シスターズの降臨
三日目の朝を迎えた。
白坂太一は体調が優れないらしく、長いことトイレにこもっていた。
以前からそうだったように、どうしても変異体の肉が受け付けないらしい。マーキュリーの放った波の影響からも回復していないようだ。
トイレから出てきたとき、彼の表情はひときわゲッソリしていた。吐いたのかもしれない。
「やっぱり厳しい? 食事、白坂さんだけ携行食に切り替えようか?」
「すみません」
彼は戦闘には参加しないものの、それ以外の分野ではかなり優秀だ。この場で使い潰すわけにはいかない。
婆さんには悪いが、あとで説明しておかねば。
その後、シスターズを出迎えるため、俺たちは一階へ移動し、だだっ広いエントランスへ出た。
濃い霧が内部まで入り込んでいる。
ここには住民がほとんどいない。うなだれて座り込んでいたり、床に転がっている人間がぽつぽついるだけだ。まあたぶん生きているとは思うが。
ビル内には謎の業者がおり、こまめに死体を回収している。回収されていないということは、生きているということだろう。
道路へ出て、ガードパイプに寄りかかった。
なんだか最近、市街地では、そっけないガードレールではなく、シャレたデザインの鉄柵が増えているような気がする。フェストさえ蔓延していなければ、ここらも美しい街並みになっていたのかもしれない。この鬱蒼としたビルにしたって、完成すれば立派なランドマークになったはずだ。
「少し寒いね……」
鐘捲雛子が指先に息をかけ、すりすりとこすり合わせた。
たしかに冷える。
白坂太一も、青白い顔でじっと寒さに耐えていた。
「ふたりは中で待ってなよ。俺は平気だからさ」
「そうする」
戦場では一歩もひかない彼女も、このときばかりは素直に応じてくれた。なかば強引に「行こう」と白坂太一の背中を押し、エントランスへ引き返す。
冬にしてはあたたかいほうだが、それでも小柄な体にはこたえるのだろう。
こっちはチャーハンも山盛り食ったし、健康そのものだ。適度な肉体労働は、体にもいいのかもしれない。むかしデスクワークをしていたときは不調で仕方がなかった。まあ寝不足だけはずっと解消されてないけど。
しばらく待っていると、ヘリのプロペラ音が近づいてきた。ほかにヘリは来ないはずだから、間違いなくシスターズを乗せた機体であろう。
ビルから少し離れた位置に着陸するはずだから、あと数分待たねばならない。
霧を見つめながらじっとしていると、さすがに指先が冷たくなってきた。
なぜこんなに霧が立ち込めているのだろうか。
温泉地帯でもあるまいに。
などとぼんやり考えていると、気配を感じた。サイキック・ウェーブだ。姿は見えないが、誰が来たのかすぐに分かった。
率直に言って、俺は困惑した。
来るはずのないメンバーが来たからだ。そして彼女以外、誰の気配もなかった。
猛ダッシュしてきたのは、漆黒のドレスを身にまとった少女だった。緑の腕章もしている。革靴でアスファルトを蹴り、まっすぐこちらへ向かってくる。
「会いたかったわ、愛しい人!」
某ラグビー部ばりのタックルをしてきたので、俺は思わず抱きとめた瞬間によろけてしまい、遠心力でエネルギーを殺しながらなんとか着地させた。
「なぜ君が……というより、その姿は?」
「ふふん。この麗しい姿に驚いた? そう。私が餅よ。あなたのお餅」
とんでもない得意顔だ。
つややかな黒髪を指先でもてあそぶような、謎のポーズまでキメている。モデル立ちのつもりだろうか。
餅というのは彼女のアダ名だ。以前はこんな外見ではなく、つきたての餅みたいな姿だった。餅というかバブルスライムというか。実験の失敗作という話だった。
治療法はすでにあった。あったのだが、彼女は特に希望していないようで、ずっと餅の姿で生活していた。
「治療してもらったの?」
「そうよ。あの姿のままだと代謝が早すぎて、あんまり長く生きられないって言われたから。ま、私が美少女ってのは分かってたから、あえてクリーチャーの姿でいたんだけど。死ぬのはイヤだったし。だって、あなたとも会えなくなっちゃうじゃない?」
