬も少し紅潮している。

「人間ってさ、あんなことするのね……」

「どんな?」

「だから、その……映像ヴィジョンで見たような……」

 完全に遮断すればいいものを、覗き見してしまったようだな。ずいぶんえげつない内容だった。愛などなく、ただ肉欲を解消するだけの交わり。餅には早すぎたかもしれない。

「忘れなさい」

「うん……」

 ノーベル平和賞が待っている。


 仲間たちのもとへ戻ると、白坂太一がやや青白い顔ながら、興奮気味に出迎えてくれた。

「あ、二宮さん! 聞いてくださいよ!」

「な、なに?」

 まさかこいつも波の直撃を……。

 彼はメガネをぐっと押し上げ、こう続けた。

「キャンセラーですよ! ここで作れるかもしれません!」

「えっ? どうやって?」

「あのビー玉です! あれで回路を組めば、即席のキャンセラーができますよ! そしたら援軍来てくれると思うんです」

 なんだこいつ。マジで天才だったのか? 回路が組める? 自慢じゃないが、こっちはフリップフロップ回路さえロクに理解できなかったってのに。

 俺はつい笑ってしまった。

「俺がもらうはずだったノーベル賞は、君に譲ったほうがよさそうだな」

「えっ?」

「いや、とにかくいいニュースだ。ほら、計測器返すね。ちゃんと測ったよ。レベル2だって」

「ありがとうございます。じゃあさっそく材料集めましょう。回路組みますから」

「うん」

 ジャンク品を売っているオヤジを下で見かけた気がする。

 こうなったら調査なんてしてる場合じゃない。とっととこのフロアを片付けて、さっそく電子工作だ。なんなら完成までやってしまおう。いくつか電球を抜けばブレーカーだって落ちないはずだ。

「いやー、ホント助かるよ。ムリ言ってついてきてもらってよかった」

「えへへ」

 ひとりひとりは不完全だが、助け合えば強い。それが人間だ。こういうときにチームというものの素晴らしさ実感する。


(続く)

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