なんだか大人ぶっているが、背が俺の胸元くらいしかないので、子供が背伸びしているようにしか見えないのが哀しいところだ。
「まあ、君が納得してるなら。けど、ひとり? 姉妹は?」
「いないわ。なに? 不満なの? 私ひとりでじゅうぶんでしょ?」
いや、じゅうぶんではない。
作業の分担ができないではないか。だいたいシスター「ズ」というからには、何人かセットで送ってこないとおかしい。これでは援軍どころか、子守りを押し付けられたも同然だ。
すると餅は圏外のスマホをとりだし、俺に写真を見せてきた。着飾った彼女が路上でドリンクを飲んでいる写真だ。後ろに姉妹も写り込んでいる。
「ね、これ見て! これ! タピってる私!」
「タピ……タピオカ?」
「そうよ。でもこれ、飲むの大変よね。下に溜まってるキョロキョロをよけて、上澄み液だけすすらないといけないんだから」
その「キョロキョロ」がタピオカだぞ。
彼女はそれでも満足そうだ。
「これ、あとでSNSにあげるの。でもその前に、あなたに見せたくて。どう? かわいい?」
「かわいいよ」
「そうよね。タピってる私。かわいいわ」
タピオカがなんなのか教えてやったほうがいいのかな……。
すると、エントランスから鐘捲雛子が顔を出した。
「来たの? 誰?」
不審そうに目を細めている。
もちろんそうだろう。これまで誰も彼女の外見を見たことがなかったのだ。
餅はにんまりと不敵な笑みを浮かべた。
「みんなのアイドル、お餅ちゃんよ」
「餅? ウソでしょ? ふざけてないで本当のこと言って」
「だから餅よ! お餅! 分からないの?」
「……」
もはや返事さえあきらめたらしい。
シスターズは同じ遺伝子から作られたから、顔立ちも同じだ。鐘捲雛子は、姉妹が変装していると考えたのかもしれない。しかし残念ながら、餅本人だ。そして彼女以外の援軍はない。
白坂太一も出てきたので、俺は背後に回り込んだ。
「ちょっと電話貸して」
「はい」
バックパックから衛星電話をとりだし、本部にかけた。
応答はすぐにあった。
『はい、こちら本部』
「こちらサイキスト・ワン。援軍の到着を確認した」
『お疲れさまです。ぶじ到着してなによりです』
この柔和な声は本部の各務珠璃であろう。若くして俺たちの代表を務めている女だ。
俺はなるべく不満を抑え込み、できる限り冷静に、こう感想を伝えた。
「餅が来た」
『はい』
「はいじゃないでしょ。俺たちは応援を要請したんですよ? なぜひとりなんです?」
『状況を総合的に判断した結果です』
のらりくらりとしたいつもの態度だ。
「もっと具体的に説明してください」
『キャンセラーの使用許可がおりなかったことは前回もお伝えしたはずですよね?』
「だからって彼女ひとりってことはないでしょう。せめて機械の姉妹も一緒に送ってくれないと……えーと、効率がですね」
役に立たない、などと口にしてしまえば、脇で聞いている餅がすねてしまう。
本部からの応答はこうだ。
『機械の姉妹は現在、別の作業にあたっておりまして』
「アッシュは?」
『出発前にお餅ちゃんとケンカしてしまい、絶対に行きたくないと』
「……」
これが「状況を総合的に判断した結果」とやらの正体だ。
俺は溜め息を噛み殺し、こう応じた。
「じゃあキャンセラーが使用可能になったら、即座に援軍をよこしてください。二チームですよ。あと予備のバッテリーも山ほどね。充電できないんだから」
『もちろんです。ほかにご用件は?』
「ありません!」
『そうですか。ではくれぐれもお気をつけて』
以上、通信終了、だ。
俺は通話を終え、白坂太一のバックパックに衛星電話を突っ込んだ。
「えー、見ての通り、頼もしい仲間が作戦に加わってくれることになりました。では今日も一日、安全第一でいきましょう」
「……」
仲間たちの視線がつめたい。
*
このまま援軍が来てくれなければ、本当に十日以上かかってしまうだろう。変異体の肉しかなく、ロクに風呂も入れず、ダンボールの布団しかないこの環境で。きっとフェスト以外の病気にかかるに決まっている。労災はおりるんだろうか。
上階を目指してエントランスを歩いていると、餅が腕にしがみついてきた。
「なんだかデートみたいでワクワクするわね! ねえ見て、あそこに人が寝てる! あそこにも! みんなとっても自由ね!」
「やめなさい」
この子はちゃんと状況を理解しているのだろうか。
数秒前まで健康だったのに、だんだんメンタルが削られてきた気がするぞ。
「なあ、お餅。予備のバッテリーは持ってきたか?」
「なにそれ?」
「見たところ、ずいぶん軽装みたいだけど……」
「バッグにはお化粧道具しか入ってないわ。だってほかになにもいらないもの」
「化粧なんてするのか?」
「えっちね」
なにがどうえっちなんだ。
しかし頼んでおいた備品すら持たせないとは。本部の野郎、あとでおぼえとけよ。ブレーカーおちるからコンセント使うなって婆さんにキツく言われてるってのに。
エントランスを抜けようとすると、柱の裏からぬっと女が出てきた。
「子供……」
また彼女だ。
虚ろな目をした白い服の女。しばらく姿を見せないと思っていたら、こんなところに潜んでいたとは。
「子供……見つかりました……?」
「え、なに? 子供?」
餅が困惑してしまっている。というより怯えてしまっている。なにせ気配もなく急に出てきたからな。
俺は思わず溜め息をついた。
「いや、まだ見つかってませんよ」
「きっと見つけてくださいね……あなたの子供……寂しがってるはずだから……」
無気力そうな表情のまま、彼女はずるずると裾を引きずってどこかへ行った。
餅はいっそう腕にしがみついてくる。
「え、なに? 子供? あなた、子供いるの? 私、まだ産んでない……」
「そうじゃない。あの人、ちょっと認知能力に怪しいところがあって……。俺も困ってるんだ。もちろん子供なんていないよ」
「そ、そうよね? だって私たち、まだキスさえしてないもの」
餅も子供を産めるんだろうか。ベースは人間の遺伝子だから、不可能ではないのかもしれないけれど。
*
九階へ足を踏み入れた途端、新たな問題に遭遇した。
疲れ切った顔の男が駆け寄ってきたのだ。
「あんたら、国から派遣されてきたヤツだよな? 助けてくれ!」
三十代半ばといったところか。とんでもなくやつれている。メシにありつけず、栄養失調になってるのかもしれないな。
俺は先手を打ってこう応じた。
「メシなら五階の婆さんが食わせてくれるはずですよ」
「違う! そうじゃない! なんつーか、こう……女が!」
「女?」
五階の婆さんだって生物学上は女性のはずだが。なにか違うのか。
男はイライラしたように顔をしかめた。
「だから、ヴィーナスだよ! あの女が、俺たちを殺そうとしてるんだ!」
「いや、俺ら警察じゃないんで」
「は? じゃあなんで拳銃持ってんだよ?」
「話の通じないヤツがいっぱいいるんで」
「ンだよ役に立たねーな! せっかく教えてやったのによ。クソかこいつら。税金泥棒がよ」
「……」
もっと協力したくなるような言い方じゃないと、こちらとしても素直に応じたくなくなるな。
そもそもこいつ、税金納めてるのか? 街の役所だって機能してないってのに。
男はぶつくさ言いながらどこかへ行ってしまった。女に殺されるか、警察に通報するか、ぜひ好きなほうを選んでくれ。俺の知ったことじゃない。
ふと、餅が不快そうに目を細めた。
「なんだかここ、えっちな気配がするわ」
ほかに感想ないのかよ。
だがまあ、分からないこともない。かすかに妖艶なサイキック・ウェーブを感じる。
ヴィーナスなんて名乗ってるくらいだから、きっと自称マーキュリー容疑者の同類に違いない。つまりはクイーンとつながっている感染者だ。
無視してもいい。しかし敵の正体を探るためにも、接触しておいたほうがいいのかもしれない。いや、決してえっちな展開を期待しているわけではなく。本当に。
(続く)